◎2023年12月26日~12月28日 ご投稿分、評と感想です (青島江里)
2023年12月26日~12月28日 ご投稿分、評と感想です。
(お先に失礼いたします)
今年初めての評と感想のお当番になります。レギュラーの皆様、投稿者の皆様、旧年中は、色々と勉強させていただき、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
※投稿者様へ
投稿された作品は、ご本人様が生み出された大切な作品です。こちらから一案をお伝えすることもありますが、ご参考程度で。また、こちらの無知などで読み切れずおわびをいれることもあります。そんな時、投稿者様は力不足だったとか、謝ったりしないでくださいね。私の担当の日は、詩の好きな人間が手紙を送ってきたくらいの気持ちで、こんな風に読む人もいるんだなぁと、お気軽に受けとめていただけるとありがたいです。2024年の投稿者様の詩生活が充実した時間となりますように。
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☆ワーグナーの楽劇と共に 積 緋露雪さん
楽しみがあるっていいですよね。特に年末に決まった楽しみがあるって、一年の締めくくりを好きなことで締めることができたという満足感にあふれて、とても幸せな気持ちになれると思いました。
コロナ禍で、舞台など、人の集まる催し物が世界的に制限されていたため、通常通りの年末を送れなかったことは、気持ちにポッカリト穴が空くくらいの寂しさに囲われてしまったというような気持ちが伝わってきました。
楽劇の詳細についても、力の入れ方を感じました。特徴ともいえる「悪魔的な半階音の見事な手捌き」について「飲まずとも酔ひ痴れる」の表現は自分がどれほどワーグナーが好きかということを感じさせてくれます。バリトンの男性の歌声とソプラノの女声との融合についての場面では、どれほどの迫力があるのか。そして一つになるときの音楽の美しさを生き生きと表現できていると思いました。
また、必ずといっていいほど出てくる「ヒトラー」というキーワードも盛り込んでありました。途中、「ワーグナーとニーチェ」についてまで書かれていましたが、更にわかりやすくという気持ちが動いて書かれたと思いますが、三島由紀夫に関する話題についてですが、個人的には、直接関与していることとは離れており、推測や好みの話題になっていて、テーマ―の中心の楽劇についてからは、横道にそれているような気がしました。同じ行数を使うなら、その楽劇の置かれていた時代背景や、プロパガンダに利用されたという内容などを示す方がよかったのかな?とも思いました。
Crazyは褒め言葉よ……といった浅川マキの言葉を用いて語った、作者さんのワーグナーに感じる最大の魅力。「狂気が宿っている」という視点は衝撃的でした。自分の好きなことに関しての思い、勝手にたくさんあふれてくる気持ちの大きさが感じられる作品だと思いました。今回は佳作半歩手前で。
☆もし良かったら 喜太郎さん
『もし良かったら僕と付き合ってくれませんか?』
………やめいっ!!
読み始めてすぐの「やめいっ!!」……これって、関西地方の方言ですよね。以外な展開で思わず「え?こうくるんだぁ。」って思った瞬間笑ってしまいました。この展開、なかなか面白かったです。そこから先によく似た感じの言葉「自信を持ていっ!!」もありました。なかなかテンポがあってスイスイと読めたのですが、そこから先は、このようなテンポを感じさせるようなものは特にありませんでした。
言いたいことをストレートに表現できるってすっきりして気持ちがよいと思います。ストレートに言いたいことを書くって、なかなか勇気がいりますものね。そういう面ではとてもいいなって思えるのですが、反対にこの主張に対して言われる方は?と意識してみると、これは難しくなるかと思います。これが主張する方が会社の上司で聞く方が会社の部下だとしたら……などと想像するとどうでしょうか? ちょっとしんどくなっちゃうかもって思いました。そこで思ったのが、一連目にあった「やめぃ!!」の方言。作中の合間に、面白い掛け声を間に入れたりして笑いを誘うような感じにすると、自然と読むことができるのかもって思いました。あと、設定を野球などでよくみる、面白おかしく結束する円陣の場所にしてみたり。最後のプレゼンテーションという言葉で浮かんだのですが、お祭りの掛け声などを用いて、読み手を祭りのヒーロー的存在の気分にさせるような設定にするのも楽しそうかなと。色々な設定を組みなおしてみるのも一つの手かなと思いました。また、「~か?~か?~できるのか?~できるのか?~するんだ!」の文末表現が続くのも、多めの感じがするので、あと少し、言いたいことを凝縮するのもよいかなと思いました。
