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スレッドNo.3062

上田一眞さんへ。 三浦志郎 

詩としての完成度がいかほどのものか、留意することはないか、そうした批評が頂きたいのですが無理でしょうか。
(上田さんコメント)

なるほど、そうですよね。例えば、ドキュメンタリーとか戦記文学といったものは、こういう書き方をするでしょう。詩として把握する、詩の完成度を測定する、となると、こういったものは少しズレると思います。いっぽうで、これは僕の一方的な考え方ですが、世の全ての文章とそのジャンルは詩に変換し得ると思っていて、「自分が詩と思えば、それはすでにして詩なのだ!」といった強引な立場で押し通って行きます。ただし「詩的“純度”」には留意したいと思っています。スタイルは問わずに「詩的かどうか?」がその尺度になります。上田さん言うところの「“詩としての”完成度」です。
キツイことを書いてしまうと、(以前の同列作品も含めて)対象を調べて、戦記を多少知っていて、文章に心得がある人なら、ある程度書けてしまう、ということです。総論的でウィキペディア的なんです。これは多くの詩人が言うところですが、「一作品にそう沢山の事は盛り込めない」です。この詩は「沢山」であり総論であり概観です。僕が考える策としては、もっと局地・局限したほうがいいということです。この詩で言うと、「捨て置き」のこと、「部下の亡霊」のこと、終連のこと、これらのどれかだけをピックアップして、それだけについて書いて、自己の考え、思想を色濃く入れて深化させる。わかりやすくするために極端に書くと「狭く深く」書くことでしょう。もちろん詩的な修辞は必要になります。もちろん、どういった場所か、背景かは書かねば読み手はわからないので、ほんの数行書けばいい。注釈化だけでもいい。もっと知りたい人はおのずと調べるはずです。この悲惨な状況を総論的なエネルギーに乗せるのではなく、もっと絞り込んだ個別性の中で深めたほうが、詩としては得策と思えるのです。例えば……です。

その島の名はあまり知られていない
太平洋戦争で悲運にも
地獄に見舞われてしまった
どのような地獄だったかもあまり知られていない
知らせたくなかったのかもしれない
それほどの悲惨

*メレヨン島  (以下、注釈に任せる)
ある人が手記を残している

~~~以降、一事象ピックアップで惨状、自己の感慨を披瀝する

僕の歴史好きに戦記も含まれるのですが、やはり、かえってこういうのは難しいです。
これは自分の立場含めて書きました。

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