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スレッドNo.2939

評、10/13~10/16、ご投稿分、その1。  島 秀生

ちょっと長いんで、2つに分けます。


●久遠恭子さん「空想サーカス」

うん、おもしろいね。

まず、出だしの1~3連の表現が凄くいい。もうここで引き込まれますね。

そして、4~6連。ぞうさん、道化師、白い鳩のマジックの様子が、それぞれの表情とオリジナリティをもって表現されていて、これがまた良いのです。
また、4~6連を丁寧に書いてあることが、この詩全体をすごく生きたものにしている。なにしろ「サーカス」の具体は、ここにかかってますからね。テーマであるサーカスがサーカスであるためには、この4~6連のデキがキモと言えます。無事クリアしてます。

また目覚めてからの部屋の簡素が、サーカスから一転しての作者の現実で、コントラストが浮かび上がります。これだから余計に、現実から脱出するように、サーカスの夢を見るのだろうとも、作者の心情を計り知ることができます。テーマ性がありますね。

うむ、おもしろかったです。秀作プラス、あげましょう。
まだもっと丁寧に書こうと思えば、丁寧に書き込んでも大丈夫な作品なので(骨格がしっかりしてるから)、何年か後に、内容のディティールを増幅する形で改作したら、もう一段上に上がれる作と思う。でも現時点でも必要なエッセンスは全て備えてる作品なのでOKです。

後半ですが、
目が覚めてから見るのは、「夜の続き」でなくてもいいんじゃないかなと思う。サーカスと現実との差異、コントラストのようなものを見つめてもいい気がする。だから特に「夜の続き」と言わなくて、ただ見つめてるだけで、答えはなく謎のままにしておいても、いいんじゃないかなと思います。つまり

夢見る時間は一瞬
いつの間にか
朝が来ていて

目覚めると
テーブルがあって椅子があって
ベッドがひとつ
扇風機の風でティッシュペーパーが揺れている
簡素な室内
いつもの部屋

瞬きもせず
その空(くう)を見つめる
瞳を凝らして


こんな感じでもいいかなと思います。 案ですが。


●埼玉のさっちゃんさん「熱い胸の内」

感動、空気感、鼓動、一体感、という言葉のチョイスからは、
誰か特定の人と会っているというよりは、ミュージシャンのステージとかの方がイメージしやすいものだったので、そっちのイメージで読ませてもらいました。もし、そうでないならば、言葉のチョイスをもう一度考え下さい。読む側の立場から言って、これらの言葉から想起できるものは、こっちしか浮かびません。

で、仮にその方向で合ってるとして話を先に進めますが、
書かれてある想いに間違いはないのですが、ヒントが足りません。
ある場所やあるシチュエーションを与えられた場合に、この熱情は一気に流れ込むのですが、読む側の立場からいって、場所のヒントもシチュエーションのヒントもないので、映像を思い浮かべることができません。その熱情がどこへ流れ込むものなのか、具体的とまで言わないまでも、方向性の区分として、こんな場でこんな感じの方向性と言ってくれないと、映像を全く思い浮かべることができません。
読後感としましては、場を与えられてないエネルギーが、ただ宙を舞っている状態です。
これでは共感しようと思っても、共感する術がないです。

解決策としては、この詩の前半分を書くことですね。あるいは場がわかるように、前後関係を書く、ということですね。必要なことを省き過ぎています。
書かれてある内容自体は悪くないんですよ。言えば、ただクライマックスの連だけがポンと置かれているといった感なのです。前後がないです。前後がないから、わからないんです。

文自体はちゃんと書けるようになっているので、今ならそんなにミスらないと思いますよ。
自信もって、はしょらないで、きちんと書いてみて下さい。
一歩前です。


●上田一眞さん「母さん教えて」

うーーーん、概要はいいんですが、ちょっと謎がありますねえー

なぜ僕は竹笹もって遊んでたんだろう
いつも一人で海に流してた
誰に教わった訳でもないのに

のところですが、
まあ一般に知られてるのは、七夕の笹飾りは、願いを叶えるために、川や海に昔は流したということくらいですが、ここで書かれてるのはそれとは意味が違うことのように見える。
想像するに、故人を偲ぶときにそうするのかな?と思ったりしますが、そういう風習は一般には知られないところなので、何故ここでこれが出てきたのかが、読者的にはわからない。
また、単に個人的な思い出の一例として、この遊びをしていたということであれば、ますます特殊すぎて、脈絡なくこれを置かれても、出してきた意味が読者にはわからない(お母さんと二人のあいだでしかわからない、一般に想像がつかない事柄であるので、脈絡や前置きなく出されても、読者はついていけない)。
この詩はここが最大の難関ですね。

もしここを書きたいのであれば、2連ずつ3回セットの形にこだわらず(そこにこだわるからムリが生じている)、ここはフツウにだらだらだらっと母との思い出をフツウに語っていき、その連の一番最後だけ疑問形で終わっておけばよい。でもって、そのあとに、ここの終連をつければ、それでちゃんとサマになると思いますよ。

ちなみに3~4連も、

僕はどこから来たの
なぜここにいるの
これからどこへ行くの

 母さんに聞いても笑って答えてくれない
 いつもそうだった
 母さんは星になったから
 もう笑ってくれないや

たぶん、こっちの方がいいでしょうね。
この詩は途中までできているし、全体の様相や詩情は、母を偲ぶとてもステキな詩だから、もったいないです。ぜひ自分でもう一度、作り直してあげて下さい。
現状は、残念ながら、半歩前です。


●秋さやかさん「プラネタリウム」

すばらしい!! やっぱり秋さんは逸材ですね。お見事です。
瀬未さんが書いたのかなと思うほど、よくできている。瀬未さん2世の感がしました。
パーフェクトです!!

