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スレッドNo.3035

メレヨン島の悲劇  上田一眞

メレヨン島
この不条理極まりない
魔の戦場を知ったのは
職場の上司が記述した体験記からだった
陸軍中尉だった彼は手記に記している

 遥か南海の孤島で
 焼きつくような暑さと 
 空腹に堪えながら死んだ戦友を思うとき
 慟哭して捧げる言葉すらない 

メレヨン島 聞かない名だ
調べると中部太平洋
グアム島の南方六百キロ
カロリン群島のオレアイとも呼ばれる
小さなサンゴ礁
戦前は日本の委任統治領
現在ミクロネシア連邦の一部となっている

島々はどれも小さく
諸島中最大のフララップ島でさえ
一辺が千五百メートルほどの三角形
標高ニメートル
全部合わせても四・五平方キロの小諸島だ

この諸島に昭和十九年四月
一個旅団七千名の将兵が上陸し
配備された

戦闘といえば
小さな島の飛行機発着場を
B24爆撃機に空襲されたくらいで
ペリリュー島のような
血で血を洗う上陸戦
本格的な地上戦は行なわれなかった
しかるに
復員できた者僅か千五百名
実に五千余名の将兵が
餓死した

米軍は有名なカエル跳び作戦で
マリアナ諸島の
サイパン テニアン グアム各島を攻略
主要な島から遠く離れたメレヨン島は
最前線の背後に残された
畢竟
島は戦略的価値を無くして
無視されたのだ

一方日本軍の最高統帥部でも
中部太平洋の防波堤と位置付けしていた
メレヨン島に
当初考えていたほどの決戦価値を見い出せず
旅団を〈捨て置き〉にすると決めた

勝手なもので
戦況の変化に犠牲を強いても
無頓着
七千名を干殺しにして屁とも思っていない
これが名誉ある皇軍首脳陣の本質だ

米軍と干戈を交えることもなく
敵からも味方からも見捨てられた
死の独立混成旅団
たった三ヵ月分の食料しか持たされず
その後の補給は
潜水艦による限られたもので
皆無に等しかった

メレヨン島は
碧海に浮かぶ椰子の姿も美しい南洋の小島だ
ラグーンを囲む環礁だから
サンゴの欠片ばかりで土がなかった
ゆえに蔬菜の栽培は叶わず
タロイモなどが多少採れる程度
火薬を使った漁撈も
たかが知れており
部隊全員の腹を充たすことはできなかった

糧なき戦いの悲劇は始まった
支給米七月から 一人一日四百十グラム
八月 二百四十グラム
九月 百グラム
この頃より餓死者が出始め
野草 鼠 蜥蜴 芋蛆まで食ったが
酷い下痢を起こし
褌を汚した
ただ単に
食った者の死期を早めただけだった

味方同士で
食料争奪の悽絶な殺し合いが起こり
食料統制を乱した将校が自決させられた
多くの兵が飢餓と
蚊を媒介としたデング熱などの風土病に倒れ
死臭は全島を風靡して
陰惨を極めた

部下の亡霊が
夜な夜な小隊長を誘いに来た

  隊長!靖国神社へ行こう!
  引率を頼む

戦わずして玉砕したも同じ
メレヨン島守備隊も終戦により降伏
七千もの将兵が
食料もないまま放置されていたと知って
米軍は驚き
クレイジーと言った

昭和二十年九月
復員船がメレヨン島に来た
帰還の船に乗り込むとき
姿なき鳥が
ギャーッ ギャーッ と啼いた
それは無言の帰国をする者たちの
泣哭(きゅうこく)に思えた

編集・削除(編集済: 2023年11月18日 04:59)

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