魔法使いの血 朝霧綾め
冬になると
私の身体の中で
魔法使いの血が騒ぎだす
たとえば
つめたい木枯らしが吹いたときは
箒に乗って空を飛びながら
風に飛ばされそうな山高帽を
あわてて手で押さえつけた、
そんな記憶が呼び起される
他にも
台所でカレーをよそっていると
錆びついた古い大鍋に
さまざまの薬草を入れ
火を焚き 煮詰めていた
その音をなつかしく思い返す
きっとスープの類ではなかった
鍋の中で煮え立っていたのは
たいてい紫色の液体だったから
あれが魔法薬というものだったろうか
箒で空を飛んだことも
大鍋で魔法薬を作ったことも
もちろんない
どうしてそんなこと
思い出すのだろう?
今から二十万年前
人間は世界に数百人しかいなかった
そしてみんな魔法使いだった
ひとたび呪文を唱えれば
薪に一瞬で
火をつけることができた
湖に住む人魚と仲良くなって
水中に城を建てて遊んだりもした
しかし世界に
村ができ 町ができると
人々はみな 魔法の使い方を忘れてしまった
魔法使いたちは少しずついなくなり
代わりに耕作人や商人になった
歴史が誰にも見つけられないまま
消え去ることは
それなりにあるらしい
呪文の本は焚き火の燃料になった
大鍋は鋤や鍬に変えられた
最近になって人間はますます
魔法の使い方を忘れてしまった
それで現代に生きる私たちの
魔法使いの血は薄い
けれども冬になると
その血がさわぎ出す
ちょうどつめたい風が
コートの裾をはためかせたとき
ふいに
空を飛びたくなる
山高帽をぐいとかぶりたくなる
一年の最も厳しい季節が来るたび
魔法が世界に存在した
遠い古代に思いをはせる
どうして魔法を忘れてしまったのだろう
覚えていたらよかったのに
魔法使いの血が騒ぐのは
きっと私ばかりではないはず
人々はみな
山々を箒で飛んでいた
魔法使いの子孫なのだから