評、2/3~2/6、ご投稿分、残り。 島 秀生
敵基地攻撃能力って、盛んに言いますけど、
仮に、運良くうまく敵基地に着弾したとして、
それが基地を攻撃してきただけで、ほかは攻撃されないんだー 国が攻撃されたわけじゃないんだー
なんて、お人好しなこと、いったいどこの国が思ってくれるんですかね?
ものすごく手前味噌な、オメデタすぎる論理だと思いますよ。
絶対、倍になって返ってくると思うけど。
●朝霧綾めさん「魔法使いの血」
日常の中で、ふとデジャブ―のような既視感に襲われることがありますね。
この詩も、真冬の風にコートがひるがえると、ふと祖先の記憶が蘇るというふうです。それは魔女の血脈であるようです。
デジャブ―にも似た、その日常の取っ掛かりから始まったところも良かったし、魔法使いの血脈について古代や原始の時代まで作り込んできたとこも良かったです。いかにも、それらしきルーツのあるお話として出来上がってますから、素直に騙されたい気持ちで読みます。
特にオリジナリティとして、
人々はみな
山々を箒で飛んでいた
魔法使いの子孫なのだから
と、一部の血脈ではなくて、全員がそうだ、と言い切るところがいいですね。
もしも私にも魔法の記憶のカケラが残っているなら、魔法を思い出してみたいものですね。全員にそのチャンスがあるというのが、なんか嬉しい・・・。
この詩を読んでるあいだ、ファンタジックな夢を見させてもらっている気がしました。
名作を。
この詩、お話を綿密に詰めてきてるのに感心しました。代表作にしていいと思います。
一点だけあります。4連目、
台所でカレーをよそっていると
は、カレーって、オールシーズンなとこがあるんで、やっぱり冬場のものの方がいいんじゃないでしょうか? たとえば、シチューとか。それと「よそっている」んじゃなくて、やっぱりかき混ぜている方がいいと思う。
なので、そこの2行は
他にも
台所でシチューを煮込んでいると
こんな感じの方がいいと思います。一考下さい。
●ロンタローさん「失われたヒト」
梶井基次郎の「檸檬」に材を取っているのはよーくわかるんですが、
米軍が第二次世界大戦で使用していた手榴弾である、マークⅡ手榴弾が、あだ名を「パイナップル」と言ったため、後継のM26手榴弾は「レモン」のあだ名で呼ばれたんです。このM26手榴弾(「レモン」)は、ベトナム戦争で一番多く使用された手榴弾です。
と、いうことも知っておいて下さい。
質的に違うことを書いてるのはわかっていますが、それを勘案したとしても、
この詩、あんまりシャレにならないとこがあるんです。
梶井基次郎の「檸檬」は、もうちょっと違う形で使って欲しい。
「檸檬」が、これまで、こういう形に引用されてこなかったのには、理由がある、と思って頂けたら。
●江里川 丘砥さん「美しい世界に生きている」
ステキだねえーー
これは江里川さんの叙景編としては、一つ完成を見ましたなあー
まず、
美しい世界に生きている
の1行独立連の使い方、会得しましたね。
次に4連、
遠くで生まれた人と
なぜか出会い親しくなる
積み重ねた過去や目指す未来が連れてきたと
思い当たるのは先のこと
これ、上手に処理しましたね。まだ見ぬ人へのロマンチックです。
とりわけ、これは偶然ではなく、「積み重ねた過去」があるから連れてきてくれるものであるということ。この思考がステキです。
6連、
朝見た桜が夕方には散る
水面にうつる空
夜光虫でひかる海
丘一面に咲く花を
ゆするように風が吹き
どこかで鳥の羽ばたく音がする
満月に照らされたわたしの影に手を振り
青い夜空を見上げている
この並列も、しっかり吟味した詩行の数々でステキです。
連前半に関しては、桜の花びらの行方で、川から海へとずっと辿る手もあるのですが、
それすると後半が困るので、このままでいいです。
2点だけ。
まず2行目は、3行目の「海」に繋ぐためにも、「水面」より→「川面」の方がいい。
次に終行、ここ「わたしは」をもう1回入れた方が、しんみりしていいと思う。
以上をまとめると、
朝見た桜が夕方には散る
川面にうつる空
夜光虫でひかる海
丘一面に咲く花を
ゆするように風が吹き
