評、12/8~12/11、ご投稿分。 島 秀生
お待たせしましたーー
ちょっと体調が戻ったので、日曜のあいだに滑り込みましたー
皆さんも体調管理、気をつけて下さい。
とりあえず、チキンを食べました
とりあえず、ケーキも食べました。
そうそう、ずっと店の前をただ素通りするだけだったんですけど、
一度も入ったことがなかったリンツ(Lindt)のお店で
初めてチョコ買って帰ったんでした。
メリークリスマス!!
●えんじぇるさん「純愛」
なるほど…。どこかに自分の好きにしたい感情があるのは確かですね。
ただ、自分と同様に、相手にも「自分の好きにしたい」があるので、
二人一緒にいるということ自体が、それぞれに「自分の好きにしたい」のぶつかり合いであります。つまり本来、「二人一緒にいる」ということ自体が、ぶつかり合いの不自然な形態なのであります。
それでももし、「二人一緒にいたい」という感情が勝るなら、相手の「自分の好きにしたい」も尊重して、どこかに妥協点を見いだすしかないのであります。
それがイヤなら、一人でいるしかないのであります。案外と、二択の話であります。
全く事例の異なる話ですが、小さい子供って、純粋です。純粋だからカワイイこともあるけれど、純粋だから、抵抗なく残酷なこともします。そこ、笑っちゃいけないとこだろって時も、純粋だから残酷に笑います。人を傷つけるようなことも、そこまで気が回ってないから、やっちゃいます。
私は、「純粋=美しい」では、必ずしもないと考えております。
とはいえ、リアルではよう言わんけど、詩の上でくらい、イイカッコ言ってみたいお気持ちは、お察し致します。
ともあれ、詩はあまり短く書くと、格言的になってしまいがちなので、長めに書くように心がけて下さい。詩が優先すべきは、情感による制作動機ですので、そこのところは今回、合ってると思うのですが…。
すみません。評価は保留です。また書いて下さい。
●まるまるさん「曲がった襟を直されて」
なるほどなあ、そこな。
前半読んでる時は、なにがどう引っ掛かっているんだろうと、説明はあるものの、ちょっと謎かけ状態だったんですが、言われてみれば、なるほどそうだ。そのとおりだ。
後半で、ストンと腑に落ちました。
私も上着の着脱が、1日に何回かあったので、思いがけず、襟の後ろが立ってたり、襟が折れて、内側に入り込んでたり、したものです。鏡なんて、トイレにしかありませんからね。自分で案外わからずに、同僚やら上司から、ひょいと直されたのを思い出しました。私の場合、上着を着るのは、客の前に出る時だったので、襟が折れたまま、客の前に出なくて良かったなと、直してくれた人には基本的に感謝してたんですが、男同士のことなので、中には手荒にそれをする人がいましてね。あれにはさすがに、少し固まってからしか、すぐには礼を言えなかったな。知らぬ間に後ろから強い力でガッとやられるんですよ。親切でやってくれてるんだろうというのはわかったんだけど、あの荒っぽいのは、正直さすがにイヤだったな。私もオールOKではなかったという点では、少しわかるところがあります。
それにしても、
直すべくは襟ではなくて
曲がった襟に気をまわさない
無神経な私の性質
襟だけ直してみたところで
大事なところは
直らない
とか
私のため ではなく
やりたいあなたのためだよね
そんな風に
不快に思う自分が憎い
親切なあなたは悪くないのに
と、自分に返ってくるブーメランが、ずいぶんとキツい。
ここまで考えるのが凄いと思う。(わたしゃ、そこまで考えたことない)
ここまで考えてるところに感心しました。
引っ掛かるのは、5連と6連の関係性で、5連最後の「大事なところ」とは、
①6~7連の話のとこを指しているんだろうか? それとも
②5連4行目の「無神経な私の性質」を指していて、5連の話は5連で完結してるんだろうか? 完結した話に加えて、6~7連の話は、さらにそんな感情まであるってことを言ってるんだろうか?
