感想と評 11/3~11/6 ご投稿分 三浦志郎 11/10
1 上田一眞さん 「ある通信兵の戦い」 11/3
今回も貴重なお話、ありがとうございます。いわゆるマリアナ沖海戦ですね。日本がめちゃめちゃやられた戦いです。次のレイテ沖海戦で連合艦隊はほぼ壊滅しますね。隼鷹は翔鶴・瑞鶴に次ぐ立派な主力艦です。記録を見ると、煙突に直撃弾を受けて隣接の艦橋も破壊された。死傷者60名以上となってます。この体験者はその時に海に投げ出されたものと推測できます。この詩の話の克明さがよくわかります。ここで注目したいのは、隼鷹の奮戦もさることながら、空母を守って必死に応戦したり、救助に駆け回る駆逐艦の姿です。不利な艦の環境をものともせず、けなげに下働きする。話の当人が救われたのも駆逐艦。兵員に後年プロレスラーになった人がいたというのは凄いです。もしかして力道山だったら、さらに凄いですね。海に投げ出されたのは一見、危険な艦から離れるようですが、海とて地獄。敵機の機銃掃射あり・力尽きてブクブク沈んでゆく者あり・フカ、サメに喰われる者あり。ここに書かれている通り地獄でしょう。この詩の通り、運だけが明暗を分けたと言えるでしょう。
アフターアワーズ。
僚艦飛鷹はこの時沈没してますね。隼鷹は生き残り、しかし載せる飛行機がすでに無く、輸送艦として使われ終戦を迎えています。沈まなかったのは幸せなフネだったと言えます。
2 えんじぇるさん 「ピアノ・リサイタル」 11/3
タイトルの割にピアノの件がさほど出て来ないのが、かえって今日的、現代詩的です。
「綺麗」が焦点。現に全ての連が「綺麗」で始まっています。
まずは(前夜)。その面白さは後半行が代表するようです。案外、衣裳選びのことかもしれない。
次に(当日)が主流を占める。案外、ここでは演奏へのアプローチと内面のあり方が記されているように思いました。特に「白鍵と黒鍵」の連に端的に表れているようです。屈折を含みながらも駆け抜けようとするもの。演奏時の一部始終ですね。音楽、よろしく、かくあるべし。結局、これは定義付けの詩なんですが、その仕方が独自の感性、表現に裏打ちされたユニークさ、面白さを充分感じたのです。文体は「肯定+BUT」で目を惹きます。現代詩的表現を味わうのに好適なものを感じる。(結果、しばらく考えて)、佳作とします。
アフターアワーズ。
ハズレ覚悟で書くと、案外娘さんのリサイタルの一部始終を語ったものだったり、―と想像しても、かえって微笑ましいです。
3 水野耕助さん 「ダンス・ダンス」 11/4
「ダンス」×3回だと村上春樹の小説タイトルになっちゃうので、ここは2回ですね。
シンプルに意志が届きやすい詩に仕上がっていますね。本当にダンスが好きで、真剣にプロを目指す人は本当にこういった気組みでやっていると思われます。たまに街の片隅で必死に練習している若者を見受けます。たぶん精神の根底にこれに似た気持ちは当然あるでしょう。このように額面通りに読んでもいいし、各連を比喩表現と捉えて、読み手各人が「ダンス」の部分をそれぞれの対象に置き換え代入して読んでもいい。どちらで読んでも共感は得られるはずです。どちらにも基調になるのは、英語で俗に言う「KEEP ON~~ING」ではないか、と思うのです。この詩から伝わってくるのは上記に書いたような「持続」と、もうひとつは「徹底」ですね。この人に「ま、いっか」はなさそうです。それがあるか、ないかで大成度はまるで違ってくるでしょうね。非常に気持ちの良い詩です。技術論的には、シンプルな中にもうひとひねり欲しい気もしますので、佳作一歩前で。
4 エイジさん 「モダン・ネオ・ロマンティシズム」 11/4
少しエッセイ風味の詩と言えるでしょう。前半は秋の風情を交えながら喫茶店内の情景が良い雰囲気で書けていますね。喫茶店に詩を書きに来たといった設定なのですが、ここに自己の詩が引用されるとは、おもしろいアイデアですね!あまり例がないですが、上記設定からすると、ある意味必然であり臨場感ありです。しっとりと静かな語り口にも好感です。ただ後半は少し急ぎ過ぎたかな?(エッ、もう帰っちゃうの?)の感なきにしもあらず。帰る前に、もうひと山あってもいいでしょう。佳作半歩前で。
アフターアワーズ Ⅰ
こちらに書きます。このスタイルでももちろんいいんですが、僕は散文詩型にしたものも同時に持っていていいと思う。あとタイトルは大き過ぎか? 自作詩周辺か喫茶店系のものをピックアップしたほうがいいように思います。ただ、“エイジさん事情”があるのかもしれず、その事情を知らない他者はそんな風に考える、ということです。
アフターアワーズ Ⅱ
スティーリーダンがBGMに鳴り続ける喫茶店なんてあったら、僕だったら3時間位はいたいですね(追加オーダーしなきゃ!)スティーリーダンは、まあ、ロックなんですが、いろんな要素があって、ジャズの人に一目置かれることはあっても、けなされたことはただの一度もない。むしろ好んで、カヴァーされるほどです。バックに入るのは多くはジャズ~ファンク系。アメリカンミュージックの奇跡と言ってもいい。僕が好きなのは、「KID CHARLEMAGNE」です。また歌詞が「詩」になってるんですね。ちょっと難解、皮肉、危険、挑発的です。逆にセザンヌ「トランプをする人々」は知らなかったので調べました。裏話。
5 晶子さん 「桃太郎」 11/5
日本人なら誰もが知ってる桃太郎。これはちょっと奇譚といったところでしょうか?
これ、最後まで骨のままで読んでいいんでしょうかね?それとも洗濯女が拾ってくれれば、肉体を持って転生する、そんな風にも読めるんですが。それまでの夢や願望や心意気を思ったといったところか?そんな風に読めました。もしも肉体が再生するのであれば、この詩の何処からなのか、がちょっとわかりませんでした。それはともかくとして、あの桃太郎が骨であるというのが、すでにして奇譚であり、この詩のユニークであり、従来の説話から発して創造性まで発展するかもしれないのです。ちょっと評価は外させてください。
6 まるまるさん 「床を 拭く」 11/6
ちょっと古い表現になりますが「台所は主婦の居場所、オフィス、仕事場」なんて感じもするし、
いにしえは奥方そのものを指しました(御台所―みだいどころ)。なにやら、そんな雰囲気は受け取れるのです。「台所は そこに居るママ そのものだから」以下、連終わりまで、や終連のひとつ前などに、そんな気分がさりげなく感じられます。ちゃんと息子さんにご主人―家族もいます。幸せな台所。「一日の終わりに/私は台所の床を拭く」なども今どきの行為としては珍しいし健気です。喜びを感じてますね。わずかながら清々しいプライドも―。一日、お疲れさまでした。美味しかったです。 甘め佳作を。
アフターアワーズ。
ちょっと思い出しましたが、石垣りんに、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」、って詩がありましたね。
評のおわりに。
家屋の老朽化、床が抜けないように本を大量に処分しました。その取捨選択の辛さ、難しさ。
( 司馬遼太郎は一冊とて処分しないゾ! ) では、また。