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スレッドNo.1543

三つの印象 ~琵琶湖疏水第1竪坑~ 暗沢

私の中にあるのは三つの印象である


第一の印象はざら紙上の粗い印刷。

社会見学を兼ねた遠足の資料として配られた
殆ど黒と灰色だけの雑な印刷上に浮かんでいるのは一見
網目状の円蓋を施された、老化著しい古井戸である。
辛うじて見える円筒状に帯びる繋目から
それが煉瓦の建造物である事は、余り血の巡りの良くない子供であった、
私にも分かった。A4用紙の一隅に載る
ごくありふれたオブジェである。
ざら紙のプリントは禄に見られることもなく机中へ放り込まれて
後は、もう忘却の底。


第二の印象。

手軽な遊歩にお誂え向きな峠越えも、あまり体力のない子供には堪えるもので
小雨のなか心もとない山道を登って、それから下って行くのは
なかなかの骨である。
劣等生だった私は汗をかくのが大変嫌いな子供だったし
徒労感と疲労、脇腹の痛み
山間の道の薄暗さで覆われた麓までの記憶は
ぼろ生地のキャンパスに描かれた
暗く拙劣な筆致の印象派に過ぎない。
額内の筆致に写実派のリアリズムを帯同させるには
決定的な威力が要請される。

麓に差し掛かる、山道の傾斜も一段落付いた途上にて、
喬木の見下ろす開かれた場所である。
突兀と出現した巨大なもの。

手軽な峠とは言え、傍には常緑のひしめく蓊鬱(おううつ)の下である。
鈍色の薄ら寒い空からの小雨は山気をより靄掛からせていた。
鬱蒼からの唐突な登場であった。あのざら紙に印刷されていた
古井戸のようなものとよく似た建造物。

そのギャップ
無理もない。ずんぐり巨大な古い円筒は
大人の背丈をゆうに越える高さであり、
何処ぞで拾ってきた古井戸のイメージの如きを払うには
十分過ぎる程であった。少なくとも井戸ではないことは、
馬鹿な子どもだった私でも容易に分かった。

笹や葉叢の重なる天然の敷物の上
身を苔に侵されつつも沈立しているレンガ造りの円筒は
丸みの帯びた厚い網状の鉄蓋で
口を塞がれている

一世紀以上の時間を経て開かれ続けるその深み
拘束具にも似た鉄蓋にも笹の侵食は斟酌無かったが
故にその背負い続けた時間の重さを成立させている
屹立を間近に、思わず足を止めたものだった。

いや、白状するならば私はすぐ早足に通り過ぎたのだ。
他の生徒に習って脚を動かしたに過ぎなかった。しかし
山中に佇み続けている竪坑の重々しい存在感は
あまり健脚とはいえない子供の脚に、疲労とは異質の引きつりを生じさせるには
十二分であったろう。

印象は長く、長く残り続けた。


今、私が得たのは第三の印象である。

どういう行政の吹き回しであったか関心はないが
二十年余を経た第一竪坑の周辺は整備がなされていた。
山道も、開かれた場所も手軽な舗装道路が通り
何よりも古い文化建造物の周囲は、返し付きのフェンスが設けれている。
水道局の示す「立入禁止」の扉の側には
歴史を示す概要が載ったアクリルの看板。
しかし刻まれている明朝体は仕切りのチェーンに阻まれ見えにくい。
私の目は本当に悪くなってしまっていた。

開かれた明るい場所に、竪坑は尚も変わらず立ち続けていた。
煉瓦造りの建造物は明朗であった。
取り払われた苔と笹とともに、幾分もの幻滅もなかったのかと訊かれれば
嘘も生じてしまうのだが、それは依然として大きいままであったし
今も窮状の鉄蓋の被された深さは
永く開き続けているにだろう。
古い印象に縋ることほど容易な事などありはしない。

それは正しく一個の文化であり
時の砂塵をも耐え得た建造であった。
一回の生身たる私の如きが時間が掠め取った後も
依然として、残り続けている堅牢に相違無かった。

詩と歴史の前へ不審に佇み続けて、麓へ下る折には
既に山路は心許なくなっていた

灯り続けているのは、見出したその印象
叩頭の念にも似た情感は
消えること無く残り続ける筈である。


今一度白状するならば

今際の果に
虚しく薄れゆく中、あの開かれた竪坑の下へと
降りていくことが出来るのであれば
幸甚であるのだが。

その詩と歴史さえ胸にあるなら、死などという現象の如きは
さしたる問題にはならないのだが。

いや、誰でもよい。この身の残骸の一欠片でも
あの竪坑の開かれた口へと密かに
投擲してはくれないだろうか。


●テキスト量が多くかつ散文的であり本来であればこれらから切り取りつつ記述するのが正しい詩作の形です。
 しかしこの度はあえて上記を省いた形での投稿とさせていただきます。
 そのため批評に耐え得るテキストではないと判断し、「評不要」の但書を付記させていただきます。大変我儘な投稿かと思われ恐縮ですが、よろしくお願い致します。

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