現状はね、②に見えるのです。
もし①が正解なら、5連4行目の「無神経な私の性質」を → 「私の性質」とした方がいい。「私の性質」としておけば、その性質はどんなだろう?ということで、6連以降に話が続く。
ところが「無神経な私の性質」としてしまうと、そこで一つ、答えが出てしまってて話が着地してしまう。したがい、6連以降が別途の話になってしまう。
そこが大きく違ってくるので、意図に沿って判断して下さい。
気になったのはそこだけ。あとはキレイに書けていますよ。文体、また良くなったと思います。後半の話は、読んでて、こちらも気持ち良かった。
秀作プラスを。
●晶子さん「老女」
うむ、やっぱり晶子さん、ステキではないですか。間違いないね。
年老いてできなくなることが、「天に返す」ことだという考えもステキだし、いつか全部、天に返す日が来ても、思いだけは返さない。愛しいあなたと出会った思いだけは、この地上へ残す。永遠に残しておくために……。
なんて、ステキな詩なんでしょう。
名作を。
途中の詩行の表現も、1行1行がとてもキレイですね。
2ヵ所あります。
まず初連の終行の「足」についても、前の行同様に、「この足を」と、「この」を入れた方がいいです。
次に終連なんですが、考え方として、自分の身を天に返す最後の時を想定して書いている場面ですから、自分はもういないわけです。すると終行の「祈り続ける」は、誰が祈り続けるねん? みたいなことになってしまう。
終行の「祈り続ける」は適切でないと感じます。
案としては、
でも
最期の時には
思いだけは
天にはあげない
愛しいあなたと出会った地上に
愛しい地上に残してゆく
舞う花の中へ
降る雨の中へ
永遠を刻みつけておくために
こんな感じの方がいいと思いますよ。「祈り続ける」だと第三者が登場してしまうから。
以上2ヵ所、ご自分で一考してみて下さい。
●司 龍之介さん「理想」
決してハデさや豪華さないけれど、特段、人に自慢するような部分もないけれど、小市民的に、あるいはマイペース的に、充実した日々を送っている様子が描かれています。(個人的には、職場環境に問題がなければ、もうそれだけで充分オッケーみたいな気がするよ。そこが一番の悩みどころだから。)
凄いな。最後までひっくり返さないんだ。
どこでひっくり返すのかと思い、読み進むと、最後までひっくり返らない。
ただ、タイトルには「理想」と書いています。
これ全体が理想であるようです。
たいていは、現在、意図しない状況になっているところで、書きように力が入ったり、するものですが、これ全部、淡々と書かれていて、どの部分に、現在との食い違いがあるのか、わからない。一貫して淡々と書かれているのが、お見事ですね。
案外「彼女」は働いてないのかもしれないなあー のっけから現実と食い違ってるかもしれない。あるいは他者だから淡々と書けるのかしら。それぐらいしか、考えられない。思いがけない展開で、描かれている人間像が不条理な人間にすら、思えてきます。
たしかに、決してハデさはないけれど、特段、人に自慢するような部分もないけれど、小市民的に、あるいはマイペース的に、充実した日々を送っている様子が描かれています。個人的には、職場環境に問題ないってだけで、もうオッケーに思うくらいで、この生活が「理想」的には間違いないです。
なんか一本取られたね。秀作あげましょう。
●エイジさん「音の精」
最初、ピアノコードのイメージで読んでたんですが、もしかしたらギターコードかもしれませんね。
フェアリーの存在が映像化されて表現されていますが、
音符と音符の間を
フェアリーが舞っている
や
フェアリーは音の精
優し気な楽曲を見つけては
音譜の中を舞っている
は、
妖精が舞うような演奏、妖精が飛ぶような名曲という意の比喩的でもあると思うのです。私はその、両方から読める表現のところが、とりわけいいなと思いながら読みました。
私は発想が貧弱なので、妖精というとティンカーベルしか思い浮かばないのだけど、5連の説明読むと、ティンカーベルで、そんなに間違えてないかな? と思いながら、頭の中でヒラヒラさせてました。綿とオーガンジーというのは、えらく具体的だけど、一つの印象を残していくという意味では、いいスパイスのような気がします。
ところで、このコード進行が具体的になんの曲なのか、までは想像つかずです。あしからず。
終連、「香り」と「香る」で品詞が違うからカブリではないのですが、まあ、終行は「音符で漂っていた」で、いいのでは?
AIも曲を作ったりする時代ですけど、できれば人間が作ったものにだけ、妖精は飛んでて欲しいなあと思う。その主張にもなっているかな?
そんな拡大解釈の願いも込めて、名作としましょう。
●じじいじじいさん「ゆき」
概ね、いいです。
ともかくね、比喩もふくめ、言葉の種類(正確にいうと、ボキャブラリー)をできるだけ詩の中に増やして下さい。極端な言い方しますけど、じじいじじいさんの場合、言葉の種類が増えることが、そのまま世界観が広がることに繋がっていますから。
3連までは、ほぼほぼいいんですけど、終連になると、また言葉数不足感が出始めていますのでね。
2~3連は、これは文体をキレイにするという意で、
ゆきのそらにかおをむけたら
つめたいゆきがほっぺに
ポツンポツンとおちてきた
ほっぺについたゆきはゆっくりとけて
くびのほうにながれていく
つめたいな
でもがっこうがえりのわたしには
つめたさがきもちよさになったんだ
この方がいいかな? と思います。
秀作を。
●理蝶さん「第三惑星の憂鬱」
