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スレッドNo.3163

感想です ◎12月5日(火)~12月7日(木)  滝本政博

◎12月5日(火)~12月7日(木)ご投稿分
今回もまた感想になります。
一生懸命に読みましたが、見当外れだと感じるところがあればスルーしてください。
次回から評を付けていきますので、よろしくお願いいたします。


「高跳び」  喜太郎さん  12/5

読んでいると、映像が次々と変化し、それを追うのが気持ち良いです。
高跳びという運動を書きあらわすのにふさわしい表現だと思います。
特に
<教室の窓から見ている私の手は熱く握られてる>
は、いきなりの展開で効果的でした。ジャンプ効果とでもいいましょうか、フォーカスが急に(私)に移り驚きました。この一行でこの詩が立体的になりました。
高跳びをする人と、教室の窓から見ている(私)が、まるで力を合わせて跳んでいるみたいです。
最終行の<飛んで!>は、やや唐突に感じるので、違う言葉に差し替えるか、なくても成立すると思いました。


「小春日和」  積 緋露雪さん 12/6

光りの描写が丁寧で独自性があり読ませます。

二連
<百メートル走を走る調子でマラソンをし始める。
 だが、光がバテるのも待たずに、
 日輪は南西の空に沈み、
 雲ばかりが極彩色に彩られ、
 夕焼けが矢鱈に美しい>
など特によいです。うっとり。

内容は陽が沈んで夜になるにしたがって、ネガティブなりに自分の居場所をみつけます。だが、その間主人公は具体的に何も行動を起こしていない。この詩の観念的な部分は、私にはもう一つわかりませんでした。
タイトルはこの詩全体を差し示すようなものに変えたほうがよいのかもしれません。


「踏切にて」  荒木章太郎さん 12/6

最初の二行は意表をつく導入部です。
全体的に人を思いやる想像力があり、その点が良いと思いました。
擬人化された踏切の一人称のつぶやきで書かれているとおもうのですが、(踏切みたいな顔をして)とか(踏切が鳴り響く)とかの言葉もあり、その他、少しわかりにくい表現がありました。そのあたり、もっと明確に読み取れるように推敲、整理するとさらに良くなる作品だと思います。
つまり、踏切の一人称のつぶやきで書ききるか。「踏切」「あんた」「その他の人々」の描きわけを徹底するとよいと感じます。


「私は誰の痛みも分かっていなかった」  紫陽花さん 12/7

喉元過ぎれば熱さを忘れる、と言いますが、自分の痛みさえもたやすく忘れ去ってしまうのに、他の人の痛みがわかるというのは傲慢なのかも知れませんね。
詩はとても読みやすく、論理的に組み立てられていて好感がもてます。
最終連、腰痛が治りかけて、また元の他の人の痛みが共有できない自己に戻るというレトリックが、面白くもありリアルです。
痛みには体の痛みと心の痛みがありますが、心の痛みの方にも言及できれば深みがましたかも。でも、これはこれでよくまとまっています。一つの詩には一つの事だけを書けばいいので、よけいな意見かもしれません。


「ボーカリスト」  妻咲邦香 12/77

「かぶいてるな」という印象です。
「かぶく」は中世いらい「常識をはずれた振る舞いをする。人目につくような変わった身なりや態度をする(大辞林)」のことをいい、その名詞の「かぶき」は「異様で
華美な風体を好み、色めいた振る舞いをすること」で歌舞伎の語源になっています。
そのような目線で読めば、個々の単語の意味や繋がりが明瞭にわからなくても、この詩の魅力は十分感じ取れます。むしろ奇抜な言葉のハマり具合が気持ちいいです。ボーカリスト=作者だとすると、妻咲さまの気概がにじみ出た作品になっていると思いました。


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詩集刊行へのお祝いの言葉、まだいただいています。
この場所で勉強させていただきました。
本当にありがとうございます。

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