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スレッドNo.3215

ワーグナーの楽劇と共に  積 緋露雪

今年の歳末の一週間の夜は
NHK FMで今年八月にドイツで開催された
バイロイト音楽祭2023のほぼ全曲が聴ける。
コロナの影響でしばらく行はれなく、
歳末の楽しみがなくて残念な年越しをしてゐたが、
今年はワーグナーで締めくくられる。
この習慣はもう長く、
十年以上前から年越しは
ワーグナーで締めくくるのが慣例となってゐたが、
コロナの影響でそれもできず
何ともモヤモヤとした気分で年が明ける
残念な年明けを迎へてゐたが、
やはり年越しはワーグナーに限る。
ニーチェとの確執は有名だが、
ワーグナーの大仰さはニーチェの批判とは裏腹に
歳末の忙しなき光景にはよく似合ふし、
雑踏の人いきれから逃れるやうに帰宅してのワーグナーの
悪魔的な半階音の見事な手捌きに
酒を飲まずとも酔ひ痴れる。
バリトンの男声の歌声が神話を楽劇のMotifにしたワーグナーの
筋骨隆隆とした男性像を際立たせ、
それに嫌悪する向きもゐるが、
神神はどうせならば筋骨隆隆としてゐたほうが様になると思ふ私は
その男声の衝迫力に私の内部の何かが共鳴し
ワーグナーが構築した大仰な世界へと誘(いざな)はれる。
ワーグナーの楽劇は何もかも大仰なのだ。
だからこそ、そこには筋骨隆隆とした神神しか
存在を許さない。
人間ではワーグナーの楽劇の世界は持ち切れず、
人間は世界にぺしゃんこにされるのが落ちなのだ。
神神を人間が演じるのであるから、
ワーグナーの楽劇にはいづれも途轍もないEnergyが滾る。
そこで飛び散る火花の凄まじさはいふに及ばず、
ソプラノの女声が登場すれば、
初めは男声を弾き飛ばすほどに威勢がよく、
しかし、数数の男声の振る舞ひの末に
終幕は男声と女声がクリムトの「接吻」「抱擁」の如く
艶めかしく結ばれる。
この大浪漫劇に私もまた、心底酔ひ痴れるのだ。
此の世界にあり得ぬ故の楽しみ、それがワーグナー。
これは晩年にニーチェが到達した超人思想にも
また、永劫回帰にも通ずるところがあり、
ワーグナーとニーチェは
或る意味、シャム双生児ではなかったのかと思ふ。
それをマッチョ好きのヒトラーが利用した。
ヒトラーの思想を継いだ末裔は今も世界各地に跋扈してをり、
日本でいへば三島由紀夫が最たるものだ。
三島由紀夫はGenocideは行はなかったが、
通底ではヒトラーの血筋と言へる。
三島由紀夫の小説の余りに人工的な世界を私は好かぬ。
三島由紀夫が構築した世界は緻密だらうが、
大仰さの欠片もなく、
読んでゐて息が詰まりそうになる。
その点、ワーグナーは突き抜けた大仰さで
聴くもの観るものを魅了して已まない。
――Crazyは褒め言葉よ
と、いって此の世を去った浅川マキではないが、
ワーグナーには狂気が宿ってゐる。

私はその狂気に魅せられてしまったのだ。
さうして今年も暮れ行きぬ。

編集・削除(編集済: 2023年12月26日 00:41)

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