◎4月18日(火)~ 4月20日(木)ご投稿分の評と感想です。 (青島江里)
4月18日(火)~ 4月20日(木)ご投稿分の評と感想です。
☆歩く 朝霧綾めさん
最近、通勤中の道でよく感じていたのです。私がいつも歩いているこの道には、私以外の人もたくさん歩いていて、そして、過去にも何人もの人が歩いていたはず。どんな人が、どんな思いで歩いていたのかと。拝見させていただいた時、詩のデシャブかと思ったほど、気持ちが重なりました。
いつもの夜道をいつものように一人で歩くところから始まり、二連目の次への場面への進み方がとても面白いです。
夜をこえて 朝が来て 昼が来て
地球が一周回ってもなお
歩き続ける
永遠に歩いている
365日、
この部分のスライドのさせ方、とってもお上手だなぁと思いました。
夜道を家に向かって歩いて、次の日も歩くっていうところは普通にあるのですが、そのまま「地球が一周回ってもなお」ってしたところが面白いですね。そうかと思うと永遠になって、異次元の世界に行ってしまいそうな気持ちにさせられるのですが、365日っていう言葉が登場して、また現実の世界に戻されて。そしてそのまま現実の世界の現在かと思いきや、過去の私になっているところは、さっき言った異次元の世界の感覚があったから、全然不自然に感じられず、そのまま普通に読めてしまいました。次元の調整の仕方に無理がなく、「歩く」ということただひとつに書き込んでいるひたむきさも感じられるので、「歩く」の連続につま先の、道を踏みしめる力も感じさせてくれました。
過去に生きたいろいろな人を思う気持ち。そのあとの我に返る表現もよかったです。
立ち止まる
唯一聞こえていた私の足音が
ぱたり 消えて
何も聞こえない
人々の影が動く気配を感じるだけ
最終連では未来を感じさせてくれる表現でまとめていらっしゃいますね。現在過去未来。道を歩いていくという作品だけど、人が生まれて生きるという人生について、ほろっとさせられる作品でもありました。佳作を。
☆色彩、思い込み、隠し事、盲目 成城すそさん
春と言えば桜。この時期、TVをつけると、CMも桜。もちろん外も桜。最近では、世界中に「花見」や「桜」がたくさんの人に広まって、深く生活に密着するようになってきましたね。より一層、桜を通して感じることも多くなってきましたね。
一連目。「桜の色に息が苦しくなる」となっています。ですが、二連目では「鮮やかな桜の色に何故か安心する」となっています。息が苦しいはずなのに、ほっとしているとなっているところ、ちょっとわかりにくい気がしました。おそらく、この二つの言葉の間に何かが抜け落ちているのではないかと思いました。そこで考えたのですが、結果、二連目の「春の陽気に首を絞められる」と「鮮やかな桜の色に」の間に「「苦しかったはずなのに」をいれたらどうかなに辿り着きました。
四連目「柔らかい」ですが、全然このままで大丈夫ですが、「やわらかさ」にすると、柔らかさののイメージがもっと強調されると思いました。五連目の「下に咲く」ですが、「あしもとに咲く」とされると、やわらかな響きになると思いました。そして、桜の美しさに目を奪われてしまったと、桜の美しさを強調したいとされるのでしたら「気づけないまま」は「目をやることも忘れて」や「うつむくことも忘れて」にいうような感じにされてもよいかなと思いました。
桜の花びらを詩の中でたくさん感じることができました。この作品の中で私は薄紅色の桜のお花見をすることができました。息がむせぶくらいのたくさんの桜の花びらを見せてもらえました。鮮やかな花びらの色に未来をみつけるっていいですね。顔を上げて見つめ続けるだけで明るい気持ちになれるっていう、桜咲く春の発見。とても素敵な気付きだと思いました。
☆フェデリコ フェリーニの映画ー道ーを見て 森山 遼さん
フェリーニの映画ー道ーの映画を拝見したことはありませんが、作中の内容から感じることは、ジェルソミナという方は、ズルいとか、計算高さとか、そんなこととは全く無縁の心の清らかな方で、信じるものがあると、誰に何を言われようが信じ続けるという強さもあって。人のために心の底から泣ける優しさも持ち合わせていて・・・・・・そんな女性が思い浮かんできました。勝手に思ったことなので、もしも、全く筋違いの世界を想像していたらおゆるしくださいね。
