桜になる 江里川 丘砥
大きな木がある
夏に通り始めた
毎朝歩く道に
球場の網を突き抜け
葉を茂らせる
大きな木がある
十ヶ月間
毎日
そばを通り過ぎた
春がきて
初めて
桜だと
気づいた
ただの木が
とつぜんに
意味を持ちはじめる
出会いや別れの思い出を
呼び起こす
はにかむきみと出会った日にも
また会おうと約束した日にも
去りゆくあの人を見送った夜にも
ひとり残されあてもなく歩いた河原にも
咲いていた桜
ほんのひととき
世界を手中におさめるように
見事に咲いては
あめかぜに散りゆく
ふたたび
葉を茂らせる
今日も同じ道を通る
大きな木がある
球場の網を突き抜け
太陽へと枝葉を伸ばす
葉の隙間から
陽の光をきらめかせながら
何年も前から
桜だったその木は
今年から
わたしにも
桜になった
来年も
また誰かの
桜になる