感想と評① 7/1~7/4 ご投稿分 三浦志郎 7/8
1 じじいじじいさん 「こころ」 7/1
小売業・サービス業・接客業では接客七大用語というのがあるんですが、この詩はこころ表す三大用語といったところでしょうか。前者は制度化、規律化されたものですが、後者はあくまで自然な感情の表出であり、この詩もその範疇にあります。1連目「かんしゃ」が、この詩の設定年齢の子どもが使うかどうか、少し引っ掛かりますが、それはスルーしましょう。2、3連で「みとめる」が重複するので、3連は「はげます」くらいにして、バリエーションをつけたいところ。一番注目したいのは4連ですね。この相互性は早いうちにわかっていてほしいものでしょう。ここ大事ですね。恋愛の「すきだよ」はまた違うものであることは、歳と共に、おいおいわかってくるものでしょう。
終連はシンプルにまとめ。いいでしょう。甘め佳作を。
2 麻月更紗さん 「テッセン」 7/1
調べたところによると、クレマチスとテッセンは詳しい人が見ないとわからないくらいに“似ても似つく”んだそうですが、とりあえず
テッセン花びら6枚。クレマチス花びら8枚~
のようです。しかし「似ても似つかない」とはこの花、何でしょうねえ?島さんならたちどころに答えを出しそう。花の色とか形を書いてもらってもいいですね。名称の勘違いも含めて、この詩のお母さん、いい味出してるじゃありませんか。「愛すべき初心者ぶり」と言ったところか?かくいう評者も最近、園芸の真似事を始めたのですが、まんま、お母さんと一緒で、親近感というか、妙に励まされたというか。ひまわり植えたのも一緒。
いっぽうで、「一応、言って」みたけれど、どこか気後れ気味の主人公さんもなかなかの雰囲気。
両者の醸す、釈然としない感、あいまい感、不思議感、あっけら感が、かえって愛すべき詩に仕上がったと思います。いや、楽しく読ませて頂きました。佳作一歩前で。
3 妻咲邦香さん 「雫(しずく)」 7/1
前回と今回、妻咲さんの中で作風変換のようなものがあったように思います。それで僕のほうも少し変更します。つまり、今まで無関係性の中で、それでも輝いていたようなアクロバット的比喩、そういったものを期待していましたが、それらを少し後方にさげて論じたいと思います。
さて、この詩、まず光のあり方です。擬人法とは少し違うのですが、それを何か、生身の、生あるもののように捉えていること。次に「私」です。これは普通に人間と捉えていいでしょう。両者はファミリアーな関係にあるけれど、どこかよそよそしい、決定的に何かが違う。もうひとつ絶望的に違うものがあって、それは光と星。もちろん、この詩の本心は全くわかりません。ただ大づかみに言えば、そんな感じなんです。終わり近く、二つの光が離れていくさまが描かれますが、星を目指したのでしょうか。しかし「すぐに~戻って来る」という。それは前記、光と星の決定的な違いに由来するものでしょうか?結局、この詩は意味の全貌を掴めないまま、終わります。仕切り直しの意味を込めましょう。
佳作一歩前で。
4 galapa(滝本政博)さん 「新米のレジ打ち」 7/1
まずもって「おつかれさまです!」と本心ご挨拶したいです。
評者は若い頃、10年ほどスーパーに勤めていたので、レジの大変さ、重要さがよくわかるのです。
詩は1、2連のリアル。レジ打ちになった背景とその実務。特に2連ですね。覚えることの多いこと。臨場感あります。レジシステムとは複雑化と軽減化のせめぎ合いの場。加えてスーパーのレジは「行列が常態」です。これに耐え得る心理が大変でしょう。当初は当然のように3、4連でしょうね。結果としての終わり2連です。還暦過ぎて、瞬時の判断、行動が必要で、ひとつとして同じ事例がない職種とは本心畏れ入りました。これはですねえ、詩の優劣やモチーフの良否を越えている。この環境への挑戦はGREATと言う他なし。技術論で言うならば、galapaさんの作品群では、裏も表もない、額面通りの詩なんですが、そんなことはどうでもいい。上記したように“越えて”います。
今回、免許皆伝を得ました。大変喜ばしいことです。過去の作品が皆伝達成を雄弁に物語っています。それら作品が激励・祝福しての佳作です。
5 cofumiさん 「それは10年前の恋」 7/1
タイトルは10年前ですが、7年前から“こっち”に来てるのは、何かわけがあるのかな?
そんなことを思っていましたが―。まあ、深くは考えますまい。年ごとに連分けされてるのに、アイデアを感じました。それぞれに個性的な味付けの詩行が並んでいますね。初連は粋でおしゃれな感覚だし、2連の後半3行はドキッとさせられますが、これも、まあ、深くは追いますまい。
ちょっと奇妙に思ったのは5年前は、「昔の男のことなんて/忘れてしまった方がいい」なんですが、
3年前では仲睦まじい感じなんです。(ここ、何だろか?)
紙切れのような恋だったと
燃やした振りをした
ここの表現、好きなんで書いてみました。ただ、ここ、「燃やした」の解釈の仕方なんです。
A……紙切れのイメージから→燃やして捨てちゃった(恋を止めた)
B……紙切れのようだけど→だからこそ、逆に心を燃やした(恋、継続中)
文脈から言って、Aと思いますが、Bと取れないこともない点、どこかに意識されて損はないと思います。終連はなかなかです。終わった恋とは、こういったものかもしれません。詩行はなかなかいいんですが、それを支える事情の骨組みは少し整理してみたい気がします。佳作一歩前で。
6 荻座利守さん 「眠る種」 7/3
出た、来た、佳作です。作者と評者が一発で出会った。そんな気持ちでいます。
なるほど、種は「時間」の別名ですね。化身していくその過程。それが前半。「何故なら」の連、ここは植物にとって、種がいかに始原であり発祥であり吉祥であり、美しい結果であるか、を詩的に気づかせてくれています。そんな内面を抱えながら、じっと待っている描写もいい。この詩は俯瞰的に読むといいかもしれない。要は概念をできるだけ大きく取って。すると、この詩は種とは全ての存在を包むもの、全ての舞台を用意するもの。そんな感覚が伝わってくるのです。荻座さんの持ち味がナチュラルに出たイメージがあって、論理の筋・量も過不足なし。これ、いいです。蛇足で言うならば、好み上で言うならば、「海」でもいいんですが、対象上「地中」みたいなほうがいいかな、など思いました。「地中という沈黙に耐え」とか「遠い記憶の地中に鎮まり」みたいな。聞き流してもらって問題ありません。
つづく。