感想と評 6/2~6/5 ご投稿分 三浦志郎 6/10
1 freeBardさん 「タンポポ」 6/2 初めてのかたなので、今回は感想のみを。
よろしくお願い致します。ひと言で言うならば、この世界の捉え方でしょう。アプローチとして細部ではなく包括的に。二元論的部分もあって、ありていに言えば、人間とこの世界の対し方について、偉大で進歩的な部分と人間の持つろくでもない部分の交錯で詩は進行するようです。分量から言って、ひとつの詩から、あと二つほど別の詩が取れそうな気配もあります。これは何を示すかというと、論理や修辞が四方に飛び散り、もう少し「核」が欲しいとは言えそうなんです。砕けた文体で書かれていますが、論調は意外と前向きなんです。特に後半です。「それでも進歩も~」あたりからですね。ちょっと過激に言ってますが、胸の奥にはそっと許容がありそう。エンドに近づくにつれ、その思いは高まり美しささえ備わります。エンドの2行は全く同感ですね。想像力もありそうですし。普通の文体で書いても、なかなか読ませるタイプな気がします。また書いてみてください。
2 晶子さん 「柔らかくうごめく」 6/3
ユニークな幼児論を詩で包んだ感覚が秀逸です。しかも幼児の側、論理に立って描かれる。
世にありがちな「可愛い、可愛い」だけの詩に非ず。考えてみると幼児の周りは危険な世界に満ちています。誤飲・転落・迷子・誘拐・病気。いわゆる”親がちょっと目を離した隙に“というアレです。この頃の子は論理・感情よりもむしろ本能で動くかもしれない。本能によって世界を掴もうとする。本能によって初期論理を組み立てようとする。その象徴が以下の言葉……。
なぜイスは硬く私に当たったのか
この詩におけるこのフレーズは大変重要です。幼な子のセリフとしても感覚的におもしろい。「君は怒りながら泣く」以降、全てが重要なのです。冒頭場面とも連動させ、痛覚によって世界を手探りし始める。すでに世界と繋がっている。それはイスであり母親であり周りの大人達でしょう。やや辛口ながら、世の若いお母さんたちは時にこんな視点があってもいい。(かわいい、だけじゃイヤよ)、そう幼児は泣くのかもしれない。思わぬ方向から詩が来た……!思わず佳作。
3 エイジさん 「悲しみの花」 6/4
冒頭2行。人の一生をある一定方向から観ずるならば、充分そう言えるわけです。
初連では「何故、赤い花=悲しみなのか? 青ではいけないのか?」といった、やや揚げ足取り的な感想も持ちながら読んで行きます。まずまず納得できるのです。続く2蓮。「赤心」が目を惹きます。これは故事成語で「偽りのない真心」とでも言いましょうか。さて、悲しみと真心の相関性です。付きそうで付きづらい、何かもう一つ、二つ媒介する考え方を持ってこないと整合しにくい、そんな気がするわけです。3蓮では死の問題。そこに含まれる「不滅の種子」と「復活」がイメージしにくい、ということがあります。肉体は滅んでも名は残る(つまり世上の名声のようなもの?)ということなのかどうか?終連は冒頭のテーゼを再録しているので、まずまずイマージは繋がっていきます。
普通に読めば、とてもきれいな詩なんです。あえて付け加えるとすれば、以下のようなことです。
今まで地道に培ってきた詩文体としての抒情美は申し分ないです。今回、書いておきたいことは、島さんが折に触れ言われる「思考や論理性を書く際の注意点」のような感覚です。そう考えて行くと、一般論としてやや悲観的に書くと、詩とはあるいは論理性が苦手なのかもしれない。論理性を貫くには、あまり適したシステムではないのかもしれない。そう思えるほどです。これは、ひとりエイジさんだけのことではなく、詩の全体像に関わってくる気がしています。それをどう乗り越えていくか?そろそろエイジさんもそんな境地に差し掛かったようです。これは高度なレベルと言えそうです。評価は文体面で佳作。論理性で佳作二歩前。総合して佳作一歩前という地点だと思います。
4 妻咲邦香さん 「省略される」 6/4