愛に一番近い人は
いつもこの世で 一番 悲しい
ひとだから
愛に一番近い人・・・・・・一人の人をなりふりかまわず好きになって、悲しい思いをされた方なのかもしれないと思いました。
悲しい映画のように思うけれど、ジェルソミナという人の無垢さが人に何かを与えてくれるような、そんな人生について考えさせてくれるような、そんな映画なのかもと思いました。もしも機会があれば観てみたいと思いました。詩にして残したいと思うほどの気持ちを書かれた作品。今回はそのような思いには何も触れず、そうっとこの場の席を立ちたいと思います。
☆オトとコトバ 山雀詩人さん
音と言葉の物語。音楽ってことですよね。おそらく、言葉がお兄ちゃんかお姉ちゃんで、音が妹か弟なのかなって思いました。言葉に音をのせて、踊りながら人の祖先は歌ったのではないかと推測したりした、そんな子供の頃の記憶もよみがえってきました。
全体的には、長編ではないのですが、なぜか長く感じてしまうところがあって。私なりに考えてみたのですが、「言いました」「なりました」の並列が多すぎるのかな。読んでいくと単調になってしまうのかもしれないと思いました。こちらを変えていくと、書いていることについても、おそらく、整理をした方がよいことが出てくると思うので、感じも変わってくると思いました。
ふだんは音楽を、音と言葉ってばらばらにして考える機会は少ないから、そんな風に感じないと今回のような作品の内容は浮かんでこないと思いました。ちょっと大げさな言い方になってしまうけど、今まである新しい芸術って、こんな風に生まれてきたのかなって。お互いの弱点ばかりせめて優劣を競い合うのではなく、お互いの良いところを認め合って一つになっていくということから生まれるのっていうことなのかと。そのようなことも思わせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。
☆愛情 埼玉のさっちゃんさん
あぁ、春だなぁ。心の春というか。
「春の陽気に誘われて愛を育みたくなる」
こんなにストレートな気持ちを持ち合わせている人とお付き合いされている相手の方は幸せなだと思いました。
あたたかい春の陽気。最初は「愛する心を深く深く閉じ込め」ってなっていたのに、ラストでは「素直になれる午後の日だまりの中で」ってなっていますね。冬ならこうはいかないような気もします。春の光がそうさせてくれたのかもって思いました。愛情を直球で投げかけてくる、純粋な作品。
満面の笑みで私を迎えてくれた/そして/頭を優しくポンポンと叩いてくれる……の部分ですが、頭を優しくポンポンと叩いてくれたとすれば「そして」を省略することができ、さらにリズム感もでてきそうです。
「この優しくて何気ない時間が愛おしく感じる」と「春の陽気に誘われて愛を育みたくなる」の部分ですが、「愛おしい」や「愛をはぐくみたい」を用いずに、読み手に「すごく愛おしいんだなぁ」「愛を育みたくなるよなぁ」って想像させてくれる表現に置き換えることができればさらによいものになると思いました。
一緒に住んでいるのに待ち合わせ。ここがこの作品の中で一番の核だと思いました。新鮮と去年と同じようだけどちがう、新しい春と重なりそうなモチーフでした。隠そうとしても隠しきれない気持ちが伝わってくる、ただ純粋に人を思う気持ち。とても微笑ましい作品でした。今回は佳作一歩手前を。
☆「都会の空」 万年 草さん
*事情は伺っておりますので、これ1回に限りで、評をつけさせて頂きました。
空を見て誰かを思う。それは空がひとつにつながっているから。だからそう思えるのですよね。詩の始まり。そのようなことを感じさせてくれる一連目になっていると思いました。そして二連目は星について。星は星でも瞳の中の星のさらにその中の希望の星ですね。どこかでいる思い人がどのような人であるのか。静かに浮かび上がってきました。
四連目。五連目。この詩の中で一番印象深い連になっていると思いました。私にはこう伝わってきましたよ。空は広いけど、都会の空は違うと思うよという気持ち、星はあるけど色がちがうのだと。街の中のネオンはたくさんあってきらびやかだけど、希望の光のような鮮明なものではないのだと。でも探せばどこかにあるのではないかと。自分の気持ちを独自の描写となるように、ゆっくりと言葉を選んで表現されているなぁと感じました。
