海のない街で 秋さやか
薄明をゆく
砂の城を壊してきた
公園の帰り道
あっさりと
繋いだ手を解くと
空を指差して
あの海に
いつか行きたいね
と言うあなた
そのみずみずしい言葉に導かれ
視線をあげてみれば
伸びやかにたなびいている
紺青色の層雲
たしかに海みたいに見えるけど
あれは雲だよ
と
少し遠慮がちに
わたしは告げる
そうなんだ
行きたかったのに
どこへも行けない
と思っていた幼少を
あなたに引き渡したくなくて
慌ててつけ加える
いつか行こうね
あの雲の向こうの
たしかに名づけられている海岸へ
いつ?
いつ?
と聞いてくるあなたの耳は
わたしの答えではなく
通り過ぎる列車が連れてきた
波音を聴いているのかもしれない
ママみて
と催促ばかりするあなたの瞳は
わたしではなく
小鳥のはばたきに煌めく
波しぶきを見ているのかもしれない
空の淵まで満ちてゆく
あなたの海を
あるいは海の底へと
深まってゆく彼方の空を
飛行機が渡る
灯火を明滅させながら
あの機窓におでこをくっつけて
こちらの街灯りを見つめる誰かと
あなたは
出会うかもしれない
未来と
過去が重なる
飛行機が
遠い星を横切るとき
長くなったあなたの髪を撫でると
脳裏に浮かぶ
凛と立つ床屋の母の理髪姿
家業を手伝い
家業を守り
どこへも行かなかった
祖母や母の
悲しい言葉に埋もれながら
それでも繋がれてきたのは
埋み火のように
息づいていた希望
引き潮のなかへ
星が流れ
砂浜の一粒となる
叶わなかった夢たち
いつか
あなたを待ちわびた海から
飛び立つための
風が吹くだろう
その冷たさに
内側の熱は光るのだから
やがて降りだす雨に
ゆくさきの水平線が
滲んで消えてしまいそうなときには
目を閉じて
この懐かしい昏さを
思い出して
そこにあるかつての足跡が
あなたの踏み出す一歩を信じている
いまあなたが
振り返りもせず
あたたかな眼差しを
信じているように
ひらかれてゆく時間と
終わってゆく時間の
狭間を埋める
眠そうにたわむ送電線から
夜は滴り落ちてきて
足元の影が
闇に浚われるその前に
あなたと手を繋ぎ直して
進んでゆく
ここは
海のない街だけれど
空の海には
行けないけれど
空を支えながら
どこまでも続いていく
この鉄塔の終わりは
海かもしれないと
ふとおもった