ロバートジョンソン えんじぇる
ロバートジョンソンは、たった一人で、誰も聞き手がいなくても歌ったんじゃないかとエリッククラプトンは分析する。
私は決められた場所で、求められる歌を歌える幸福が手に入らないなら、歌を歌わないと決められる表現者をどこかで信用出来ない。
本当に、心が、歌と想像力の世界に生きる人間なら、精神病院の中でさえ、歌おうとしてしまうのではないか?
沈黙を守り続けると独白気味になる。意味や辻褄は合っていないけれど、どこかで意味をなしているような、そんな精神病者の話を聞いたことがある。
立川談志が、現場を無くした時、沈黙を守り続けられただろうか?
承認欲求の世界に生きる表現者は、無難な表現が丁度いいと思ったから、都合良く内容を調整したと語る。
それが受けてしまうと、私の行き場は塞がれたようなものだ。
演じている。キャラでやっている。そう言った似非者を、プロであり職人であると大人が言い出した時、一人語りの世界に生きた人々が懐かしい。
孤高のブルースメンが、悪魔と契約して、利益社会に本物のアートの門を開け開いた。
悪魔と契約する前、歌は決して人を選ばなかった。どこでだって歌う。誰とだって歌うし、誰にだって歌う。それが本物の歌だったろうに。