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スレッドNo.1630

空月 ~「くらげ」とお読みください~ 暗沢

周知のことを述べるなら
ぼくらの仰ぐ空一面には
無数のくらげが浮いている

まあ そう慌てるな。
なにも驚くには値しない
重吉だって歌っていたし
大岡や青鞋の試みを経た二十一世紀じゃ
目を瞠るほどの事でもない
(これは誠実な抒景なのだ)

近頃じゃ上空から降りてきて
伸ばした触手をぼくらの首に絡め付け
頭からバリバリ食うなどという
物騒な噂まで流布する始末 いやそれよりも
気を付けるべきは眺めるあまり
疎かになった足元で
躓き転ぶことなのだが

霜焼けの三寒四温 高さは尚も残る
冬空から白いものがちらつけば季節外れな
そんな上方からぼくらは見いだす

寒さのぶり返す時節だから まだかすかな陽に
ひとつ ふたつと凍てつく脚も紛れていよう
しかし既にぼくらの頬を濡らすぼた雪の粒よりも
プリズムを輝かす彼らのかさの方が
圧倒的に空を占めるのだ

小さく夥しいのは鳴りを潜めて
次に目に付くのは 朝方の月ほどのやつら
ところで小さいやつらの行方 その仔細は省こう
霞じゃ腹もかさも膨らむまい
空に餌は少ないものだ

残酷だろうか しかしそれらのかさは
真空の名残ある陽の照射を和らげるのに
みな立派な働きを果たすのだ その成果である
ぼんぼりの仄かさを帯びることに成功した日差しは
駘蕩という語の裡には あれらくらげたちの紛れていやしないかという
好奇心を惹起させずにはいられないのだ

やがて 太陽のより間近な折
仰ぎ見る空がぼくたちに一等間近な時節に
見出すに違いない 古い人びとが天蓋と称した穹状の大きさ
それは他ならぬ くらげのかさなのだ

くらげのかさが空から蓋をするのだ
甚大なゼラチンの裡の内側を造形する
微細を極めた襞の密集を目にして
人びとはしばしば 宏観異常の誤謬を犯す

天蓋より伸びる億千 幾兆
阿僧祇の脚は 悠々たるかさの廻転に随身する。
纏わる小分身たちは 海溝における紅海月の秘術である
自己複製の不死を 蒼穹の只中で採用している
無と有との垣根すらも取っ払った 無尽蔵の遊泳
無数のかさと脚とが 明月にて光沢を帯びる夜。
その起動と 円環運動に規則性を見出した先哲は
星座という標を開発したのだ


浮遊する 空月(くらげ)
仰ぐのは 人間(なまこ)

海の底 転がりつつ上で浮かぶ海月へ愚痴を吐く
ぼくら 管なるなまこだ
二本脚と高級な脳髄を付随させるも
詰まるところは管であるぼくらなのだ

空の下と海の上
素知らぬていは相変わらずで
遊泳するくらげを仰ぎながらなまこは
底を転がりつつ あぶくを吐く


※三点、引用元を付記します。
黒柳召波『憂きことを海月に語る海鼠かな』
八木重吉『夜の空のくらげ』
ころんば『.』

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