母であること
私が鮭であったなら
卵を産んだすぐ後に
私は務めを果たしたと
川の流れに安らかに
流され終わっていけるでしょうか
いえいえ
それは無理でしょう
出来ることなら
稚魚になり
そのまた先の成魚になるまで
見守り続けていきたいと
しょっぱい涙を流すでしょう
私が風であったなら
自由自由と歌いながら
世界の空で踊るでしょうか
いえいえ
そうはしないでしょう
あなたのそばで梢を揺らし
桜を舞わせ
風鈴鳴らし
冬の時には窓にいて
一人じゃないよと言うでしょう
たとえ異国に行ったって
あなたの元に舞い戻り
土産話をするでしょう
私が母になった時
私は一人で静かに泣いた
我が子のくれた温かく
重い十字架背負いながら
これから死ぬまで
死んだ後も
ずっと我が子の心配を
し続け歩いていくのだと
産後の眠りの中で泣いた
私が母でなかったら
いえいえ
それはないでしょう
妻でなくても
老いて忘れても
母親らしくないと言われても
私はやっぱり母なのです
我が子の寄る辺
最後の守り
私はやっぱり母なのです