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スレッドNo.2910

煉󠄁獄のニューギニア  上田一眞

これは戦後程なくして亡くなった
父の実兄(伯父)の体験談だ

伯父は
太平洋戦争の主たる戦場を渡り歩き
ニューギニアにいた
北支で再編された伯父の部隊は
寒冷地の装備のままニューギニアに上陸
島の各地を転戦した
そして
次第に敵軍に圧迫され
西へ西へと追いやられた

ニューギニア島の面積は
日本の二倍以上
島とはいえ途轍もない広さだ
敵軍の反攻が始まって
輸送船は次々に餌食になり
日本軍の兵站線はズタズタになった

食べるものは欠乏し
僅かな米と塩だけを持って行軍
満足な地図もなく
大密林を彷徨った
想像していたのと違い
ジャングルに果物などの食い物はなかった
野草は勿論 飛蝗や地虫
朽木のなかにいる幼虫まで掘り出して食べた

伯父達は密林を抜け出て
かろうじて海辺にたどり着き
露営した
炊飯すると煙があがるので敵に狙われる
火を使えないから生肉を食った
野豚を捕まえたのだ
すると全員下痢になった
酷い腹下しで
もう二度と豚は口にすまいと思った

皆んな衰弱した
動けるもので椰子の木の筏をつくり
手榴弾で魚を採った
綺麗な魚が沢山採れたので皆喜んで食べた
すると暫くして苦しみだした
毒魚だ
それでも食べ物がないので
採ってきた魚の内
内地にいる魚に似たものを選んで食べた
地味だが鮒に似た魚が美味かった

部隊の多くの兵が
餓えと下痢とマラリアに倒れた
薬など全くない
自決者が出た
死臭が漂うなかを亡霊が夜な夜な徘徊し

 …国へ帰ろう 

と戦友を誘いに来た
死相が出ていないかお互いの顔が気になった
発狂するものが出るなか
戦争が終わった
敗戦だ
伯父は帰還できた数少い兵の一人だった

ある記録によれば
ニューギニア戦線の生存率
一割未満
数ある戦場でも
悲惨さは一二を競う島であったという

編集・削除(編集済: 2023年10月21日 12:03)

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