7月11日(火)~ 7月13日(木)ご投稿分 評と感想です。(青島江里)
◎7月11日(火)~ 7月13日(木)ご投稿分 評と感想です。
☆玄武が司る北方に憧れて 積 緋露雪さん
七月には七夕があり、それに関して思いだしたかのように、空を見る機会が増えたりしますね。夜空について、人それぞれの世界があり、それぞれが自由に思いを走らせることが可能ですね。作者さんの空に対する想いが広がる作品、そのように感じました。
天文学については全くの無知です。こちらは中国の天文学関連の言葉のようですね。中国の関連かどうかわからない言葉もいくらか出現してきます。ここから思うのは、作者さんがとても空の関係のお話に詳しく、熱を込めて語ることができる方なのだということでした。
きっと空想し出せば時間を忘れてしまいそうになるのかもしれないと思いました。
このようなことを感じさせてくれる作品。長所は、同じように星に詳しい方にとっては、たまらない作品になるということ。短所は、詳しくないものにとっては、辞書を引きつつ、時間をかけて読みこんでいかなければならないということ。専門的な話題を掘り下げた作品は
読み手が二分化すると思います。できればどちらにもある程度、すっと頭に入ってくるようになれれば最高なのですが、それはかなり難しいと思います。専門的なことを描かれた作品でよくお見かけするのは、作品の後に、注釈をつけて言葉の説明をされている作品です。ある程度わかれば、また楽しみ方も深くなっていくようにも思えました。
「此の宇宙が大きな帳を張ったものと考へれば、/北は天頂を意味するであらう」
この一行は、特に印象的な一行でした。今回は佳作一歩手前を。
☆風 紫陽花さん
風というのは透明で、みんな同じように見えてしまうのですが、風景と同化したり、自然の香りと混ざったり、或いは人の心の沁みつき具合により、まったく違ったものだったりしますよね。今回の作品は、作者さんの一つの風に対する思いがたっぷりと詰まったものになっていると感じました。
一連目の「日曜市」そして二連目の「病院」どちらも人の気配を感じる場所ですが、違った雰囲気が込み合っていますね。二連目の「あの山の家の風に/吹かれたい」ですが、「病院には風がない」という表現をもってきたことによって、その風のすがすがしさを強調できていると思いました。
二連目のお父さんが風にあたりたいという動作を「風を探していた」にされた部分もよかったと思いました。「探す」が「日曜市」の品物を探すに重なって、風のイメージをひとつにすることができたのではと感じました。
お父さんのために探す風。日曜市の片隅で見つけた風。その風=雰囲気は、父が元気だったころの思い出にも重なっているのだと感じました。そして、あの頃は、あんなに元気だったのに…や、治る見込みが少なくとも、少しでも状態がよくなってほしい…そのような気持ちも、読み手である私の中でクロスしました。
最終連の「夕暮れの風を垂らした」の「垂らした」の言葉には、「私」の優しさや、何とも言えないものを感じました。日曜市の様子を話してあげたくても話せない。何か買ったものを見せてあげたくても自由に起き上がれないような不自由さをも感じました。点滴のように、ゆっくりと体の中に入れてあげたい…そんな思いも感じさせられます。
最終連、懐かしいい父の子供の頃の時代を遡っていくようなイメージを感じさせてくれると同時に、天国の扉が開いてお母さんと再会することを感じさせる連。作品全体のやわらかなイメージを崩すことなく、静かにゆっくり着地させることができたと思いました。日曜市の風。この言葉が作品のあちらこちらに吹き込まれ、際立っていました。秀作を。
☆ハードル 喜太郎さん
ハードルは得意な方ではないですが、学校の陸上競技大会で参加したことがあります。単純に誰も出たがらなかったからですが。「ハードルはひとつじゃないんだ」・・・まったくそうですね。いくつもあって緊張の連続。蹴り倒してしまうこともありますよね。飛び越えるということから、やはり、人生のようなものが浮かんできて、自然と重なっていくように思えます。
一連のみのこの作品。スピード感を出すためにひとつにまとめられたかもしれませんが、途中「スピード上げて上げて高く高く……」に「・・・・・・」がついていることを考えると、このあたりで連分けして「・・・・・・」をなくす方がすっきりと読みやすくなるかもしれませんね。もちろん、このままでもいいと思いますが。
気になるのは、最終連。「気持ちよく高く飛べてるから」の部分。気分がハイになる部分なので、独自の表現で終わらせると、印象深いものになると思います。どういう風に気持ちのいいものか、もう一歩踏み込むことで、さらに良い作品になるのではないかと思いました。今回は、佳作一歩手前で。
☆つくしんぼう freeBardさん
春のあぜ道や、土手の上でみることのできる土筆の姿。青竹のような勢いはないですが、まっすぐにのびているところが、とても気持ちいいですね。
そんな土筆。つくしんぼとも呼ばれますが、今回は「つくしんぼう」にされていますね。こすると、詩の内容のこともあり、かなり個人的な見方になってしまいますが、宮沢賢治の詩にでてくる「デクノボー」を思い起こしたりもしました。剣術の練習の際、淡々と打ち込まれる木偶人形のように、目の前に起こることをあるがままに受け入れ、苦労を背負おうとも平静を装い、心の中で負けないと思える強さを持ちたい・・・そのようなことが、作中の土筆の姿と重なりました。
人を馬鹿にして優越感に浸る人間は、残念なことにたくさんいると思います。たくさん傷つけても容赦なく、ただただ、自分の満たされたい、歪んで煤けた欲求のために攻撃してきますよね。そんな卑怯なものに屈したくない。そのような強い気持ちが詩行のあちらこちらに感じられました。
「私は独り風に立つ/枯れた荒野のつくしんぼう」から最終連にかけての自然をバックにした展開の場面は、原野生きる植物のごとく、さらなる力強さを感じました。正義という言葉がとても似合う。それは、それは、とても清潔な!作品全体を拝見して、書き慣れていらっしゃるお方のようにも感じました。今回の作品は、心が折れそうになっている方にとって、心強い一作になっていることと思います。熱い心のこもった作品だと思いました。
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今年も蝉の声をきくことができた。年々コンクリートが増えていく街の界隈。わずかな土の場所から生まれてくる蝉のいのち。朝一番、高架を通り過ぎる電車の音に負けないくらい力強い蝉の声。とてつもなく力強く。
とんでもない暑さが続きますね。どうぞご自愛ください。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。