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スレッドNo.2660

感想。8/25~8/28 ご投稿分  三浦志郎  9/3

〇 大変ご迷惑をおかけしましたが「評価お休み」は当区間をもって終了です。
次回より評価を再開致します。よろしくお願い申し上げます。


1 上田一眞さん 「匹見峡に遊ぶ」 8/25

島根県は当サイト詩人・紗野玲空さんによって、僕にとっては詩上なじみ深い県であります。
調べたところ、この匹見峡もまた、大変美しい場所でありました。自然、景色、生き物の宝庫と言っても過言ではないでしょう。同時に詩にもそういったものを感じました。まずは生き物が多く登場します。それらには生き生きとした詩的装飾が成されました。そして釣りの様子。「毛針」とあるからフライ系でしょうか。「パールマーク」「アマゴ」等も出てきて、お詳しい。以前の詩にもそれを感じました。渓流釣りが好き。良い趣味をお持ちのようです。読んでいて深呼吸したくなるようで清々しい。清新の気を感じます。
さて、少し気になった点を書いてみます。まず2・3連目。昼間の情景をイメージしがちなんですが、次に「黒い闇」と来る。ここに少し違和感を感じるわけです。通読していくと「ああ、暗いうちに走って朝が来たんだな」とわかる。そうすると3連が、ちょっと浮いたように思える。おそらく上田さんとしては……
3連(結果)→4、5連(過程)の感覚

で書いたことが推測されます。一番安全なのは時系列で書くことなんですが、そうすると、「黒い闇」を3連に持ってきて、現2・3連を何処か中央部に移動する方法もあります。しかし僕自身提案しておきながら(それじゃ、あんまり芸がないなあ)って気もするんですよ。現ポジションでスッキリ読んでもらうには― 1番安直な方法は―3連以降、ドーンと行空けして「*」をつけるか?何か上手いフレーズを編み出してブリッジにするか?でしょうね。次に、これは上げ足を取るような事項で、申し訳ないんですが、「僕の背中を見つめて 君は/つまらげに棒で川面を叩いている」です。
「背中を見つめて」ということは「僕」は「君」の前にいて、後ろ向きである。そうした場合、「君」の行為がどうしてわかるのか?そもそも「背中を見つめて」も何故わかる? といった点なんです。なるほど「叩いている」から音でわかる?ただ根拠としては弱い気がするのです。このあたり、ご一考を。 「おそらく~〇〇なんだろう」みたいな書き方のほうが無難か?ところで「つまらげ」はあまり聞かない言葉ですねえ。僕も自信ないんで調べましたが、出て来ないんですねえ。無難なセンは「つまらなそうに」でしょうか。以上の点をチェックすると、この詩はもっと良くなるはずです。もともと自然に溢れた瑞々しい詩なのですから―。


2 じじいじじいさん 「トンボ」 8/26

俗に言うアカトンボは個別種ではなく総称ですね。ここではアキアカネを思い浮かべて書きましょう。
まさに秋を知らせるトンボでしょう。 「トンボのおやこ」となっているのが、生物学的詮索はやめて、児童詩ならでは、といったところでしょう。2連で、トンボ(アキアカネ)に象徴される秋の予感と夏への別れであり、この詩のポイントであり最も言いたかったことでしょうね。前回はなかなか読ませる作品だったのですが、今回は特にトピックがなく、あっさり目に書かれています。少し物足りなさを感じました。
幸い、1連、2連、担当しているものが微妙に違いながらも流れはあるので、それらを少し肉付けしてもいいと感じました。


3 晶子さん 「キラキラ光る」 8/27

この通りの詩でしょう。こちらも晶子さんにしてはあっさり目のアプローチか?初連で、取るに足らぬもの、品下がるものを(敢えて?)持って来たのは面白いし、かえって、この詩の主旨を浮き彫りにするに一役かっているのがよくわかるのです。つまり、こういったものでも光さえあれば光る、といったこの詩の主旨であり主張です。流れとしての「例示→思考」もまずは理想的でしょう。
流れといえば、もうひとつあって「2連・直喩→3、4連・結論としての私たち」―ここも上手く機能しています。各連とタイトルを同フレーズでキメたのは、これは晶子さんの意志と見ます。服で言うと「お揃い」といった趣きあり。従って諒とします。光に照らされ日向性のある「励ま詩」ですね。


4 えんじぇるさん 「易し過ぎる人々へ」 8/27 初めてのかたなので、今回は感想のみを。

まずは「優」の違う読みと意味。次に「優し」と「易し」の同じ読みで違う意味。この2本立てで主旨は進行します。ところで、物の考え方として絶対と相対がありますが、この詩はほぼ前者で書かれている。これは善悪ではなく、ひとつの立場を指し示した作品です。しかし独断に過ぎる部分はあるわけです。他者や社会に実害がない限り、その産物は作者の自由意思になりますが、作品の質、評価、他者の共感の度合いは、また別問題になります。ここまでが前半。「他人と距離」以降は少し方向を変えたこともあって独断性は無くなります。距離によって見えてくるものがある、といった考えはバランスの取れたものだと思います。最後2行は、この詩において、最も共感できる部分です。 もう一度前半に戻りますが、僕は以下のことを推測しています。

えんじぇるさんは、本気でこう思っているのか?という点です。違うのではないか?という推測です。
あるエッセンスを表し伝えるにあたって、物事をわかりやすくするために、敢えて極端な例を出すことが時にあります。デフォルメという言葉がやや近いでしょうか? 前半部分はそれではないか、そんな風に考えています。様子を見ましょう。また書いてみてください。


