感想と評 11/17~11/20 ご投稿分 三浦志郎 11/26
お先に失礼致します。
1 鯖詰缶太郎さん 「ふゆがれ」 11/17
主要部を成す子ぎつねさんとのやり取りが、可愛くて面白くていいですね。ほのぼのとしてユーモアもあります。おとぎ話のような雰囲気が味わえます。いっぽうで「僕だけのようで あります」の初期部分がそれ以降~詩全体とどのように関わるか、がちょっと見えてきませんでした。この部分と終わり近くにも「あなた」とあるので、何らかの繋がりがあるはずなんです。そういった意味で、この初期部分は解釈上、もそっと地に足つけた表現をされるといいかな、と思うわけです。
僕が一番好きなのは最後のふたつの連です。季節の移ろいとほのぼのとした気持ち。
こういったハートウォーミングはこの詩全篇に感じられます。冬は寒いものですが、この詩は言葉によって暖かくなれるのを感じます。それを思うと上記の初期部分はなおのこと、全体にもう少し寄り添ってもらいたい気になるのです。 佳作一歩前で。
2 妻咲邦香さん 「ゴールを揺らす」 11/17
これは僕だけの読み方かもしれませんが、タイトルとゴール云々の記述ですが、この部分をサッカーの事と思っていては、この詩を読み誤る気がします。(サッカーに騙されちゃいけない!笑)であります。これはおそらく何かの象徴、隠喩。じゃあ何の事でしょうか?強いて言うならば、ゴールとは主人公の考える目標、あるべき姿、差し当たっての到達点?多少、勝ち負けの記述が出てきますが、これも人生に関わる事かも?ただし詩上でさほど深入りする必要なし。個別性の代表として「あなた」が登場します。そして主人公の「私」がいます。これだけでも最低限、社会は成立します。二人の関係性、アプローチの仕方、そこに同心円上に、拡大解釈上に広がっている世間があり、社会があり、万物が控えている。そういった諸々へとの自己のあり方―共存のような―ではないかと思ったりするわけです。「星と話す」云々はこの詩にとって、特に大勢に影響はないでしょう。頭の中で自動的に浮かんだものを捉えたに過ぎないかもしれない。サッカーの件もたまたまサッカー中継でもあったのかもしれない(たしか、日本代表VSミャンマーだったかの試合あり、日本大勝)。へんな評文を書いてますが、逆に言うと、それ以外は全てこの詩にとっては最重要部分。すなわち自己を取り巻く全てのものを対象として、その接し方を”反世界・不条理“の表現スパイスを効かせて再現した、そんな風に見てます。相変らずユニークです。佳作です。
3 上田一眞さん 「メレヨン島の悲劇」 11/18
文中「メレヨン島 聞かない名だ」―全く同感です。知らなくてごめんなさい。逆に教えて頂きありがとうございます。あの戦争を通史で見ていくと、軒並み、こういった現象そして悲劇が生起しています。すなわち米軍は戦略的価値が低いと見るや、そういった島を置き捨てどんどん北上、先を急ぐ。絶対国防圏に迫る。結果としてのマリアナ~フィリピン~硫黄島~沖縄といった具合です。
置き捨てられるとはどういうことか?敵も来ないが補給も来ないということです。結果としての立ち腐れ、孤立無援。大本営は見捨ててしまうということです。餓死・病死・自決・処刑・同士討ち、この世の地獄の全てが現出した。その典型が同島であることがよく理解できました。もしかすると、あまりにむごくて歴史も人々も、あまり語りたがらない、もしかすると終戦まで箝口令が敷かれたかもしれない。そんな観測を僕は持っています。それを考えると文中の職場の上司は戦後とはいえ、ある意味、勇気ある行動をしたと言えそうです。終わり近くの亡霊譚と終連は印象的です。これは誇張ではない気がしています。
アフターアワーズ。
それらに似た話を読んだことがあります。引用します。「アッツ島はすべての人達が死に、キスカ島のほうは全員救出された。かれらをのせた艦がアッツ島沖を通ったとき、島からバンザイの声が湧くのをきいたという人が、何人かいた。私は、魑魅魍魎談を好まないが、この話ばかりは信じたい。」 (街道をゆく 四十二 三浦半島記 「鎌倉とキスカ島」 司馬遼太郎)
4 えんじぇるさん 「ロバートジョンソン」 11/18
