10月 3日(火)~10月 5日(木)ご投稿分 評と感想です。 (青島江里)
◎10月 3日(火)~10月 5日(木)ご投稿分 評と感想です。
☆イマジネーション えんじぇる さん
常々感じていたことなのですが、時代なのかな?ゲームとかSNSとかの影響なのかな?などと考えていたことから浮かんだ言葉は、「想像力」でした。学生の頃、誰だか忘れてしまいましたが、ロックシンガーが「優しさはイマジネーションから始まる」なんてことを言っていましたが、その頃はよくわかりませんでしたが、年齢を重ねれば重ねるほど、その言葉の意味の深さを感じるようになりました。作品の内容の一行一行、うなずきながら読ませていただきました。
連分けについてですが、修正しないといけないということはないですが、読みやすくし、更に言葉に速度をつけてみるのもいいかなぁと。句点で行替えしている間に一行空白を入れることも考えましたが、やってみると箇条書きのように思えてよくありませんでした。考えた先にたどりついたのは、連分けをせず、普通の文章のように書かれている散文詩のような形式にしてもよいかなと思いました。一気に読めてしまう内容だったので、かえってこの方が読みやすいかなぁと。あくまで一案です。
「想像力。つまり愛だ。独房の中でさえ私は自由だ。」
この言葉は、ただ一言、すごいです。思いに鋭さを感じさせてくれる作品だと思いました。今回はふんわりあまめの佳作で。
☆冷たさ ピンボケに気づいた大人 さん
失恋の詩というのは、身をまかせて書いていると、書いてから幾日か寝かせたあとに見て思うことですが、ひどく自己嫌悪に陥りまくったり、或いは失恋している世界に陶酔してしまっているように思える部分をみつけて赤面してしまうこともあったりしますよね。けれど、こちらの作品はそんなことを感じさせません。むしろ、失恋している今の自分を、落ち着いて見つめている、そんな風に思えました。自身を冷静に見つめ、ゆっくりと深堀していく、そんな風にも思えました。
今の気持ちを投げやりにしたいや、どこまでも子供でいたい気持ちが愛したかったという、作者さんから見た、現時点での子供という世界。相手を冷たい人と思い、そんな自身をひとりで呪うということでまとめてしまおうとする気持ち、何もかも無関心で冷たいふりをする、今向かい合う、作者さんの大人という世界。とても冷静に深堀しているのですが、その大人と子供の深堀の世界を同時に見つめると、読み手の方にも何とも言えない切なさがにじんでくるようでした。
ひとつ気になったことは、「時々のいつも」「度々のいつも」でした。「時々」や「度々」とコラボされた「いつも」ですが、個人的には、どちらも時間の間合いを表す言葉なので、少し離れた感じの「日常」あたりの言葉にする方がわかりやすいかもしれません。なんといいますか、極端に言えば、転職サイトCMでやっている「私、仕事やめようとするのやめるの、やっぱやめるワ」のような感じで、どんな時間なのかを一旦止めて、考えてしまうようになってしまったので。
タイトルの「冷たさ」は、辛いけれど、大人にならなければという、作者さんの切ない願いが込められた一つの言葉であるように思えました。この痛みが消えて、現在の冷たさも必要なく、新しい世界を見つめることのできる大人になれますように。そう思わせてくれた作品でした。
☆生命崇拝の讃歌 おこぜ さん
心の底から言いたいことを、言おうとしている気持ちが伝わってきます。いい意味で、どこか宗教関係の教本に出てきそうな雰囲気を醸し出しているようにも思えました。静かに座って読むというよりは、力強く読み上げる言葉を聞いたり、誰かが声を出して読み上げる……そのようなことで、この作品の味が広がっていくというようなことも感じました。
気になったことは、一点。規則やルールは特にないのですが、連分けについてもう少し整理されてみてはいかがでしょう。読みやすくすることで、更に伝えたいことが強調され、より伝わりやすくなると思いました。正解はこれ!というものは特にないのですが、私ならこんな感じにするかなという一案をお伝えしておきますね。何かのご参考になればうれしいです。
いいぞ、よく言った。それで十分だ!
