深淵の底には 積 緋露雪
不図気を抜くと私の眼前には
底知れぬ闇逆巻く深淵が現れる。
これが幻視に過ぎぬとは解りながらも
既に年端のいかぬ頃より
この深淵が現れてゐたことを思ふと
強ち幻視ではすまぬ夢幻空花(むげんくうげ)の一種なのかも知れぬ。
しかし、仮令、私の目が病んでゐたとして
幻視が見えるのであれば、
それはそれで問題である。
私の幼い頃の写真を見ると、
全てが正面を向かず、左側に顔を向けて、
横目でCameraを視てゐる写真ばかりなのである。
すると、私は約直角に焦点がずれてゐて、
世界を正面では視られず、直角に顔を横に向かせて世界を覗き込んでゐたのだ。
これが何を意味してゐるのかは余り意味がなく、
今以て私は視界の端に、つまり、正面から右直角のところに
よく白い影を見ることがあることを示せば事足りるだらう。
そして、正面を見れば闇の深淵である。
何時の頃からか私は横を向いて正面を見ることはなくなったが、
それは闇に対して怖いものではないと実感したためだらう。
その闇は墨をすって水色から次第に墨が濃くなった時の漆黒に似てゐて
澄明でありながら闇の色は濃いのである。
その闇が私の眼前では何時も渦を巻いてゐて
消ゆることはこれまで一度もなかった。
ある時、私は興味本位でその闇の渦に顔を突っ込んで
底を覗かうとしたが、
その闇の渦は底無しなのか、闇だからなのか、
底は一度目は見えなかった。
その底が見えたかなと感じたのは、
私の内部から光が湧き、
目玉の視界の周縁をぐるりとカルマン渦のやうに回り出した時に
闇の中でもものが見え出し、
眼前の闇の渦の深淵の底が見え出したのである。
しかし、底といっても、
その闇の渦は底で何処かで繋がってゐて
渦は底の底でも渦を巻いてゐたのであった。
ある時、私はその渦は私に繋がってゐるのではないかと思ひ出し、
私の目玉に湧く光はその闇の深淵が
生んでゐるのではないかと思ひ出したのであった。
闇が皮袋の闇に入ると光に変化する。
しかし、それが何故なのかは解らず仕舞ひであった。
ところが、後年、Black holeなるものの存在を知ると、
何か合点が行くのであった。
つまり、Black holeとは呼ばれてゐるが、
その内部は光に満ち満ちた強烈な光が輝く光の渦に違ひないと
私はBlack holeを看做したからである。
だからといって私の眼前の闇の渦が
Black holeである保証はないが、
しかし、パスカルも視てゐたであらう深淵は
多分、私の深淵とそんなに違はないと思っては
自らを自慰してゐたのであるが、
しかし、今ではパスカルが視てゐた深淵と私の深淵は
同じではないかと思ってゐる。
その深淵の底では光が生まれ続けてゐて、
それが私の目玉に湧いてきて、
私は闇の中でも目が利く
野生を身に付けてゐたのであった。