僕はタイトルもさりながら、途中頻繁に出て来る「途中」に興味を持ちました (こっちのほうが多いかもしれない)。3蓮までは比較的、具体事例でイメージすることができます。路上、AとBが相対している。讃え合いでもいいし口論でもいい。両者にとっては始まりがあり、ちゃんと終わりがある。それを見ていた行きずりのCはその途中を見せられる。一瞬の現象だけを見せられる。その場面が自分にとって途中であり何を意味するかもわからない、たとえばそんなイメージ。さて、それ以降、読み手の僕は何処へ行こうか?「省略」です、「省略」です!ちょっと負のイメージのあるこの言葉に少し長所を与えたい、「省略≒要約」としてみてはどうか?ある論を全て解説されてはたまらない。専門的・難解・時間かかる・だいいちウンザリする!そこで要約です。それは美しく整形された省略かもしれない。僕たちは「省略~要約」のお陰で世界と向き合っているのかもしれない。そんなフィーリングもこの詩中には含まれそうです。さて、僕の中で難しいのは、この詩に見る「省略と途中」の関係性です。その秘密は4蓮・5連に隠されている気がします。不思議なのは、省略肯定的な詩中にあって、最後は”省略から解放されたい“思いが綴られます。これを恋愛詩と見るならば、これは自然な事と思われます。なんだかよくわからなくなってきた。まだ書きたいことは山ほどあるのですが、紙数の関係で無理やり終わらせます。ただ、読み応え・考え甲斐ありで佳作です。
アフターアワーズ。
論理性・思考一発の詩は難しいものですが、妻咲さんの場合、抽象性というベールで読み手の論理的・正論的追跡を見事に晦ます、逃げ切る、無風地帯に入る。これは良い意味でも悪い意味でもコメントしたい(笑)。しかし、その両面性あってこその詩であるでしょう。
5 まるまるさん 「大人になるということは」 6/5
「2」 晶子さんの描いたものが人の最初期の関所とするならば、こちらは第二、第三の関所かもしれません。こちらもやや辛口ですが、少し突き放したニュアンスが感じられなくもない。それも教育。
お子さんのささいな事例で詩は進行しますが、僕の解釈としては、二通りの意見が考えられて……
A……子どものことなんだから、そこまでキツく言わずとも。軽く言っておけば?
B……いやいや、子どものことだから、最初が肝心。しっかり教えておいたほうがいい。
読めばわかる通り、この詩はBの立場を取ります。僕はどちらも適していると思っています。ただ選択の問題だけです。ただ個人主義の強い欧米では、このあたり、しっかり教育しそうです。
Bについて考えます。文中にもある通り「一部の犠牲を払って」「友達の傷みの上に」自分としての大人がある=自分自身が存在する。この課題はこの詩の子供の場面から発して同心円上に発展、拡大解釈すると大人の世界でも充分当てはまることです。これ、大人でもけっこう難しい課題ではあります。この詩の興味ある点は、言っている親御さんもその事に気づいて、自分への疑問ともしている点、読みごたえを見出せるわけです。大人さえ誰しも言い切れないことだと思います。ややシビアなテーマ、フィーリングですが、甘め佳作で中和しておきます。
6 ベルさん 「一秒」 6/5
「一秒ごとに色を塗る」―なかなか風変わりな隠喩でしょうが、時間と人生のひとコマに関わる点、なかなか高度なものを感じます。「懸命に」「前を向く」「暇はない」そして辿り着く「それは今はいい」―ここ、清々しく響いて僕は最も好きですね。若さの典型を感じたしだいです。時に想い出に戻ることもあるけれど、この詩はあくまでカラリ乾いている。「一秒」を思いながらも「さよならバイバイ」
あんまり品のある言葉ではないんですが「ケリの入った」というのがあります。「物事の決着をつける」「けじめをつける」といったフィーリングなんですが、この詩、決着ついてますね。それが「さよならバイバイ」―むしろ爽快。全篇に一生懸命さが漲っています。それを「一秒」が代表するかもしれない。ふとした終連の置き方も逆に効果的。いい意味で甘さが取れてきた。こういう方向性もアリですね。佳作。
アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらに書きます。冒頭3行目「だただた」は「ただただ」のことではないでしょうか?(それとも合ってる?擬音?) あと終連「想いで」は「想い出」にした方が読み間違いを避けられます。
評のおわりに。 付録 秋冬さん「時との対峙」
秋冬さん ご報告ありがとうございました。せっかくなのに出席できずに、ごめんなさい。
そうですか、良かったです。おめでとうございます。
「時との対峙」……前半は普通に読んでしまうのです。この詩が俄然、表情を変えるのは「医師から~」以降です。
これは実は父への為の時間との闘いだった。最期は時間の観念も捨てて父の「今」に向き合います、立ち合います、看取ります。
この詩を初めて読んだ時、(そうだったのか……)思わず唸っていました。
その気持ちは今も変わるところがありません。 では、また。