これはまず、ロバート・ジョンソンの「クロスロード」伝説を一応押さえておいたほうがいいでしょう。すなわち、国道が交差する「十字路」で、彼は悪魔に魂を売り払って、その引き換えにブルースのテクニックとフィーリングを手に入れた、という伝説です。冒頭のクラプトンの分析はこの詩の推進力として、最後まで持って行った方がいいように思い、そのように読みました。立川談志の件もこれと同調と見ていいでしょう。対して、そうではない人々の例が提示されます。これは表現者の初動期である健全で純粋な表現欲求から、ショービジネスの発展に伴い夾雑的要素が入り込み、純粋な心が押しやられていく過程を、この詩は「私」の独白を借りて伝えようとするかのようです。その際、「だろうか?」「懐かしい」「だったろうに」等、けっして声高ではなく、マイルドに伝えるところがいいですね。ちょっと気になったのは終わり3行で、ちょっと論旨がズレるようにも思えるんですが。それはともかくとして、僕自身は冒頭のフレーズこそ、この詩において持っていたいものですね。原点回帰の提唱を感じて佳作を。
5 エイジさん 「音を紡ぐ」 11/18
たとえば、ただの一音。それのみだと、まだ物質的な要素が拭い取れない。しかし音楽の始まりには違いない。しかし、しだいに音数が増え音楽は育ってゆく。そんな主旨を感じさせる初連です。旋律⇔和音という要素、とりわけ5連。和音の積み上げの上を旋律が駆け抜ける感覚、そして主題→変奏→コーダという要素。詩の中で音楽が立ち上がってくるのがよくわかります。音楽のタイムと構造をよく理解され、譜面が進むように詩も歩み、それぞれのパートが印象的な表現で装飾されていますね。層々と積み上げていく感覚がいい。詩音の大伽藍です。この詩であたかも一曲といった趣きです。終連は冒頭を回収しきっている。この詩に似合うのはジャズでもロックでもポップスでもない。クラシックでなければならない。それもオーケストラですね。文体もテーマにふさわしく気高く荘重にセットされています。もし読み手の中でクラシックの好みの曲があれば、それを思い浮かべて読むと、言葉の中に音も立ち上がってくることでしょう。ここ最近、ちょっと指摘もあったのですが、今回は全くなし。上席佳作と致します。
アフターアワーズ。
僕の場合なんだろ? 瞬間的に浮かんだのは繰り返しで積み上げていく感覚は「ボレロ」かな?
6 凰木さなさん 「歌えない歌」 11/19
おそらく、何か落ち込むことがあったんでしょうね。ここの歌の件ですが、悲しさ、落胆の度合いを表す隠喩と取ってもいいし、実際、歌が好きだけど歌えなくなった人を思い浮かべてもいい。両用に読めるように書かれています。「~時には」→「何もないところへ」「思いついた事をする」。後者の―つまり受け皿としての心理、行為がおもしろく、かえって詩的なものを感じますね。
僕が一番好きなのは「生まれてきた責任~地図を渡されて来た」です。そうですねえ、責任ねえ。
地図を渡されて……。ここは、ホント考えさせられる名フレーズですね。なんか遠い目をしたくなります。ひとりびとり、地図を持っているのかもしれません。それを頼りに自分に忠実に生きていく。そんな終連でしょう。持って生まれたもので生きていく、そんな解釈ができそうです。最後に軽く申し上げるとタイトルです。これだと、ちょっと「具体的に、この曲が歌えないんだ」ってニュアンスを多量に含みそうです。この詩の方向性は別の処にあり、心理的にもっとワイドレンジでしょう。たとえば「歌えない時にはー」なんて余韻を含んでも、ちょっとしゃれてて、いいかもです。佳作半歩前で。
7 小林大鬼さん 「上総亀山の秋」 11/19
丹波亀山(現、亀岡)は知っていましたが、上総にもあるとは知りませんでした。勉強になります。
調べると久留里線の終着駅だとか。駅舎はポツンと鄙びていて、とても雰囲気があります。3連独立連が、この土地の閑寂さを伝えているかのようです。近くの亀山湖の画像を見ましたが大変美しいところですね。ところで4連がよくわかりませんでした。
それ以外には地名記述が無い限り、風景が浮かびにくいというのは、いかにも惜しい気がします。現地映像が大変美しいだけになおさらです。対象に対してあまり深入りしない淡白さが大鬼さんのひとつの持ち味なんですが、これは詩の中に、風景の中に、もう少し入り込んで書いて欲しいというのが正直な感想です。佳作一歩前で。
評のおわりに。
すでにして12月が近い! こ、これはいったい何たること……?! では、また。