良いとこだらけだし、構成も取れている。
順にいくと、
3連、「どこが特等席かわからず」は、まさに!です。
5連、
 子供は少し大人びて
 大人は少し子供に戻って
 待ちわびている

心の繊細な動きにも嗅覚がありますね。
6連の、
 日常の眠るとき

は、終連の「また日常へ」と構成を取り、
7連、
 ふっとこぼれた
 溜息とともに照明が消え

は、20連の、
 ふぅと
 ふたたびついた溜息が合図のように
 パッと照明が灯される

と、構成を取っています。
どちらも印象的な美しい言葉で繰り返されるから、なおステキなのです。
8~9連
 居場所は心地よく見失われてゆく
 
 そうしてふわりと放り出される
 数多の星のなか

これも闇と星のあいだに放り出されるプラネタリウムの感じ、自分の位置を見失う感じ、まさに!ですね。
13連、
 大昔のあなたを想像し
 大昔のわたしを巡る

と、続く14連は、ここでもって初めて一人ではないことがわかるけど、それも脈絡の中でいいアクセントになっている。また続く15連と合わせ、13~15連がクライマックスと思えるので、二人でその図を描くことが、ロマンチックを感じさせる。

18~19連、隣の人のいびきに怒らないで、なんておおらかな受けとめなんだろうと感心する。また、この部分を消さないで、敢えて残してるのが、星を見ながら、実は人間側を描いているリアリズム(そういえば、寝る人が必ずいる。プラネタリウム見ながら寝るのは、これ以上ない幸せな眠りであるにちがいない)に則っていて、それはそれで良いと思う。
21連、星座の解説を聞いていたであろうところからの、
 浮かび上がってくる
 あたたかく重たげな体
 弓も槍も持たない無防備な

この表現も、脈絡を引きつつ、繊細な感覚が描かれててステキです。

というわけで、いいとこ随所ですね。ほんとパーフェクト!です。
名作且つ代表作入りを。


●妻咲邦香さん「遠景」

問題点をいうと、
①場面として1~2行目は、箪笥からセーターを出したばかりで、まだ箪笥のそばにいる感じがするので、まずそこから離れないと、外にいるかまきりとは、場面として繋がらない。
②セーターの箪笥の匂いと、かまきりには脈絡がないので、そのままではセンテンスを繋げられないこと(文法的に不可)。策としては、そこに至る順序を経るか、センテンス自体を分けるか、です。
③セーターを出した段階から草の種がついていた(つまり草の種がついたまま箪笥に直していた)とは考えにくいし、それだと今、秋の中にいるという風情も出ないので、草の種がついているに関しては、一日以内でなんらかの時間経過感を持ちたい。

その3つの問題点を感じたので、
そこの解消を踏まえた案を、3案出します。

この秋最初に着たセーターは
箪笥の匂いが染み付いていて
塀の上では
茶色くなったかまきりが
しきりに向こう側を見ている

何をそんなに見ているの
一緒に見るけど
向こう側 はよくわからない
私もどうやら枯れてきた
夢見ていたことが懐かしい
弾けて飛んだ草の種が
もう袖口にくっついている


この秋最初に着たセーターは
箪笥の匂いが一日中取れなかった
夕刻 茶色くなったかまきりが
塀の向こう側をしきりに見ている

何をそんなに見ているの
一緒に見るけどわからない
どうやら私も枯れてきた
夢見ていたことが既に懐かしく
弾けて飛んだ草の種
もう袖口にくっついている


この秋最初に出したセーターは
箪笥の匂いが染み付いていた
茶色くなったかまきりが
塀の向こう側をしきりに見ていて

何をそんなに見ているの
一緒に見るけどわからない
どうやら私も枯れてきた
夢見ていたことが既に懐かしく
弾けて飛んだ草の種
もう袖口にくっついている


3つの問題点を踏まえての3案。こんな感じです。

短い詩を書く場合、センテンスはなるべく短く切る方がよいのです。なぜなら、短い詩の場合、「連ごと」ではなくて、1つの連の中においても余韻を求められるから、終止形が多い方がよいのです。そのために、体言止めの使用も必ず考えます。
また、いくら短く書くといっても、文法的におかしいものは不可です。
以上の点をおさえておけば、今の妻咲さんなら、書こうと思えば、そこそこ書けるはずです。
「扉詩」とか新聞紙面でも短いものを要求されることがあるので、覚えておいてソンはないですよ。
今回のは、初連に問題アリなので減点ですが、季節のものはこれでもかってくらい詰めてくれているので、チャラかなあー

昆虫は保護色で色が変わるものも多いのですが、カマキリの場合は、成虫になってからは色が変わらないんだそうです。遺伝的に茶色のものと緑色のものが決まってるんだそうです。ただ生育地の影響はあるようで、基本的に茶色の地には茶色のものが生まれ、緑色の地には緑色のものが生まれる傾向にあるようです。まあ、色が違うと捕まりやすいので、優性遺伝的にそれが残ったのかもしれませんが。ともあれ、時間経過による変色はないですから、老いは関係がないそうです。ただ秋に生まれる個体が、周りの環境的に茶色が多いというのはあるかもしれません。ともあれ、作者の眼にはそう見えたということで、主観もアリ。おもしろいんでセーフかと思います。

まあ秀作にしておきましょう。

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