死を探し歩くのは辞めなさい。死を悼みなさい。生を讃えなさい。
徒に死を唱えるのも辞めなさい。
生気に満ちた赤ん坊を起こしてしまうから。
同情し、よく嘆きなさい。
生けるもの、生きる意志を。
より多くを生かし、唯の一つの死を、寧ろ哀しみなさい。
一つ一つの死体を秤に載せてはいけない。
その行いは、酔い覚めの水としてはあまりにも冷たいから。
もしも、鼻を突く死の匂いを受けたなら、その場で叫び声を上げなさい。
それから、我らで狂乱状態になって騒ぎ立てよう。
一つの死が受け止められてしまわないように。
死人よりもむしろ生者が叫ぼう。死人は口を聞けないのだから。
死の絨毯を我らが踏み上げようではないか。
そして、より多くの生を、我々の勝利と呼ぼう。
生きてさえいればそれでいいじゃないか!
「より多くの生を、我々の勝利と呼ぼう!」が、響きました。生に対する心の熱さが伝わってくる作品だと思いました。
☆抱いて 妻咲邦香 さん
こちらの作品は、お互いのことしか見えなくなってしまっている、誰も入り込めない二人だけの世界を描いた恋愛詩なのかと思い読み始めました。たしかに、たしかにそうだったのですが、途中から見事に作品のカラーがひっくり返りましたね。以前からの作品では予想不可能の展開。これは予想外で驚きました。
まぁ、ここまでくっついて歩いた人のお話は聞いたことはありませんが、実際にはずっと離れずに二人でいたいと手錠などを使ってくっついている人もいるっていうお話を学生時代に聞いたことがありました。現実味を帯びすぎても、このような状況は読みづらいものになってしまうのでしょうね。これくらいおかしみを使った方がライトな気分で読み進めることができるのだろうなと思いました。
初連の純文学風味のカラーから、徐々に変わってゆくお笑いバラエティーのようなカラー。この360度のくらいのギャップ。さすがにクスッときてしまいました。大げさすぎるくらいがちょうどいいっていうようにも思いました。徐々にスライドさせてゆく場面描写は、とても難しいのに、自然にフェードインさせてしまうところは、作者さんの筆力のすごさだと感じました。
展開は面白かったのですが、個人的にはこの二人のくっついている状況の様子。少し間延びしているように思えました。途中から、ちょっとおなか一杯な感じになってしまいました。レストランでのパスタのこととか、トイレのこと、駅の階段のこととか。もうちょっとまとめられそうな気がしました。きっとテーマがくっつきすぎる二人だけの世界というのもあるのかと。この辺をすっきりさせて警察沙汰のところに持っていかれたら、面白さも更にアップするような気がしました。「どうでも良くなって」とか「くるくる回るのやめて」には、我慢できず笑ってしまいました。お笑い番組にそのまま持っていけそうな描写。
今までのご投稿分とは一味違う、新境地を思わせてくれる作品だと思いました。新しいことに挑戦することは勇気のいることなのに、挑戦できる力があるっていいなぁって思いました。ご自身の詩の世界を広げるための探求心、向上心がとても高いお方なのだと思いました。今回は佳作一歩手前で。
☆この星に 喜太郎 さん
ゆったりとした、雨音がおちていくかのような、静かに整ったリズムが感じられる作品でした。「~いる、~いる、~ない、~ない」や「~する、かも、かも、かも」など、並列してゆくフレーズの末端が同じような言葉に揃えられているところからきているのだと感じました。
朝に窓をあけるところから、外に出て、働いて。そして帰って、休んで。また朝を迎えて。ルーティンの中のリズムの中で、自分だけではなく、自分以外の人はどうだろう。自分以外の国はどうだろう。地球についてはどうだろう。水の輪が広がるように広げてゆく、私以外への思い。淡々としたリズムの中に、平和への思いが見え隠れしました。
