感想と評 10/6~10/9 ご投稿分 三浦志郎 10/14
1 エイジさん 「詩情」 10/6
基本的に冒頭佳作です。なぜ「基本的に」を付けたかというと、この詩は少々キズがあるのです。
まず初連「金木製」は植物ならば「金木犀」ですね。それと下の方「(あっち、こっち)」はないでしょうね。この詩のムードとは違う。「あちら、こちら」か、煩雑だから、いっそ無しでも通りますよ。簡単に直せるけど、せっかくの良詩なんだから、こういうの、無しにしましょうよ。でも、エイジさん、上手くなりましたねえ。とても嬉しく思っていますよ。上記手直しして、屈指佳作の席に着かせてくださいな。
ところで、この詩で「待っている」ものとは何でしょうか? これは晶子さんの稿でも書くつもりですが、そのことをあまり詮索しなくてもいい。それよりも、もっと大事なもの―この詩全体から滲み出る言葉の良質や美しい抒情―を充分に味わえばそれでいい、そう思っています。小物的アクセサリーをさり気に配して、しかも、それは生死を越えてやって来るという。各連思考を深くし、言葉を精選し、世界を広げて、以って読み手に静かな感動をもたらすことでしょう。(上記軽いキズ以外)、良くないところは全くありません。
アフターアワーズ。
さて、「待っている」ものとは何か?こちらに軽く推測を書いておきます。タイトルからすると、詩又は詩の女神が降りて来るのを待っている、そんな気がしますね。結果、この詩に降りて来たわけですね。
2 上田一眞さん 「愛の風」 10/7
芒の花穂(かすい)―これだけでも僕にとっては勉強になるに充分です。ありがとうございます。
さて、その言葉と「あなたの黒髪」が共に「さらさら」と溶け合って音楽的な流れを作っていますし、
さりげない様式美も得ています。そんなブレンドもいい感じ。前半が音楽なら後半は言葉の華。
修辞の中に誠実な愛情が込められています。日本人が伝統的に持ち得た恋歌―しかも誠実で純粋な―そんな雰囲気を醸しています。おそらく欧米人にはこういったフィーリングは書けないでしょう。そこを重く見ておきたい。このように人に愛される「あなた」とはなんと幸せな人でしょう!世界を覆うような壮大な詩ではないですが、そのささやかさから滲み出るものを掬い取っておきたい。そのための佳作です。
3 久遠恭子さん 「別離」 10/7
恋の終わりにあたって「戻りたい」の手紙を書いてみた。けれどもそれは出さない手紙になりそうな気配です。「最期」は多くの場合、人の死に使われますので、「THE LAST」の意味では「最後」ですね。悲しい詩ではありますが、詩の書き方の土台がなかなかしっかりとしていて、結果、情景・心情の伝わり方が凄くいいと思います。言葉・句・連の整理整頓も出来ています。もうひとつは「30代半ば」「BARに通ってみた」「~相手をしてくれない」「アパートに~~おにぎりを食べて」などのフレーズ群です。いわゆる生活のリアルを此処に添えたのは正解だと思うのです。僕は此処はかえって注目しておきたい。詩の基本をクリアーしている気がします。今回から評価です。佳作二歩前からでお願いします。
4 freeBardさん 「私がゴキブリに産まれたというだけで」 10/7
モチーフとしてのゴキブリも珍しいし、ゴキブリをこのように書いた詩を僕は初めて読みました。
それだけで珍重すべし、でございます。これだけ嫌われる生き物も珍しい。作者さんはこれを詩の全力を挙げて“擁護的に”綴ります。必然としての悲惨な運命が待っているのだけれど、抗議も抵抗もしない。どんなにされようと、耐えながら静かに語るのです。彼らなりの美意識を、です。
ちょっとした仲間意識も感じさせます。詩の主体を成すくだりは感動的ですらあります。とりわけ5連~9連までに語られる意志の強さ・悲しみは特筆を以って報いたい。まさにこれは「一寸の虫にも五分の魂」といった名言を詩で再生したものでしょう。ところで、このゴキブリへの眼差しに見る精神は何処かで読んだことがある。そう、まさに前作で、笹船に投げかけた労りの視線。その心情の受け継ぎであり具現化であるでしょう。 いや~ゴキブリの詩で佳作を出すとは思わなかったですー!(失礼)
アフターアワーズ。
彼らの美意識とは何でしょうね。災厄をくぐり抜け、ひたすら子孫を残すことでしょうかね。
そして世界を征服すること!?(笑)
詩は別として、それは人間にとってはありがたいことではないんですが。
今、思い出しました。子どもの頃、祖父母からは「アブラムシ」という名で教わってました(分類上は別物)。
5 おおたにあかりさん 「こねこ」 10/9
こちらは、こねこ。 おおたにさん、お久しぶりでした。冒頭、谷川俊太郎氏の言葉遊び詩のような味わいで面白いです。さらに面白いのは……
初連「こねこねた」=「子猫寝た」
2連「こねこねた」=「粉や粘土をこねる×2」
これで合ってますかね?主旨は“こねこ”をモデルとして、ねん土で“こねこね”してブローチのようなものを作った?そんな両者を言葉遊びが橋渡ししている。冒頭とラストは子猫で締めてますね。
言葉遊びのようだけど、事情や情景はまずまず踏まえています。ちょっとアイデア賞みたいな作品でしょう。以前から感じていたおおたにさんの軽快さと可愛らしさを感じさせるものですね。久しぶりなので、評価はちょっと控えさせてください。
6 晶子さん 「言葉」 10/9
冒頭佳作を。この詩は読んでいて(ここにある「あなたと私」は何だろう?)と考えるのが当然の人情というもので、2連。「触れる・舐める・嗅ぐ・聞く・見る」と「言葉をください」―ここは「私」が発話者です。ここで考えられるのは「私」は言葉を持たず、「あなた」は言葉のある世界に身を置いているらしい。そこで考えられるのは―身近なものとしては―犬や猫(ペット)などと人間の関係などが思い浮かびます。あるいは産まれたての赤子と母を想起するほうがいいかもしれない。けれど、僕はそれ以上深く詮索することをやめました。なぜならば、それを探すことは、この詩においてさほど重要な意味を持たないだろうからです。極論的に下品な言葉を使うと、それはほっといても読める。晶子さんも必死こいてそれを伝えようとはしていないように見受けられるし、もちろんそれを追いかけるに越したことはないんだけれど、読み手側もそれを深く追い求めなくとも、この詩は充分味わえそうだからです。(この詩にはもっと大事なことがある)―僕はそう見てます。すなわち、3連以降最後まで。此処には言葉による言葉の造形、仄見える世界観、個人の意志があります。それらを気高いと言っていい詩行が支え飾っています。そこを見ておきたい。感動を呼ぶ詩行。これで充分。憂いなし。併称としてコレクション中、屈指の佳作です。
アフターアワーズ。
全くカンケーないことを書きます。田村隆一の有名なフレーズに「言葉なんか覚えるんじゃなかった」があります。これは彼一流の「逆リスペクト」と思っております。言葉とは万能ではなく不完全で、人間のフィーリングに追いつけない部分はあります。ですが、それをも踏まえつつ同時進行的にリスペクトしたいものであります。
評のおわりに。
今回読んでいて、とても感銘を受けた5作でした。それぞれがそれぞれの作品の中で、独自の言葉の小宇宙を成しているのが
とても清々しかったのです。
ここから後は滝本政博さん、よろしくお願い致します。 皆さん、PLEASE WELCOME! では、また。