時の遺産(続・地下に在り)④ 全四回連載 三浦志郎 12/29
三崎警察署の菅野署長はこの件が一段落した後で、
浜野と貝塚を呼んで金の話を切り出した。
この件が落ち着くまで言うのを控えていましたが
浜野さん 貝塚さん
実は実況見分の日 あなたがたが探していた金が発見されたのです
エッ なんですって! 何処で? 通路から要塞跡まで くまなく探したんだ!
貝塚君 落ち着け
あなたがたが場を離れてからゼロ戦を調査した結果
操縦席後部の空間―無線機付近―から大金が出てきました
当時で八万円 現在に換算すると約八千万円です!
安心なさい これは法的にも全く正当なものだった
彼らは懸命に金を探したが、遺体には指一本触れなかった。
それはやむを得ない。遺体への誠実な思いもあったろうが、
その嫌悪と恐怖を思えば納得できる。
誰が好きこのんで白骨遺体に触れ続けるだろうか?
そもそも遺体を操縦席から出さない限り それは見つからなかった。
浜野正風は“死にながら”自分の許で遺産を現在まで”守り続けた“のだ。
その発見は今まで遺志に従ってくれた二人への感謝だったかもしれない。
人知れず地下を這いつくばるように探した二人は発見できず、
正直に事実を語ることによってのみ、その財産を得たのだ。
ここに人生の皮肉も正道もあるのかもしれない。
いずれにせよ、死者から生者への継承であるに違いない。
さて、軍用資金の行方はどうなったのであろうか?結論を言えば、
発見されることはなかった。浜野大佐が返却したか横須賀司令部が
回収した、と見るのが今は穏当のように思われる。
*
浜野正風大佐・三津浜海軍航空隊司令の自決は
誠に悲痛で
その変わり果てた姿は悲惨でもあったが
子息に子孫に
後事を
託して
授けて
逝ったのだった
「されど 自らの戦歴を思えば
げに 善く戦いたり
我が敢闘に悔いなし
我が亡骸 この地を出ること欲せず-
もとより我が一族の故郷なり
荼毘に付すこと無用
願わくば愛機と共に
未来永劫 この姿で在るを切望す
願わくば一命即身仏となりて
この地この国を守り奉らん」
正春の父・浜野正風・遺書の一部である
彼も戦争の犠牲者に違いない
しかし その遺志は四十年間叶えられた
ある意味 彼の霊魂は幸せだったであろう
(こうして遺産のような時の流れは止まった
こうして時の使者も使命を終え去ったのだった)
*
神奈川県にも戦争の遺跡は現存する。たとえば横浜市日吉の旧海軍連合艦隊
司令部地下壕。特殊兵器を研究・開発した旧陸軍川崎登戸研究所。
横須賀市にもそういった史跡はある。
この元飛行基地地下通路も歴史の後ろ姿として、整備・保存・記憶されるのが
望ましく思われる。戦争の歴史を二度と繰り返さぬように。
( 完 )
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掲載日付
二〇二三年
① …… 十一月十九日 ②…… 十二月一日
③ …… 十二月十五日 ④…… 十二月二十九日
これはフィクションで一部地名と人名は架空です。実在とは一切関係ありません。
ただし背景モデルとなった海岸と飛行基地跡地と地下要塞跡は実在します。
地下通路のみは今も存在確定されていません。
今年一年、誠にありがとうございました。 では、また。 皆様、どうぞ、よいお年を。