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スレッドNo.3148

雨音様 評価お礼  えんじぇる

感想評価ありがとうございます。

可視化できない概念をどう捉えるかというところに、人間の価値観や質が現れると思うのです。

私が考える優しさと愛についてのイメージですが、


スピッツの「運命の人」の歌詞に
「愛はコンビニでも買える」というフレーズがあります。しかし、優しさだけは、売ることも出来ないし、買うことも出来ないと私は思います。相手に挨拶されると嬉しい。それは愛ではない故に、若者の多くは舐めた態度をとります。挨拶を軽蔑する人も年齢層が上がりました。尊敬出来る大人が減ったのです。
愛には劣った愛、歪んだ愛、未熟な愛。いろいろありますが、本当に成熟した美しき愛を見つけることはとても難しい。
映画マトリックスで描かれているような、男女がお互いの必然のために交わす純粋な愛。
そういうものは、映画でしか見れたことはありません。
しかし、雷のような怒りが起こす戒めの愛はたくさんこの目で見てきました。

優しさは性的な魅力とはまた違う人間的なもので、距離感と気品のあるものです。
追い詰められると人は、その距離感と気品に憧れるものです。しかし、とっている行動は真逆のため、外から見ると、本当に大変な時優しさより愛だなと見えるのではないでしょうか?

弱さ故に弱肉強食に敗れると、相手に譲ってきたという自尊心がないため、敗北感だけが残る。
どこかで自分は譲ってきたことへのプライドがあるのだと思うんです。追い詰められ始めている筈なのに、未だに優しさを認めてくれる人がいる。それはどちらかというと若い子達です。

同じ弱者と呼ばれる人たちに私はどうしても馴染めなかった。譲ったのではなく、負けたという怨恨の強さを感じるのです。

三連目は自分の想像かも知れませんね。
実際私は、他人を薙ぎ倒して勝利を手に入れたことがないのです。女性の愛をライバルを蹴落として手に入れるという物語に、馴染めなかった、選んだ女性をバカと侮蔑して去っていったのです。
「こんな奴が俺よりいいのか?」
と女性への怒りと軽蔑心が勝ち、まともに競おうとは思えませんでした。その男性はとてもいい人で、敵意は全くありません。が、私が女性だったら、これは選ばないと言う違和感が勝ってしまったのです。

優しくされて嬉しいと女性が言う時、その内容に納得がいかないことがあります。
それはそう言う態度をとった方が好ましいと言う社会的建前の中にみれるもので、その多くは私からすれば偽善だったからです。女性からの愛を得やすい愛。それは易きに流れると言う点で、納得はいきませんでした。

編集・削除(編集済: 2023年12月11日 21:37)

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