5 富士伊真夜さん 「あるアプリ精神疾患」 8/27

お久しぶりです。
僕はよくわからないのですが、SNS上のことですかね。普段の富士伊さんは新作紹介で、散文詩的長いフレーズを使っているので、よくわかるのですが、この短さはビックリ。断片的呟きといった感じです。最後は「それって さぁ」の後、続けてほしかったですね。よくわからなくてごめんなさい。


6 エイジさん 「懐中時計」 8/28

「あからさまなフィクションであっても(むしろフィクションだからこそ)、細部のリアリズムは重要かと思います」
*                 *                 *                *
これは8/5付・水無川 渉さんの評の一節です。全くその通りなんです。僕が日頃思っている(あるいは悩んでいる)ことを見事に言い当ててくださいました。極端なたとえ話で言うと「これはフィクションですよ」で許される範囲内なのか、それとも展開をある程度地味にしてもリアリズム追求なのか、といった点です。SFや幻想詩ならば関係ないですが、現実と隣り合わせのストーリーの場合、上記のことは分かれ目になります。この詩で言うと、「閉ざされた金庫の中で、懐中時計が50年間、寸分違わぬ時間を刻んでいた」点にあります。正直、僕にも判断がつきません。ですが、これは作品として存在していいと思います。一般論的心得として対象物の概念、メカニズム、性能は調べる必要はあります。詩の裏付け的取材力といったことでしょう。それが詩に直接反映されるかどうかは別にしても、自分の詩に対する自信が違ってきます。評価への自信が違ってきます。
この件について、もう一点言うと、この詩のキモは懐中時計の部分なんですが、取っ掛かりの金庫寄贈の部分。直截に言わせてもらうと、どうしても“取って付けた”感がつきまとうようです。
プロの作家さんでも出だし「何でこうなるの?」みたいの、あったりします。このあたりをどうするか、なんです。例えば、偉大と言われるカフカ「変身」にしてからが、主人公、朝起きたら巨大芋虫になっていた。(何じゃ、それ?)ですよ。こういう例に照らせば、金庫の件は全くもって正攻法なのかもしれない。もう何だかよくわからなくなってきたので、この辺で―(笑)。

アフターアワーズ。
上記文はこの詩を否定するものではありません。むしろエイジさんがこういった分野に出ていくことをバリエーションという意味で、とても歓迎できるものです。フィクション~リアリズムの問題はとても難しいですが、作品キャラに合わせてバランスメーターの指針を振って行けばいいでしょう。「~寄り」みたいな。参考までに私事を書かせて頂きます。3~4年前にすでに此処で発表した長編詩をいまだにイジっています。それはつまるところ、水無川さん言われるところの「フィクションの中の細部リアリズム」なんです。歴史事実というモチーフ上、“リアリズム寄り”に振ります。いきおい調べることが多いのです。土地勘、死体の変化や戦時の土地所有権、民事裁判の有無などです。疲れます(笑)。
できれば、僕だけでなく、こういった作品を他の評者さんにも提出し、別の意見をもらうのもお勧めですね。


7 ベルさん 「証」 8/28

「水虎」……日本、中国の(水に棲む)妖怪の一種。
とあります。日本では時に河童と混同されたり、明確な姿は不定で物語によって様々に解釈、描写されるようです。要は架空の生き物と把握できます。ところで、この詩は読み手が独自に解釈したほうがよさそうです。そういう具合に話を進めましょう。端的に言ってしまうと、架空ゆえに(叶わぬまでも)証が欲しい、といった主旨です。そして詩とは“ないものねだりをねだることができる”文学媒体だからです。そんな主旨で読んでいました。おそらくこの語り手は、もうむやみに水虎族が好きなのでしょう、その伝説が好きなのでしょう。そのあまり語りかけてしまうのです。彼にあっては、その実在・非在、徒労・虚無などは関係ないほどにです。彼は詩の中で見事に“ないものをねだって”いるのです。此処に詩上「架空の証し」が存在しています。


8 朝霧綾めさん 「空回りの夏」 8/28

朝霧さんの童女の頃に、これに似たことがあったのかもしれません。それを基にしながらも、詩自体は別途の架空主人公を立て、ストーリー性を構成しています。従って朝霧さんの回想ではなく、あくまで別個のドラマとみるべきでしょう。しかも“ストーリーの中でのリアルタイム”があるということです。タイトルがいいですね。主人公は泣き虫だけど、なかなか勝ち気そうです。人物造形も事情・場面もなかなかリアルです。小学校3~6年生くらいでしょうか?筋書きにメリハリがあり、読んでいても面白いのです。ただし、この詩には重大な違和感があって、上記“主人公のリアルタイム”といった観点に立つと「雨降って地固まる」「人生万事塞翁が馬」です。特に後者は小学生は言わないでしょう(それとも、もう習うのかな?)。どうも、ここだけ大人である書き手が出てしまっている気配です。作中人物に成りきる必要がありそうです。推敲時に考えておく必要があります。



評のおわりに。

「ネットの中の詩人たち」のビッグプレゼントに加え、初心者掲示板の常設。
初心者から常連まで、ネット、ツイッター、出版まで、詩表現をフルカヴァーする集団!
まさに詩のBIG BAND!詩人会所属者も増え、「すごいぞ、MY DEAR」といったところです。
此処に参加していることを大変嬉しく誇りに思っております。
これも島さん、齋藤さんのご尽力の賜物であります。
心より感謝申し上げます。ありがとうございます。 では、また。

編集・削除(編集済: 2023年09月03日 07:55)

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