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スレッドNo.1413

評、1/6~1/9、ご投稿分、残り。

次のMY DEAR 321号のお勧め詩集は、井戸川射子さんの「遠景」(第2詩集)で書こうと用意してました。2022年度で若手詩人で一番目に留まった詩集だったからですが、しかしながら、芥川賞作家ということになっちゃったので、うっかり書けなくなりました。
仕方がない・・・、別の人にしよう。
まあ、私の見立ても、そう間違ってなかったということで・・・。



●エイジさん「一抹の寂しさ」

ありますねー
私も出張してた時は、普段と違う、朝5時台の電車に乗ってたんですけど、5時台の電車が意外といっぱいなのには驚いてました。みんな朝から働いてるよなーって思った。自分の会社の中だけを見て、こんな時間から電車に乗るのは自分だけかあとつい思ってしまうんですが、世の中、その時間でも働いてる人はいっぱいいて、こいつはうぬぼれだったなあと、何度か自分を戒めたことがありました。見ず知らずの乗客たちに対しても、何かを思うことってありますね。

とりわけ普段の自分の行動時間帯と違う時間帯をたまに行くと、ものごとを新鮮に見れるのか、発見がありますね。そのあたりのこと、とてもよくわかります。この詩のカナメとなっているところも、たぶんそういうことなんだと思います。とりわけ1月2日だと、まだ仕事が始まってないとこがほとんどのはずですから、いつもと違う人の風景だったことでしょう。

それにしても、透析は正月関係なしですから、つらいとこですね。そこが「一抹の寂しさ」の由縁なのでしょう。

また、いつもと時間帯が違うから特に気になって書かれたんでしょうけど、行きのバスから帰りのバスまでのタイムスケジュールを、全部通しで見せてもらったのは初めてな気がします。いつも断片、断片でしたからね。時間帯は違うけど、順番やそれぞれの所要時間、ここで喫煙所利用など、順を追って書いてもらって、やっと全容を把握できたような気がします。その意味でもこの詩は良かったです。今後の詩を読む上でも役に立ちます。
なので、1回こうやって、通しで書いてくれたのも好感でした。

うむ、しっかり書きましたね。ちょい甘だけど、名作あげましょう。

2点あります。
3連4行目の「文句を言わず」は、その後は文句を言わず、の意か、病院には直接文句を言わず、の意なんでしょうね。詩の上ではその前にさんざん文句言ってますからね。その処理は必要です。

 そう言い捨てて3時半に家を出ると決めた
 3時半までは待ちくたびれた
 待っているうちに1日が終わるじゃないか
 さんざん文句を言ったあと
 黙って3時半に家を出た
 バスで駅前まで15分かけて行った

2連目が、心の声ないし独り言とわかるように書いてくれてますから、その後の3連の1~3行目も、同様のものとわかります。病院に文句言ったわけではないのは、書かずともわかりますから、こんな感じでいいと思います。

もう1箇所は、8連2行目ですね。

 僕はライターに火を点けた

それ、爆発燃焼するので、やめましょう。
「ライターの火を点けた」あるいは「タバコに火を点けた」の間違いかと思います。


●おおたにあかりさん「拝啓 コピー機様」

リースでなく、買い取りの機械のようです。壊れるまでとことん使い倒そうという感じで、長い長いおつきあいをしてる友のようです。
力を入れて拭いているところからして、機械の大きさとしては、ふつうに複合機のサイズか、ハーフのサイズくらいあるような感じがしますが、製造中止はもちろんこと、そのサイズで中古価格44,000円は、かなり安い。想像以上に古いものかもしれません。

ああ、なんか、昔よく一人で残業してた時に、コピー機詰まって、深夜のオフィスで一人で直していたのを思い出しますねー それ、コピー機としゃべるのは、周りに誰もいないからなんですよ。残業中かどうかはわかりませんけど、今オフィスに自分一人という状態なのでしょう。そういうオフィス内の図も、ちょっと入れたらいいと思いますね。

 おざなりでしかない
 危機管理を詫びる

の詩行は、おおたにさん独特のユーモアで、わざと大袈裟な書き方をしてるのでしょうけど、たしかにオフィスに1台しかないプリンターが止まっちゃうと、いろんな業務が止まっちゃいますから、この「危機管理」の言葉もまんざらジョークでもないと言えます。
7連の、

 わたしたちは支え合っている

は、この詩における、究極の一言かもしれません。
コピー機って、壊れた時に、壊れた箇所しか見ないからなあ。そんな調子でずっとやっていると、たまにドカンと、しっぺ返しを食らうって教訓ですね。たまにはきちんと隅々までメンテナンスしてあげましょうってことですね。
たぶん心臓部に当たるところが、腐食を始めてるんでしょう。そういう状態のようです。
少しわかりにくいんですが、これ、トナーの付着をずっと放置してると、腐食を始めるってことなんですかね? 「日々の積み重ねのところ」、そこまで書くといいですね。
激しく後悔してる、その理由にもなっているところですから。

ちなみに5連3行目は、

 これは罪重ね → これは罪重ねね

とした方が、前の行からの流れがいいと思います。

7連3行目。
オフィスですから当然、複合機だろうと思って読んでますから、「プリント機」って書かなくても、俗称としての「コピー機」で、ここはずっと通せばいいと思います。

終連ですが、

 できるかぎりの掃除を終えて
 コピー機のフタを閉める
 身勝手な人間なのは重々承知
 「これからはもっとキチンと掃除するよ」
 と誓って
 小指でそっと
 テストプリントのボタンを押す

こんな感じの方が良くないですか?
場面が変わる時の動作というのは必ず入れた方がいいですね。その方が読んでる方がビジュアルを思い浮かべやすいのです。当たり前の動作と思っても、ちゃんと書いた方が有効な場合がままありますよ。