おかしみを取り入れることで、この作品は、既に言いたいことがしっかりかけている分、かなり面白く、楽しく読めてしまう作品になると思いました。喜太郎さんカラーの、のびしろを感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。
☆冬至 麻月さん
冬の空のお話。この前自転車を止めた瞬間、空と目が合って??空の方に顔をあげると、星がたくさん光っていて。夏の頃ってこんなに星が多かったっけ?と思いました。冬は空気が澄み切っていて星がよく見えるよと聞いたことがありますが、まったくその通りで。作者さんの綴られたような作品が生まれるきっかけになるのだろうなとも感じました。
月の近くにはいくつか明るい星がありますよね。昔、金星が月の近くにあると聞いて、私にも探せるのだと感動したことを思いだしました。木星!実際に地球から見えると感じると感動しますよね。木星の明るさ。半分欠けた月の横にあるというのが魅力的ですね。木星の輝きの強さを感じました。単に「木星がひときわ明るく輝いています」とするよりも絶対、効果的だと思いました。
一番夜が長い日。つまり冬至をさしますよね。夜が長いということは、必然的に星の輝く時間も長いということにも通じますよね。星の光って、今光っている光は、今光ったものではなくて、かなり前に瞬いた光なのですよね。それを感じさせてくれる「木星が会いにやってきた」「とおいとおい彼方から木星がやってきた」は、一見、ありきたりのような表現に思うかもしれませんが、じっくりみつめると、作者さんの空を見て宇宙の広大さを感じている様子を思い浮かばせてくれる表現になっているともとれるなぁと感じました。
この星の光の応用編のような表現。木星と月が出会って会話しているという設定。「瞬きほどの逢瀬に/言葉などなく/見つめあうだけ」のあとの「やがて朝が来て/また離れていった/そのあとに/木星の言葉を/遅れて聞くのかもしれない」……これは人の会話ではありえない状況ですね。星の光を会話とみなして、遅れてから届く言葉とするところ。なかなかのイマジネーション。冬の星の物語。ロマンチックだけど甘すぎない、さらっとしたロマンチックがいいですね。とても静かで平和な空気の感じられる作品だと思いました。
☆俯瞰中毒 理蝶さん
高いところから人を見渡すこと。本来ならこのような所作は、困った人がどこかにいないかと探すことに役立つ所作であってほしいのですが、残念ながら簡単に、そうはいかず。誰が偉いとか、誰が無知だとか違うとか。顔のわからない世界の中で繰り広げられる議論。誰でも参加できるとはいうものの、激しいたたき合いになると、命にまでかかわってくることもあるという恐ろしさ。どうしてこんな時代になってしまったのだろうか。そのようなことも作品を拝見して思いました。
「電子の街で街宣する 喚き合う」
こちらの言葉があって、書かれている詩の背景がわかりやすかったです。視界がパッと広がる感じがしました。またトマトを投げるという表現もスペインのトマト祭りを思い起こさせ、あの凄まじい迫力のあるお祭りの様子と重ねつつ、拝見させていただくことができました。
気になったところは、二連目の「少しの冷静さがあれば/誰だってできることなのに」です。少しの冷静さがあれば誰だってできる → 誰が何を? と、返してみると、「物事を見下ろすことで、自分の立場までもがそこまで登ってゆくと錯覚すること」にかかることになってしまいます。冷静になってできることは「物事を見下ろすことで自分の立場までもがそこまでも登っていけると錯覚しないこと」ではないのかな?となると「少しの冷静さがあれば、誰だってそうじゃないってわかることなのに」というような内容に変更する必要があると思いました。あと、「誰より幼く誰より守っている」ですが、一連目の「子供の幼い反応」からきているのはわかるのですが、「幼く守る」と続けてしまうと、個人的には、どこかしっくりしない感じがしました。一連目の「単純な防御」を前出しにして、「誰より幼い単純な防御/自らを俯瞰することでまた自らを守る」このような感じにしてみてもいいかなと思いました。