あと、細かいところになりますが、こだわりがなければ、修正された方がよくなるかもという部分は以下です。
一連目。どの空の下→どんな空の下、或いはどこかの空の下
三連目。見ているのだろ→見ているのだろう
街の中はたくさんのネオンのせいで、本当の星を探すのにも一苦労ですね。夢のために頑張って生きている誰かと、その人の夢にまた希望をもらっていそうな本人と。一続きの空を感じられるからこそ生まれてくるものがあると思いました。
勇気をもってのご投稿、おつかれさまでした。生きていると色々とありますが、どうぞおからだにはお気をつけて。よき希望を見つめることのできる詩生活をおくることができますように。
☆はなうた 鯖詰缶太郎さん
若い人に向かって、自分の心の中で説教をするシーンが始まったと思うと、読み進めていくと微妙に世界がずれていって、なんだか日常とは微妙に空間に連れていかれます。
ほんと、六連目あたりからのこの独特な言い回し、面白いですね~。若い人に向かって訴えている内容は、筋が通っていて、その通りのこと。一連目から五連目までのような、世間一般の真面目な表現でずっといくのと、いかないのとでは、今回の作品では、全く入ってくるものや、関心の度合いが変わってくると思いました。けれど、このような独特の言い回しをあてはめることって、難しいって思うのです。でもあてはまってしまった(笑) それは、説教をするおじさまのキャラも際立っていて、これが説教じみた感を一掃してくれることも、影響があるのではないかと思いました。
そんなキャラのおじさまを想像しつつ、読み進めていくと、このおじさま、ただ説教をするだけのキャラではなく、心の中に熱いものを秘めている人ではないかと思わせてくれたりするところもあって。しっかりとしているのかと思えば、ちょっと抜けたところもあって。いいようのない人間臭さを感じさせてくれたりするところもまた面白く。
書かれている内容は結構深いのに、こんなに肩の力を抜いて読ませてくれることに不思議さえ感じました。佳作を。
☆可愛い子馬が産まれました 紫陽花さん
馬ってかわいいですよね。特に子馬となるとなおさら。特にあのきれいな目が。そのような純粋なもののたとえとして、子馬を重ねられたのかなと思いました。生まれたての初めての世界。自分の足で立とうとしてどうにか立つことはできるけれど、どこかたよりなげに震えたりしているような、かわいい子馬の姿は見守りたくなりますよね。
ユニークな発想ですね。う~ん、この子馬という言葉の登場先なのですが、一連目の自己紹介という言葉と、子馬が生まれるという事柄をすぐに結び付けるということ、私はちょっと難しいような気がしました。二連目で牧場で子馬が誕生したということではないということがはっきりするのですが、一連目でこのまま登場させるのなら「子馬のように」にする方が自然な感じがしました。
ですが、三連目での子馬の意味の表現の仕方はとっても素敵だなぁと思いました。こういう感じのことを一連目でもってきたら、そのまま後の出来事にももっていけそうと思いました。
私は私を撫でながら
産まれてくるだろう
子馬を想像しています
緊張を落ち着かせるための所作を、馬の出産を手助けする牧場の人の手のように思うなんて、そうですね。そんな風に思えば緊張もいくらかほぐれるかもしれないですね。私も試してみようかな。とっても温かみが伝わってきました。自身をいたわる気持ち、優しさが感じられました。
新しい場所で新しいスタートをきる新しい私。春のぬくみも感じられる純粋な作品。今回は佳作一歩手前を。
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寒暖の差が半端ない。ジェットコースターのようなここ最近。老若男女問わず、ついてゆけず、だるさで困っている方も多いみたいです。疲れた日には、レモンの無糖炭酸水のお世話になっています。とりあえず、気持ち的には効いている(笑)
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。