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スレッドNo.3024

11/7~11/9 ご投稿分の感想です。 紗野玲空  

今月より評者をさせていただくことになりました紗野玲空と申します。
宜しくお願い致します。
11/7~11/9にご投稿いただいた作品の感想でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。しかしながら、作者の意図を読み取り切れなった部分も多々あるかと存じます。的外れな感想を述べているかもしれませんが、詩の味わい方の一つとしてお考えいただけたら幸いです。

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☆「玄関の花瓶にはー」 三浦志郎さま
三浦先生、こんにちは。(どうか先生とお呼びするのをお許し下さい。どうあっても私にとって先生は先生なのです。)
素敵な詩をいただき恐縮しております。ありがとうございました。
僭越ながら、感想を述べさせていただきたいと存じます。
「トルコキキョウ」…私の大好きな花です。先生にお話になった事はないのに、何故ご存じなのか不思議な程でした。
幾重にも重なる花びらから、相手に寄せる思いに因み、優美、感謝、希望、思いやり、良い語らい、等の花言葉がある様です。
斯様に素敵なトルコキキョウ…大変恐れ多いのですが、このトルコキキョウとは、私自身(紗野玲空)を指しているのではないかと感じました。
「花の精」とは「詩の精」、「この家」は「MY DEAR」、「奥さま」は「三浦先生」(旦那様は島先生でしょうか…)を譬えているのではないでしょうか。
「MY DEAR」という家の玄関で、玄関の花瓶に生けられている花々は評者の皆様です。
投稿者の方々をお迎えし、それぞれの視点で詩の美しさを語られます。
「MY DEAR」には、様々な詩を愛する人達が出入りします。優しい風の様なかけがえのない詩句がやってきます。

トルコキキョウとして命を与えられ、これからMY DEARの評者として玄関で詩をお迎えする私の、評者としての心構えを教えていただいた様に感じました。
訪れてきてくれた…詩を愛する人、詩に、感謝を込め、首を動かし(これは上っ面だけでなく心底から…という事ですね)、頷きながら挨拶をする…
「ようこそおいでんださいました」と…。

育てていただいた先生方に、今後も見守られつつ、トルコキキョウとして、トルコキキョウらしく、彩りを添えて、自らの詩も懸命に磨き、応えて参りたいと存じます。
「ありがとう」…MY DEARがある事、詩を愛する方々が集うという事、良い語らいたる詩を取り巻く全てに、そして、それを詩で御教示下さった先生に深く感謝申し上げます。

今、私の目の前に生けてあるトルコキキョウ…冬日向の中、薄紫の花びらが美しく透き通り、優しく揺れています。
この花と共に、評者として歩んで参りたいと存じます。
ありがとうございました。
今後共、宜しくお願い致します。


☆「好きなだけなのに」 喜多郎さま
喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
「好きなだけなのに」のセンテンスがとても印象的で、詩全体を引っ張っていますね。
題にもなっているこの一句が、詩をリズミカルにし、とても効果的に使われていると思います。
「好きなのに」ではなく、「だけ」を入れて、「好きなだけなのに」と、限定の要素を加える事で、より切実さが伝わってくる様です。
「切ない」「苦しい」「悲しい」「見てしまう」…
恋する者の心情としては、ただただ、頷くばかりです。

「……キスしたい」と「……」を上手く使用し、遠慮がちに望みが伝えられ、その後、「嬉しいよ」「楽しいよ」と、前半に訴えられる辛さ、欲望が、喜びに変化していくのも素敵だと思いました。
「どうして良いか分からない」「どうして良いか分かってる」という揺れる恋心の自問自答も、とてもきいていますね。
その後、「好きなだけなのに」が2回繰り返され、反復される畳句の方法も、結びに向けてのクライマックスに相応しいかと思いました。

最後は、恋する私自身に対する疑問「~ちゃうんだろう」の形での終着…心情の流れとして、とてもよく理解できました。
とても素敵な詩でした。
もし、もう少し考えてみるとするならば、連分けをしてみたらどうかしら。
より、詩句が強調され、それに伴い、他の思いも浮かんでくるかも知れません。
恋っていいな…と思いました。
ありがとうございました。