気になったところは、二連目の「食べれてないかも」ですね。「食べられなかったかも」、或いは「食べることができなかったかも」の方がいいかと思います。流れ的に読み合せのリズムが気になる場合は、他の言葉を考えてみるのもいいかもしれません。もうひとつは、終連の二行「どの国のどの人にも笑顔であってほしい/そう願い眠りにつく」ですね。平和について触れているけれど、願って眠るという言葉でおさめてしまうのは、少し気持ちの入れ方が弱いように思われてしまうかもしれないかなと。「ああ、笑顔であってほしいなぁ」という気持ちを浮き上がらせて伝えるために、一例ですが「そう願い大きく深呼吸して/強くしずかに目をつむる」など、所作に力を加える表現に変えてもいいかなと。
最後の眠りのシーンは、平和の印。当たり前でないしあわせの空気を感じさせてくれました。
そのような作品、今回は佳作半歩手前で。
☆「暗闇フューチャー」 水野 耕助 さん
移動している時、何か作業中の時、横になっている時。日常の何かの途中で、ふと、造語のような言葉が浮かんでくることがあります。頭をひねり、ひねり、考えあぐねた結果出てきた言葉でもなく、急に浮かんでくる言葉でありますが、気になって頭の中に残り、ついには、その言葉から一つの世界が見えてきて、その世界について書いてみたくなるようなことがあります。
「暗闇フューチャー」 ……タイトルと内容を拝見して、そのような私の過去の記憶が浮かんできました。一つの言葉から書きたいことが広がっていくって、なかなか楽しいことですよね。
その先の先にあるはずの
光へと向かって
作者さんは「暗闇フューチャー」という言葉から、このような気持ちに繋ぎ、広げていくことができたのですね。想像力を膨らませる気持ちって、とても大切だと思います。これからもそんな気持ちを忘れずに、詩作をたのしんでいけたらいいですね。そんな気持ちにさせてくれた作品でした。
☆白猫と朝ごはんを食べました 紫陽花 さん
朝ご飯をするすると食べてしまえるように、心地よい雰囲気に包まれました。綴っている言葉は、どこにでもあるもので、表現もどこにでもあるようなもののようにみえますが、偶然なのかはわかりませんが、とても興味深い組み合わせで成り立っているように思えました。
朝という新しさ。白猫という白のイメージからくる新しさという組み合わせ。そこにブレンドされる朝ご飯の作り立ての味噌汁という新しさ。この三つのイメージが合わさって、より新鮮を感じさせてくれました。背景の新しさの反対の言葉のようにかぶさってくる「いつも」という言葉。この「いつも」にも二つの「いつも」がありますね。「いつもの朝」に「いつもの白猫」・・・新しさの中に、反対の言葉のようにかぶさってくる「いつも」が普通に迎えられる朝のあたらしい温かみを、何を思うこともなく感じさせてくれました。
これはいつものことを書いただけなんですよと言ってしまえば、それで終わりそうですが、この場面をしあわせだなと感じられる心がなければ、このような偶然を普通に受け止めて、詩に残しておきたいと思うことはできないような気がしてきました。
白猫のにゃーにゃーの掛け合いもたのしく。ただ繰り返すだけですが、「いつも」という言葉がここでまた幅をきかせて「いつも交わしている会話」のような状況を感じさせてくれました。猫が必死に人の言葉を話そうとしているそんな健気な愛らしさも感じさせてくれました。
窓を少し開けてみる
白猫がお味噌汁の匂いを嗅いでいる
少しだけ開けてみた窓からうかがう猫の様子。この描写に登場人物さんの猫への愛情を感じました。一気に開けるのではなく、猫が怖がらないようにそおっと静かに。
いつもの朝というのは、普通にやってくるのではなく、あらゆる偶然が重なってできあがる新しく、どこかあたたかなもの。表現もそこに寄り添うように、飾り立てることなく、感じるままに素朴ということまで感じさせてくれるものでした。ささやかな日常のよろこびを感じさせてくれた作品。佳作を。
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秋がやってくるが遅いなと思っていたところに、突然の秋の空気。なんだかほっとしました。
改めて、日本の国に四季があるっていいなって思いました。すこやかで、おだやかな秋でありますように。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。