アクチュアリー 香月
かつてわたしは貝だった
話さず動かず抗わず
荒波に揉まれる貝だった
ぴたりと閉じた殻の背を
過ぎる嵐が叩いて揺する
激しく響く癇声に
わたしは黙して転がった
流された沖の冷たさに
魚につつかれ気が付いた
暗いそこから出るために
短く固い脚を得た
砂地を掻いて浅瀬へむかう
わたしは小さな蟹だった
深い岩場の向こうから
さざめく水際の声がする
波の泡間に光が差して
ひらりと藻ずくのリボンが揺れる
脚を動かしはさみを鳴らし
わたしは蠢く蟹だった
押されて寄って引かれて退いて
波打ち際がわたしを運ぶ
押された先でつかんだ枝は
白く太陽に焼けている
つかんだ脚のその先を
乾いた流木があたためた
ふりそそぐ光をとりこんで
硬い甲殻を脱ぎ捨てる
とがった爪はそのままに
知り得た熱を力にかえて
はばたくわたしは鳥だった
吹き付け砂を巻き上げて
立ち上る風に背筋をのばす
かつりと鳴らしたくちばしが
潮騒をぬって初音をはいた
流された嘆きを 理不尽への憤りを
足と声を得た歓喜に変えて
すべてをつむいでとどろくそれは
長い旅路の歌だった
かつてわたしは貝だった
静かに歩く蟹だった
踠き歩んだその先で 熱と翼を手に入れた
はばたくわたしは鳥になり
旅路を紡ぐ風となる