三浦志郎様 評のお礼 えんじぇる
人生は価値を巡る戦争だと思うのです。人は常に、どちらが良いかを選択して生きている。
「こっちもあるし、こっちもある」
それは、ものを捉える側の自由なんじゃ無いかな? と思うのです。
公に問う人が、こっちもアリだしこっちもありだと唱えると、あくまで観客としての私は、どっちもありの意見なら、あんまり聞きたくなかったと思ってしまうんです。観客としての自分は、メッセージを送る側に、どっちがいいと思っているかをはっきりさせて欲しいのです。鏡に対し、求めているものの違いかもしれません。
つまり、公としてこっちを取った方がいいのではないか? という鏡としての表現者は、価値の相対化を避けないと、混乱を進めているように思うのです。
その上でそれをどう捉えるかは、鏡としての鑑賞する方の自由ですよ。これで相対。僕はそう考えています。
向かい合うもの同士が、相対を求めて同調してしまうと、相対的な関係でなく、絶対的な関係になってしまうのではないか? ということです。
「独断に過ぎる」
そう思い、感想を述べるのは自由だと思います。
その上で、僕はこういう趣旨で書きましたと、述べるのも自由。
それが相対と思います。
「共感できる」
ところもあるだろうし、反発するところもあると思う。それは鏡としての自覚がある以上、お引き受けします。
独断を独りよがりととると、それは良く無いと私も思います。
あくまで、私個人としては、説得力を感じる人もいるんじゃ無いかな? と思って書いています。
本気という面では、詩の中にある、音楽的な熱や官能を表現することに関し、気を吐くと言う意味で、本気です。無気では無いです。
ただ自分の持っている正しさの追求が、人生を価値を巡る戦争だととれば、あまり好きくないと思う人はいるとは思うし、それは念頭において、意識しながら書いています。書いている私自身も自分に疲れてしまう面があるのです。それは若さだと思っています。
評と感想。ありがとうございました。