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スレッドNo.1594

評、2/3~2/6、ご投稿分、その1。  島 秀生

えーーーと、残り6作は、明日の晩に。


●荻座利守さん「静電気の季節」

電子を奪い取って、帯電。そうでしたね、学んだこと、忘れてました。
冬場の乾燥した季節のごく身近な話題、「静電気」を、科学的、哲学的な香りで論じたあと、人々の営みへとブレイクダウンしてくれました。荻座利守さん、ならではの詩ですね。

中盤までいいんですが、終盤のシメていき方ですね。2通り、手があります。
一つは、多数から個人へと落として終わる。たとえば「(だから)私も、あなたに」というレベルの行為に落とすと、身近に迫って終われます。
もう一つは、今のスタンスのまま、情感の要素を増して終わる方法ですね。


互いに
惹かれ合いながらも
引き離されたものが
再び結びつくときの
歓喜の閃光であり

凍える人々を暖め
暗闇に惑う人々を導く
篝火を燃す種火とも
なり得るのだから

寒風吹きすさび
乾いた想いが流れる
この静電気の季節でも

人は触れることへの
恐れや痛みに抗い耐え
再び出逢う
煌めきを
悦びを
追い求めるだろう


こんな感じです。情感アップで終わってます。参考にして下さい。
身近な「静電気」という題材を、高次に高めてくれたのは、荻座さんならではワザで、良かったです。
荻座さんはハードル高めなので、秀作プラスを。


●喜太郎さん「嘘笑い」

決して、人を騙そうとする悪意からのものではないのだけど、対人関係が苦手な人は、つい作り笑い、しちゃうんだよね。
なんか、わかる気がします。

でも、見破る人がいたんだ。
私の勝手な想像でいうけど、なんか恋の予感だね。

全体的に自虐的なモノローグが、鬱々と続く詩なのだけど、最後に、ポッと温かいものが流れます。
最後に舞台の明暗がパッと反転して、サッと終わる。ここで終わった、思いきりの良さはグッドでした。
読者にも、気持ち良いものが残りました。秀作あげましょう。

一点だけ。
8連2行目、こういう時の「あたたかい」は、「暖かい」じゃなくて「温かい」の方の漢字を使った方がいいです。人肌というか、体温というか、そういう質の温かさですからね。


●理蝶さん「サラリー」

ああーー、サラリーマン哀歌ですねー。よーく、わかります。毎日くたびれて、寝に帰るだけ。家と会社の往復が続くだけで、自分を見失いそうになるけれど、この詩はかすかな希望を見いだそうとしています。

 偉大な愛すべき
 時々滑稽にも思える
 この世界は回っている
 
 それぞれの縮尺で
 皆なんらかの歯車となって回転している
 
 でもいつか出会う
 僕達を幸せにする歯車と噛み合う日が来る
 僕は穏やかな太陽に向かい祈る
 その日が来ることを

この思い、この見識、このあたり、うっとりするほどステキです。
狭い世界にいるけれど、広い世界を見ている。「僕」ではなく、「僕達」と言う。こういうハートが、とてもステキだと思います。
途中、大きなミスもありませんし、名作を。

あの、敢えて言いますと、文体のグレードがバラついているので、1~2年してから、もう一度、この作品を見て、全体を整えたらいいと思います。大事な部分はきちんと書けてるんでOKですけど、完成形と言えない部分もあります。とはいえ、ステキなハートが不動にある。残すべき作品ですね。

順番に行きますと、この詩、初連でもって、この詩の概要をかなり述べてくれているところがあります。大雑把な言い方すると、初連=2~5連という関係で、あとからその詳細を述べてくれている感じです。それはそれで、プロローグとして用を成してくれている初連とも言えます。
ただ、3連は帰路となる通勤電車の中で、4連で電車を降りて、以降、時系列でストーリーは続くんですけど、初連と2連、というのは、このストーリー上に乗らない内容に見えてて、作者の位置取りがよくわからないんですよね。

初連のカラスは、作者はどの位置から見てるんだろうというのが気になるんですが、おそらく作者は駅のホームにいて、ホームの真ん前の電線だから、3行目、「電車はまた止まるから」の表現になるんでしょうけど、これは「止まる」という表現が成立しうるのが、この可能性しかありえないので、私の直感で思うところであって、そもそも読者には作者のこの位置が見えてないと思って下さい。
だから、この「止まる」の表現がものすごくわかりにくいんです。
なので、この3行目は、

 電車はまたやって来るからすぐ

くらいにしておいた方が無難です。

同じく2連ですが、「繰り出す若い女」という言葉が、「出す」という語のニュアンスもあり、私は、駅から出てくる人、あるいは駅に入らず、駅前付近で横道に逸れていく人のイメージで読めてしまうのです。そうすると、3連以降の全体ストーリーの中で、この2連も、作者の位置取りがどこなのか、わからなくなり、浮いてしまうのです。

想像するに、もしかしたら、これもホーム上の話をしているのではありませんか? 
すると、初連も2連も、やっぱり帰りの電車を待つホーム上だということを、最初に入れておいた方がいいと思います。

現状、この作品を読むと、初連、2連の、作者の位置がわからなくて、この冒頭2連だけが、ストーリーの中で浮いてしまうところがあるんです。パズルのピースをどこにはめたらいいか、わかんない状態なんです。