私、この中で一番ピピッときた比喩は、
剃刀みたいに無駄のない
銀色の強い夜だから
ここですねえ。アタマで意味を考えなくても、感覚で情景のイマジネーションがピタリ取れる。
これに対して、アタマで意味を考えなくちゃいけないし、イマジネーションがスッとは取れないのが、4連のいくつかの比喩ですね。
まあ、
鼠のようにあざとく
これだけはスッと取れますが、4連の他の比喩はいただけないですね。
アタマで意味の組み立てを考えさせなきゃならないような比喩は、まずあまり良いものがないのです。良いものはスムーズ且つクリアに映像を結ぶというか。
昔、売野雅勇というコピーライター出身の作詞家がいましたが、この人は直喩の鬼でしたね。天才的でした。
また、個別の直喩がうまくいかない時は、連全体でワンワールドにして、同一関連のアイテムを並べてみるのも有効ですよ。そういえば、4連の後半部は関連のものが並んでますから、このコンセプトで前半を揃えるのもアリです。
初連なんですが、第三惑星の天体のことですから、3行目の「貼って回れ」の「回れ」は、あちこち貼って回るの「回る」ではなく、天体の回転を、意味したいですね。なにかそのように変更したいとこです。
ラストの2行、
眩暈がするほど生きてゆけ
眩暈はするけど生きてゆけ
この2行はステキですね。ラストの持って行き方はいいと思った。
うーーん、今回、チャレンジングに一所懸命書いてくれてるのはわかるけどなあー 残念ながら、まだ実を結ぶところまで行ってない感じです。秀作にとどめます。
●上田一眞さん「妖精チチドとオシアニ」
ドイツ語なのかな? イタリア語なのかな? っぽいですが、
まずもって、場の設定がきちんとできているのが凄いのです。なので、ベースとなるものがあるのかな???と思ってしまうのですが、どうやら創作のようです。
また、チチドとオシアニが、どういうことをする妖精かという、キャラ設定もできているので、準備は整っているというか、無理なくその地にある民話のようにすらすらと読むことができます。おもしろいですね。
あと、表現的な部分も、初連、終連の描き方が美しく、キレイです。
あとはまあ、「人」の部分のストーリー感ですね。<悪意>や<孤独>を食われた「人」はどうなるのかが、終連に入る前に欲しいとこですね。
また、そもそも「人」については、第三者的な「旅人」を脇役としてストーリー展開させているのか、それとも夜な夜なその世界を訪問する「ぼく」を、脇役としてストーリー展開させているのか、どっちなんでしょうね?
妖精たちを主役で書きたいのはわかるけど、いずれにせよ「人」を「その他大勢」の登場人物とせずに、ちゃんと「脇役」に置いて、妖精と関わった脇役がどうなったのかまで書いた方がいい。
なぜなら「脇役」の「人」こそが、作者であるのだから。そこに作者の願望や情感が表れてくるから、です。
もう一歩を望むのはそこですね。
でも、まあ、ほとんどできてます。外国の世界観を持っている作品なのがいい。
秀作プラスにしておきましょう。
●秋さやかさん「みずぶえ」
今回は、金子みすゞ調ですね。
でもねー 今回も構成がおかしい気がするんだな。
詩って、まずは全体で何が言えるかが大事で、個々の部分は、その次のことに思いますよ。
あなたがみずぶえ ふくたびに
枝が木の葉を ふるわせる
あなたがみずぶえ ふくたびに
小鳥のひとみ 澄んでゆく
あなたがみずぶえ ふくたびに
お空はあかく 熟れてゆき
家路にむかう こどもたち
夕飯の匂い おかあさんの声
あなたがみずぶえ ふくたびに
やさしい記憶 うち寄せる
つたわってゆけ
みずぶえの調べ
灯る町のそのむこうまで
若干、着地が違うんだけど、たぶん、これの方がマシかなと思う。これ、行数制限でもあったんですかね?
キーはねえー、「私」がどう出てくるかなんです。私の位置があってこそ、「世界」と関係性も結べるわけです。「私」の位置が定まらないうちに、外の世界に向くのはちょっと違うと思うのです。「私」は軸みたいなものだから、そこを抜くと、「世界」が空振りしますよ。
もうちょっと考えてみて下さい。時系列もおかしいし。
「みずぶえ」の画像はステキで、そこのヒラメキは良いので、もうちょっと生きるカタチにしてあげて欲しい。
現行は、ちょっと完成形とは言えません。
今回も構成が取れてない。どうしたんでしょうね???
うーーーん、今回は半歩前としておきます。
●水野 耕助さん「命の彼方へと」
へえええーー
「ビュビュン/飛んでいく」が、とてもリズミカルで、熱もこもってて、いい詩じゃありませんか!!
これ、朗読すると、すごくステキだと思いますよ。朗読に向く詩って、あるのです。
真空に流し込む
激情を流し込む
の発想もいいですね。
行き場のない激情を、真空に飲み込ませる。すると、反発する力が沸き起こり、その勢いで、苦痛、葛藤、憂い、焦燥など、いま自分を包み込んでいる全ての霧を突っ切って、命があるべきその先へと連れていってくれる。
私はそんな意味に解釈して、読みました(違うかもしれませんが、私はそう感じて読みました)。
目指すべき方向性としての「命の彼方」「魂の最果て」。そのアンチテーゼとしての「苦痛」「葛藤」「憂い」「焦燥」。本来、観念的な言葉なのですが、それぞれの集合体を表わすものとして、ちゃんと配置され、自分との関係性を表現できている。決して抽象的な言葉で終わらず、生きている言葉になってるってことです。
よくできてます。おもしろい。秀作プラスあげましょう。これはこれでできてる気がする。