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スレッドNo.2107

5/9〜5/11までにご投稿分の評と感想です。  井嶋りゅう

5/9〜5/11までにご投稿分の評と感想です。
ご投稿された詩は、一生懸命書かれた詩ですので私も一生懸命読ませていただいておりますが、上手に意味を読み取れなかったり疑問を書いたり頓珍漢な感想になったりする場合もございます。申し訳ございませんがそのように感じた場合には深く心に留めず、そんな読み方もあるのだとスルーしていただけると助かります。どうぞ宜しくお願いいたします。

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「四時間の永遠」エイジさん

エイジさんこんにちは。
透析お疲れ様でございます。透析の時間は四時間。四時間ものあいだ、じっと横になってエイジさんは色んなことにいつも想いを巡らせていますね。永遠とも思われるその四時間で、「とき」とは何か、とても壮大なことを考え感じている、その思考がとても美しく、苦痛などまるでなくて、ぽんと宇宙に飛び出して漂っているかのようにも感じられて、実は心地の良い詩でもありました。本当はとてもお辛いのだろうと思うのですが、エイジさんの発想が読み手にそう感じさせなかった、これは生きるうえでの知恵のようなコツのような。そんな一面をお持ちであるということが、今回のエイジさんから感じられました。とても素敵なことだと私は思いました。エイジさんの詩は、難しい言葉を使わずにじっくりとじわじわと読ませるので、読み手にゆっくりと浸透していくところが魅力だと思っています。この調子でまた頑張ってください。佳作といたします。


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「自由」紫陽花さん

紫陽花さんこんにちは。
良い詩ですね。「私の自由」「画用紙の自由」「娘の自由」、この発想、面白いです。確かに、毎日は真っ白な画用紙に自分を刻み込んでいくことに例えられますね。どんな絵が出来上がっていくのかは未知ですが、自分の好きな色なら選べる。マゼンダいいですね。同じように娘さんも、真っ白な画用紙を持っている。「私」のように、好きな色で好きな線を描いていくのでしょう。時に助言は必要ないこともあるかもしれません。
「娘の大事な余白を/潰してしまっていたようだ」ここがとても良かったですね。こういう気づき、素敵です。
ところでこの詩、ちょっと面白い書き方をしていますね。「私」と「娘」さんとはっきり分けた書きかたをしていました。混ぜ合わせて書いてもよいところをはっきりと線をひいている。意図したものかどうかは定かではありませんが、書き方自体からも「自由」を伝えたい意志のようなものを感じました。佳作といたします。


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「土と生きる」喜太郎さん

喜太郎さんこんにちは。
とっても良い詩だと思いました。土を耕し種を蒔き芽が出て実がなり収穫する。来る日も来る日も、いちにちとて同じ土の状態がないことを確認しながら世話をし続ける。これは人が「生きる」ことそのものを描いているのだと思いました。土と生きることは人生を生きることの例えのよう。変哲のない毎日をこつこつと歩んでいくこと、起きる出来事に一喜一憂しながら感情を調整し、心の養分と変えて成長していくこと、時には実がならないときもあって落胆したり諦めたりやり直したりしながら、折り合いをつけて生きていくこと、そんな思いがこの詩の土台にあるような気がいたしました。
土を触っていると心が整っていくような気持ちになります。土ってとても気持ちが良くて癒し効果もあるような気がしています。本当に「土と生きる」ことって理想だなと私は思いました。とても良い詩でした。とっても佳作といたします。


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「細い枝」カジノマユさん

カジノマユさん初めまして。
井嶋りゅうと申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
どの連も表現がかっこいいんですよね。特に4連目はすごく好きでした。何度か読んで浮かんだイメージは、見上げた月が水面にうつっているようなイメージ、森の中を彷徨っているようなイメージ、でもコンクリートを這っているようなイメージもあり、浮遊するようなイメージもありました。ふと浮かぶ映像が作者さんにはあってその映像の連なりなのかしら?とも思いました。連と連を接続するものを見つけられず、キーワードは「細い枝」なのかもしれませんが、上手に連想していくことが、少し難しかったかなと思いました。すみませんでした。各連の表現は煌めいていて私は好きだったので、この煌めきを大切にしていけたら、と思いました。どうもありがとうございました。またぜひ書いてみてくださいね。


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「変身」鯖詰缶太郎さん
鯖詰缶太郎さんこんにちは。
「変身」と言えばフランツ・カフカですが、こちらの詩は、巨大な虫ではなく「サハラ砂漠を照らす/曙光になっていた」のですね。とても美しい景色が初連から広がっていて、4連目「昨日の夜/私の命は尽きようとしていたのに」目覚めたら曙光に変わっていて、仮に夢だったとしても、こんな夢で終わっていけるなんて、素敵ですよね。5連目、7連目がとても良いですね。そうか、いい人たちに出会えてきたからなんだなあ、としみじみ感じ入り、8連目を読むと、自分の最後が誰かの最初の光となって誕生を歓迎するかのように見守って去っていく、その時はきっと自分は笑っていて、世界一幸せものであるのだと、そういう幸福な状況が最初から最後まで途切れず感じることが出来ました。もしかしたら、死の肯定をも書かれていたのかな?とも思いました。とてもあたたかく幸せな気持ちになりました。佳作といたします。


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「タマゴ」じじいじじいさん

じじいじじいさんこんにちは。
そうですよね、同じタマゴでも、雛が孵るものと孵らないものがありますよね。スーパーで売られてるものだから食べるタマゴ、生タマゴのことですよね。大人はもちろん知ってますが、子供からしたら不思議でしかたないかもしれません。だから雛が孵ると思って大事にあたためた、そんないじらしい子供の姿を書いているのだと思いました。きっとその大切な違い、あるいは子供の困惑だけをじじいじじいさんは書きたかったのではないでしょうか。もしそうだとしたら、はい、きちんと伝わっています。これが仮に授業だとしたら、「なぜスーパーで売られてるタマゴはヒヨコにならないのか考えてみましょう」と先生が言いそうです。その答えがこの詩の中のせんせいが説明していてくれたら、なお良かったかなあ、と思いました。この詩は、と言いますか、じじいじじいさんの詩は、もしかしたら大人の読み方をしてはいけないのかもしれません。例えばタマゴをママからもらったのではなく、冷蔵庫から勝手に子供が拝借した、というほうが私はスムーズに想像できそうです。また、ママは子供に生タマゴを渡すのがちょっと不安じゃないかな、落としちゃわないかな?とか、何日も温めてるようですが、ママが気づいて教えてあげないのかな、とか、私はついついそのように考えて読んでしまうんですね。でも、私の読み方が少し違うのかもしれないなと今回思いました。良いと思いました。佳作一歩前ですね。


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以上、6名のご投稿者さんでした。
どうもありがとうございました。
また次回もどうぞ宜しくお願いいたします。

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