まずは、そこを直しておいて下さい。


●妻咲邦香さん「園」

うむ、妻咲さんは、このカタチの方がいいかもしれませんね。

少なくとも抒情詩において「虚構」というのは、隠喩であったり、暗喩であったり、一見関係がないように見えても、あるいは全く距離が遠いように見えても、最後はテーマに吸収されていって、比喩関係を結ぶもの(図でいうと、渦潮の渦のような、台風の目のような、全てが中心核へ収束ないし回収されていく関係)なんですが、妻咲さんの「虚構」は、ちょっと違う。ときどき、比喩関係を結ばない(比喩の線上にない)フェイクみたいなものがあるんです。あるいは逆方向にさえ、ひっぱっていくものがある。それがたぶん、作者の意図を読み違えられる原因になってるんだろうと思う。
抒情詩の詠み方っていうのは、近くても遠くても比喩関係があるから、全部をつなげて読むんだけど、妻咲さんのは、ときどき繋げちゃいけないもの(繋いで読むと意図を読み違えるもの)が入ってる。混ざってる。
だから妻咲さんの詩を読むのって、ものすごく時間がかかるんです。どれが本体か、読む側として、わからないから。
たぶん「虚構」に関する考え方・詩論が、抒情詩のそれじゃないんだろうと思う。

一方、今回の詩というのは、設定をリアル風にせず、最初から架空に置いています。まあ架空に置いて、暗喩関係を図ってるわけですが、ともあれ設定を架空に置いていることで、読む方も、最初から距離感を持って読めます。距離感を持って読むから、全てを100%で繋げて読まない。%を低くして、ものによっては0%にも近い形で繋いでいくから、(比喩関係を結ばない)フェイクがあっても、邪魔にならない。

言いたいのは、私は妻咲さんの詩は、こっちの方が読みやすい。妻咲さんはこっちの方が合ってる気がします。
なんていうのか、妻咲さんの詩は絶対、ポジションが違うような遠いものが混ざり込むので、日常性で書くと、極端な遠近が発生して読む方が混乱する。
対して今回の詩のように前提として全体の距離感がある方が、却ってそれと近づくことになるので、距離感がむしろ均等化する。結果、私はこの方がおしなべて読めるので読みやすいです。
ということで、名作を。


●秋さやかさん「凧揚げ」

終連の美しさは、短歌をやってる人ならではの美感に思いました。絶句するほど、美しい。
そして短歌だと終連を描くだけで精一杯ですが、詩だから、前提となる場の情景や、アプローチまで、きれいに描いてくれています。ちょうどシンフォニーの、4楽章に対する1~3楽章の関係みたいですね。

うーーーん。
2連の、泳ぐ凧が「心のようだ」という比喩も。
3連の、遠くの人を思うほどピンと張る、も。
4連の、それは永遠じゃないから、も。
6連の、糸じゃなくて、心を手繰り寄せよう、も。
7連の「鎖骨」をキーに、8連で日常に入ってくるところ、も。
終連に入る前の9~10連、

 そういうものたちが
 ささやかに
 わたしに寄り添い
 わたしを形作っているのだから
 
 この手が届くものたちを
 愛おしむことさえできればと

この情感と、庶民の当たり前の願いが、社会におけるか細さを知っているがゆえの、愛おしさ。
全部、ステキですね。
間断なく、酔わせてくれます。うーーーん、スキなし。
名作を。

言うことないです。凧揚げの、この詩への入りやすさも良いから、共感してくれる人も多いと思う。私は、この詩を読んで、走ってきた孫を抱きしめた気持ちになりました。堂々、代表作入りの作です。


●エイジさん「ある気配」

まあーー、ホントのとこは、その感覚は別の理由によるものでしょうけど、
仏壇のお父さんのところに話を持ってきたのはグッドだったです。とてもおもしろい話になりました。いつも作者を見守ってくれているんですね。お父さんが守護霊かも、です。

背中に感じる視線の不思議が、公園の風景とも相俟って、前半でしっかり書いてくれていることが、終盤をより引き立てました。
良かったと思います。秀作プラスを。

ちょっとだけ、あります。
5連5行目「覗いてみると~」からの4行は、連分けした方が良い。
その上で、

 その前にはお経が書かれてある
 縦長の表紙が付いた本が置かれている

の部分については

 その前には
 縦長の青い表紙がついた経本が置かれている

に、修正する方がといいと思います。
一考してみて下さい。


●小林大鬼さん「身延線」

 街の景色は様変わり

 大人はまるで子供のように

の詩行があり、鉄道仲間と言っても、それなりのご年配の集まりだっていうのはわかりますね。
また、はしゃいでいる様子、楽しい鉄道旅だっていう雰囲気が感じられるのが、この詩のいいとこで、そこはちょっと羨ましいくらい楽しげなのが伝わるんですが、
他方、雑なとこもあって、

 山道を抜けて
 眼下に広がる河原と山々

ここなんか、近くの山と遠くの山をちゃんと書き分けるべきです。もちろん眼下に「山々」があるわけではありませんから、「山々」を置く位置も悪いですね。
また、身延線といえば、富士山をオモテからウラまで見えるって感じが特徴的なのですが、

 富士は曇って見えないが

のたった一言で、かたづけですよね。そもそもこれはてっぺんが曇って見えないだけで、少なくとも五合目から下は見えてるはずですよ。大雑把に過ぎますね。
車内の雰囲気の楽しげはいいんですが、それってたぶん、どこの線に乗ったって、その集まりはそんな感じなんでしょうし、そこが書けてても「半分」のデキっていうか、身延線らしさをどこかにきちんと描写しないと、タイトルの「身延線」にそぐわないです。
叙景に不備アリ、ということは言っておきます。

まあまあ、雰囲気だけは伝わるんで、おまけ秀作とします。

編集・削除(編集済: 2023年02月18日 02:54)

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