易し過ぎる人々へ えんじぇる
同級生のえいちゃんが、同じ同級生のトビに
「トビは、優し過ぎる」
と、笑いながらいう。僕は、驚き呆れて言葉を失う。
消防署に勤めている人達は、危険を冒して他所様の火事を消しに行く。
それに比べたら、20にもならないガキが、優し過ぎるなどという言葉を使うのはおかしい。
優しいとは優れているという字を書く。優れた考えを持つ人間が一番優しいのだ。
言葉を歪め、正しく認識出来ない人間に優しさを語る資格はない。
考えが、足りな過ぎる。
考えることが、優れている人間へのスタートである。
人は優れている人間、優しい人間になるために、教えたり学んだりする。
多くの人々は、、易きに流れるという意味で、優し過ぎるのではなく、易し過ぎるのだ。
他人と距離が取れていれば、他人が、おかしなことを言った時に、すぐ気がつけるものだ。
他人と距離を置ける人も少ないが、自分と距離を置ける人間も更に少ない。
自分も本当は正しくないと思うから、おかしなことを言われても、最後まで話を聞くことが出来る。
接近してきた観念に集中しても、いつかは手放すものだと悟ることが、歳を重ね、ものを知るということ。
考え過ぎてはいけないなどという人もいるが、人は考え続けていれば、いつかはその考えを手放すことになると気づけるものだ。
万物と距離を置くことで人は初めて鳥の視点を持つことが出来る。
そこで初めて、その人間を優しいと認めることが出来よう。