☆「選ぶ」 妻咲邦香さま
妻咲様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
「選ぶ」…私達は人生の様々な局面に於て、選ぶ事を迫られますよね。
さて、こちらの詩は、愛する女性とテーブルに向かい合い、温かい飲み物でもいただきながらの語らいの場面でしょうか。何か、些細な事で行き違いが生じてしまったのかしら。僅かな溝が大きな決断の引き金となり、必然的に選ばねばならない状況が差し迫っている…そんな緊迫感も伝わってまいりました。

しかし、そんな日常の選びを表に出しつつ、本当に伝えたい事は、妻咲さんの内面の選びにあるのではないかと感じております。
具体的に申し上げるならば、御自身の詩作の状況を、そのまま詩になさっているのではないかしらと思いました。
絵を選ぶ様に、詩を作る時には、言葉一つ一つを手に取り、語りかけます。
「こんにちは
 ご機嫌いかが
 また今度」
がきいていますね。
又ある時には、飲み物をいただきながら、悪いとも良いとも言わず、違うのと違わないのと、言葉に告げられたまま、改めて出会える別の日を待つ事も、詩作にはよくある事です。
「この世界が永遠でないことは」以降は、特に、詩作での言葉選びに対する思いを、より素直にぶつけていらっしゃると思いました。
「あなたのこと」…あなたとは言葉ではないでしょうか。思えば、私も、そんな思いをぶつけながら言葉選びをし、書いてきました。
最後の一連は、さすが妻咲さん。ふっと、意識が郵便受けの音に移り、日常に戻される…見事な着地ですね。
素敵な詩をありがとうございました。 


☆「万歳!いとも逞しき非処女たちよ」 おこぜさま
おこぜ様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
色々な味わい方ができる詩だと思いました。
一つは…、例えば筑波山信仰に基づく神話の様なものをベースにした詩ではないかと想像しました。
つまり、神体山である筑波山の西峰である筑波男大神としてのイザナギノミコトと、東峰である筑波女大神としてのイザナギノミコトの和合を、おこぜさん風散文詩とされたのではないでしょうか。
もう一つの読み方としては、筑波山の登山道にもあった様な、江戸時代の遊女屋での一幕が想像されました。
或いは、高嶺の花の如き女性に挑む男性の心意気をよまれたのでしょうか。

少々気になりましたのは、公娼制度が敷かれ、公娼が遊女と呼ばれたのに対し、売女と蔑まれた私娼たちがあった事です。(ここでは詳細について述べる事は避けます。あまりにも複雑な歴史があるからです。ざっくりとした歴史的事実として私が記憶している中だけで語らせていただく事をどうかお許し下さい。)彼女達が取り締まりの網を逃れ、いかに強く生きたか、生きねばならず、また生き延びたのか…。
様々な国、時代に於けるそうした背景は、ご存じかと思います。

性的な問題、見方は、現代ではジェンダーの問題もありとても複雑で、なかなかデリケートな部分でもあります。だからこそ、詩にする意義もあるのかと思います。(短歌などでは人気のジャンルの様に性が取り上げられていますね。)
表現の自由の上にも、性という大きな問題を、負をイメージしかねない言葉に落とし込む事の責任の様なものも、御一考いただけたらと感じました。
私も勉強させていただきました。
ありがとうございました。


☆「夜を知りたい息子へ」 紫陽花さま
紫陽花様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
こちらの詩は、お母様でいらっしゃる紫陽花さんから御子息へのお手紙ですね。
お母様の子どもへの愛情が溢れています。

「私はあなたが大好きだから」
私は評に際し、いただいた詩を全て書写させていただいているのですが、この一句の処で、顔を覆い、鉛筆を置かざるを得ませんでした。

子どもというものは、未知への好奇心に溢れています。小さな頃は、その興味の抱き方に感心し、一緒に好奇心の海を泳ぎ、共に新たな発見をして楽しんだものです。しかし、思春期になるとそれがガラリと変わってしまいます。男の子は声が低くなり、自分よりもどんどん大きく逞しくなっていく。そして、理にそぐわない事を言い始め…困ってしまいますよね。(少し前までは9時には寝ている子だったのに…)