どこかで鳥の羽ばたく音がする
満月に照らされたわたしの影に手を振り
わたしは青い夜空を見上げている
こんな感じ。この方がいいかと思う。
終連もしっかり書けてます。
このために生きてきたのかと、思える一瞬に出会うため。
そうかもしれないなあーと思った。
うむ、良いと思います。叙景だけで一本、完成させましたね。
名作を。
昔の花鳥風月とは違い、今を生きてる現代人に味わえるものが並ぶ。現代人だからの感覚が生きてます。
●大杉 司さん「ひたすらに歩く」
うーーん、私は決して陰気な人間ではないんですが、1日の言葉数が、もともとそんなに多くないんです。結構、笑うんですけど、1日言葉数の総量そのものが少ないんで、カウントすると、たいした回数じゃないんじゃないかな。そのせいなのか、どうなのか、ワアワアと言葉が溢れているところも、たくさんの笑い声が溢れているところも、わりと苦手ですよ。
だから、この詩で書かれている耳から入ってくる感じ、聞こえ方、なんかわかる気がします。
ところでこの詩なんですが、
人の笑い声や
電車の通過音
をかいくぐり、歩いて歩いて、歩き続けて、なにか光明と出会うのかと思いきや、その先にあるものも、
人の笑い声や
電車の通過音
で終わります。
最初と何も変わらない最後が待っていて、かなり絶望的な詩に感じました。
こんな終わり方もアリなのか?と、意外でした。
大杉さんは、私は初回だと思うので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルですよ。思いがけない、孤独を背負った詩でした。
●秋冬さん「消える」
おもしろいですね。消臭剤をたくさん配置したら、臭いのみならず、気配まで消えたという話で、さらには、消したかったのは気配ではなく、自分だったのかもしれない、という話ですね。
1回目の
消臭剤を芳香剤に変え、柑橘系の香水を軽くふるようにした。
のところなんですが、元が「消臭剤」一点なので、一点の交換、消臭剤と芳香剤の交換しか目に留まらなくて(それで終わりだと思って)、次の「香水」を、初見ではスルーしてしまいました。あとで香水をやめる話が出てきて、自分が最初、読み飛ばしているんだということにあとで気がつきました。そんな具合なので、ここ、やっぱり、二つ目も追加されてることを強調した方がいいと思います。
消臭剤を芳香剤に変え、さらには柑橘系の香水も軽くふるようにした。
こんな感じの方がいいと思います。
あと、「気分が優れない。」のあとを、連分けした方がいいと思います。
理由は、「気分が優れない」その余韻を持たせるためと、以降の内容が、2連の内容を反芻する形で振り返り、意味をより深く考える部分であるからです。
切り離した新・3連は、以下のような感じです。
もともと存在感が薄いのに、臭いを消したから、気配が消えたのだ。
しかし私が消したかったのは、臭いではなく私なのかもしれない。
残り少ない会社生活のため我慢、と割り切るつもりだったが、やは
り強い臭いに納得いかず、芳香剤を消臭剤に戻し、香水もやめる。
こんな感じです。この方が、前後が繋がりやすいんじゃないかな? 一考下さい。
うむ、やり方はこれで合ってますよ。
ただ、練度が足りないというか、散文詩用の文体に慣れてないので、内容を急いだところがあって、ゆっくりやれば、もっといい作品になったのにな、の惜しいというか、もったいない感があります。
まあ、そのへんはこれからですね。狙いはおもしろいんで、おまけ名作くらいにしときます。
●山雀詩人さん「雨」
ふーーーん、ステキな詩ですねー
最近、会話調を手に入れましたなー
時をおいてわかる、終盤もキレイ。
匂いがわかるようになった頃には、もう、あの子はいない・・・。
ちょびっとだけ、好意があったかな? 終連もキレイに書きましたね。
これ、いいね。名作且つ代表作を。
たしかに、「不思議???」を感じる子って、時々いるんだよね。読者それぞれに、そんな子を想いだして、読んでくれるでしょう。広く、読んでもらえる詩です。グッド!!
余談ですが、
私の近くにも、雨が降るのがわかる子がいます。
偏頭痛がするようです(気圧かよっ)。