一人でコピー機と格闘してるところは、誰しも身に覚えがあるところで共感できる着眼ですね。
秀作プラスあげましょう。


●喜太郎さん「タブー」

母親が我が子の子を身籠る、は物凄く極端な事例に思いますよ。
まあ仲が良くなりがちなのは、私も聞いたことあります。ある意味、理性が足りてない人も中にはいるので。
通常、施設やホームでは男女でフロアを分けて、夜は立ち入り禁止にしますね。個々の家庭でのことは、私はちょっと存じ上げません。

語り口としては、上手に書けてると思うんですが、極端な事例だけ置いていくというのは、ちょっと違うかなと思います。もうちょっと範囲の広い話、あるいは体系的な話の中で、その事例も置くというならいいけど、この事例だけ置く書き方だと誤解を招きますね。社会派の詩の書く場合、全体に対する考えを持ちつつ、事例を語るというスタンスが必要です。そういう意味で、もうちょっと考えを深めてほしいです。

これは一歩前にしましょう。


●秋冬さん「或る休日の昼下がり」

読み始めた時は、まさか最後まで続けると思わなかったという意味で、意外性ありました。正直、後半になって、ちょっとしつこいなって気持ちになってきたんですが、エンディングに、これを最後まで続けた理由が待っていました。
つまるところ、真っ正直に書けんところのハニカミのために、すべてはそのための伏線であったかと、納得いきました。

各連初行の反対重ねが邪魔をするので、前から読むと全く気づかないんだけど、逆読みすると、そこに至るまでに、だんだんとムードが高まっていってる様子もわかります。

(それにしても、なんてシシャモが食べたくなる詩なんだろう・・・)

うむ、2度使えない手だけど、これはこれで、いい休日で、いい夫婦の日だったということで、OKにしましょう。
ただ、内容的には小品の域内なので、秀作プラス止まりで。


●荻座利守さん「微かな光芒を頼りに」

「アート・テイタムにはなれなくとも、トミー・フラナガンはトミー・フラナガンになりました。」
と、いう訳の分からない例をいきなり口走ってしまいましたが、昔、アート・テイタムという超絶テクのピアニストがいて、他のJAZZピアニストたちで、「自分はアート・テイタムにはなれない」と絶望した人たちが結構いるのです。でも彼らもそれぞれに、ちゃんとのちにJAZZジャイアンツになりました。
ピアノテクだけがJAZZじゃねーよって話でもありますし、結局のところ、それぞれの道を行くしかないし、それが正解だったという話でもあります。
いささかわかりにくい例で、どうもスミマセン。

加えていうと、美しいものを、まさしく美しいものだとわかるところに、すでに荻座さんの力量の高さがあります。なんていうか、本当に美しいものって、まず外見でもって誰しもが美しいと感じるものの、さらにその奥に真の美しさが隠れています。いや、隠れてはないんだけど、そこまでは、わかる人にしかわからんのです。荻座さん、それが見えているということは、翻って、荻座さんにはそれがわかるだけの力量があるってことです。
だから、光芒は、そんなに微かでもないんじゃないかな。

作品ですが、これは荻座さんの詩の姿勢、詩論の一つとして、受け取っておきます。
詩人さんの中にも、詩集の中に、詩の悩みや詩の姿勢、詩人論みたいなことを書いてる詩を載っけてる人がいるけど、そういう詩って、詩を書いてる仲間内しか読まんネタなのです。楽屋落ち的というか、題材的に、他への広がりがない題材なんです。詩を書いてない人には、まったく興味がない題材なんですよ。そういう詩を平気で載っけてる詩人もいるけど、私は感心してません。
詩人なら当然考えることですから、ごくたまに1作くらいあってもいいと思うけど、積極的に書くような題材ではないですね。詩集の中に、なくていいし、あっても1作までですよ。それ以上は不要。
そもそも詩人が詩を書くのに苦しむのは、当たり前のことじゃないですか。
(て、荻座利守さんのことは、もうすっかり詩人扱いしてますので、ちょっとキビシク)

そういう注意をつけた上で、この詩は7連から始まる3つの比喩と、そこから13連までが見事なので、これ1作に限って、例外的に名作としておきます。「ごくたまに」の1作として。


●じじいじじいさん「冬の温かさ」

わああ、何故これが書ける??? 初々しい感覚ですねえー
ステキな瞬間です。とうの昔に忘れたものを、胸騒ぎのように思い出させてくれます。
女性のほう、よく書けてますよねー 男の方の描き方はちょっと作為的ですけど。
まあ、リアルな話をすれば、男の方にこの度胸があるなら、もっと前からアクションしてるだろうと思われ、いきなりこれができるなら、むしろプレイボーイかの感がありますけど。

それと単に学校帰りということだと、みんな下校してますから、みんなの前でいきなり手はつなげない。シチュエーションとして部活で遅くなって、たまたまその時、その道には二人だけとか。学校帰りでも、最寄り駅まで戻ってきて降りたら、彼と一緒の電車(汽車)だったとか。休日に繁華街をうろうろしてたらバッタリとか。もう1個、シチュエーションの付加がいるように思います。
また、そうしたシチュエーションの付加があれば、男性側が大胆すぎて作為的に見える部分も、他に誰もいなかったからということで辻褄が合うというか、緩和されると思います。

それと、この短い物語のシメとしては、やっぱり叙景なので、終行1行で終わってるところを、3行くらい、しっかりと叙景を書きましょう。

という注文をつけた上で、肝心の部分は書けてるから、秀作にしましょう。

編集・削除(編集済: 2023年01月23日 03:09)

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