前置きが長くなりました。そんな昔の事、子育ての過程までも思い起こさせる、ずっと見守ってきた母親にしか書けない一句一句で埋め尽くされ、説得力を以て読み手に伝わってきました。
紫陽花さんらしいのは、母の押しつけの意見ではなく、御子息の気持ちを常に慮っている処、ここがとても素敵だと思いました。
素敵なお母様…御子息は幸せだと思います。切々と訴える母の気持ちは、きっと伝わると思います。
「虚構」「悲しみ」…華やかな街の裏の姿も理解できるでしょう。
子を思う母の思い…深く胸に沁みました。

1点だけ…最終連は、私でしたらカットしてしまうかも知れません。
それ程、「大好きだから」に胸打たれました。(でも、この最終連、優しい優しい紫陽花さんの照れ隠しの様にも感じて…それもいいかしらとも思います)
素敵な詩をありがとうございました。


☆「憧れ出ものは」 積 緋露雪さま
積様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
「憧れ出た」(あくがれでた)とは、何となく心惹かれて出かける、あてもなく彷徨い出る、といった意味でよいのでしょうか。
「平安期に連れ出された」…平安期といえば、新しい仏教、天台宗、真言宗が開かれ、日本仏教の方向性が決定された時代。又、これらが日本古来の信仰と融合し、シンクレティズムの一種として、神仏習合が起き、本地垂迹説が広まった時期です。国風文化が花開く華やかな印象が持たれる反面、世が乱れ、飢饉や疫病で多くの人々が命を落とし、末法思想が広く浸透していった時代でもありました。末法と向き合う結果として、浄土思想がおこり、空也や融通念仏が出現した頃でもあります。
さて、詩の主人公は、そんな平安期に連れ出されたのでしょうか。
世が乱れ、感染症に苦しむ人々の世界(正に現代に通じる)は、魑魅魍魎蠢く百鬼夜行の世界と、読み手も想像できます。

憧れ出たものは、己の意識の奥にも広がっていく…2連目まで拝読し、最近読了した村上春樹氏の『街とその不確かな壁』をふと思い出しました。
壁を隔ててあるかの如き、意識と無意識、実体と幻、本体と影、肉体と魂、現実と非現実…それらは実は混在しており、そうした世界の中を、不確かな、孤独な私が、魂の疫病とでもいうべきものを抱えて行き来する…。本の主人公の姿を、そのまま積さんの詩の主人公に見出した様に感じました。
生きている中、生かされている中で、誰しも一度は深く考える問題だと思います。
しかし、言葉にはしにくい。その難しさを、御自身の心の動きに忠実に言葉を選び、詩として表現されていて、とても素晴らしいと思いました。

最後…これらの思考は夢だったのでしょうか。しかし、朝になっても吾の中に吾は戻らず、霊に憑りつかれたのか…。
夢と共にいよいよ真の姿にてあちらの世界に憧れ出てしまった様です。
吾の肉体は消え、詩は魂が記されたとの事、こうした物語性ある展開も、『日本霊異記』か何か…古い説話集を紐解いている様で楽しめました。

1点だけ…3連目のピカソの「ゲルニカ」に関する部分が理解できませんでした。
「ゲルニカ」はご存じの通り、スペイン内戦…1937年に反乱軍のフランコ将軍を支援するナチスにより行われたスペイン北部の小都市ゲルニカに対する無差別爆撃が題材となっています。爆撃を表す具体的モチーフは排除され、悲歎や苦痛にもがく人物や動物が象徴的に表現されています。積さんの仰る「人面人魂と化して 盆踊りをしてゐる最中に…」とどうしても結びつかず、意味する処を読み取れませんでした。ごめんなさい。

読み応えのある考えさせられる素敵な詩でした。
(こんな詩書いてみたい。憧れちゃいますね。)
ありがとうございました。

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以上、6作品、御投稿いただきありがとうございました。
十分に読み取れず、至らぬ点が多かったかと思います。
ごめんなさい。
一感想として、さらっと流していただけましたら幸いに存じます。
評者の私が、一番学ばさせていただきました。
ありがとうございました。
寒さに向かいます折から、皆様、くれぐれもご自愛くださいませ。

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