後半では、俯瞰する人を俯瞰することで自らを守っているという自分に落胆している気持ちを表現されていると感じました。そのあとの最後の着地がすごいと思いました。
神のない貧しい 心の冬には
こんな詩が生まれる
何とも言えない虚しさ、切なさを感じる二行でした。時代に対する大きなため息と息苦しさを感じさせてくれる作品だと思いました。今回は佳作半歩手前で。
☆冬の風は 紫陽花さん
使い込んだ窓のどこかからくるすきま風。あれって、隙間からくるのに結構な寒さですよね。
「すきま風はそのまま/部屋の隅っこに落ち着いた/すきま風は歯をカタカタ鳴らしている」
すきま風の擬人化の仕方が面白いですね。すきま風で窓がカタカタなっている様子を、歯をカタカタ鳴らして震えているとしているところ。なぜ震えているのかというと、風邪をひいているようだとするところ。う~ん、風が風邪をひいている?え?ダジャレ?単なる偶然ですよね(笑)
三連目からは、いいように使われている便利屋さん的な人間のことを彷彿させるようなことも綴られていたりしますね。作者さんのそんな人をほっとけない優しさが行と行のあいだにみえるような感じがしました。冷たい風も温まると春風めいた風になるっていう発想も面白いですね。
気になったところは「ほんのり春風めいてきて/話す度に私に春風が/するーんと吹いてきて」の部分。春風めくということは、春風になり切っていないと思うので、私に春風が吹くとするところに、個人的にはちょっと違和感がありました。「するーん」もちょっと寒い感じが。私ならこんな感じにするかな。「私に話しかけるたびに/ふぅわぁんとした風が吹いてくる」
最後の方の「本当の春までここにいていいよ」っていう言葉、温かさが感じられていいなぁと思いました。この部分を強調する感じで「冷たい冬の窓の日々/ここにいていいよ/本当の春の日がくるまで」……こんな感じもありかなぁと思いました。
あたたかくファンタジックな雰囲気と、擬人化のユニークな設定が印象深く。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆クリスマスの夜 小林大鬼さん
実際に小林さんから写真を見せていただいたわけではないのに「筑波山」の姿が勝手に頭の中に浮かんでいました。というのも、以前投稿していただいた小林さんの投稿していただいた詩の世界が、今回の投稿していただいた作品の風景と再び重なって、私はその風景の中にいたのです。不思議ですね。作者さんの思い入れのある風景や、なじみの風景は、作者さん自身によって丁寧に刻まれることで、他の人の心の中にも自然と刻まれていくのですね。
もの寂しさという空気が、うまく表現できていると思いました。クリスマスという、にぎやかさを醸し出す言葉と、バスを降りて夜道を行くという対比。寂しいを通り越して、少し怖いくらいの静けさを感じました。そこからの月明かり。そしてなじみの山の幽かな影。こうもってくることによって、ちょっとした安堵感が生まれて、見渡す静かな夜の世界が広がりました。
時々通る車の光が
私の影を追い越してゆく
三連目のこの表現。誰一人いない寂しさと、追い越すものは車の光のみ。私ではなく、私の影としたところがとても良いと思いました。
四連目では、更に独り身とにぎやかさを醸し出すクリスマスのお祝いという対比があります。更に五連目では更に輪をかけて、もっとにぎやかさを醸し出す、日曜日のクリスマスイブに重ねて、過ぎたクリスマスという表現がありました。最終連では、一人夜道を行くという言葉で着地していますが、ただ単に歩いていくとせずに、人恋しさに行くとされています。誰かの影を探すことの難しいという状況の中での人恋しさ。これはものすごい寂しさを感じずにはいられませんでした。寂しさという言葉を自分なりの言葉をかけあわせて深堀りしていかれる作品。気負うことなく、かっこいいとか悪いとか関係なく、ただ心の奥底から湧き上がってくるものを自然に表現された作品だと思いました。佳作を。
☆草を喰む我は牛なり 荒木章太郎さん
非常に独創的な表現だと思いました。
言葉を飲み込むことと食することを混ぜ合わしながら表現されているような感じもしました。本来、おにぎりひとつであっても、食というものはその場所の空気であったり、できあがったものをよくみたり、用意してくださった方々のことを思いつつ、ゆったりとした時間の中で味わうもの。ある意味、芸術鑑賞に似たような要素を持つものでもあるのに、時代の流れの中で流れ作業のようなものに変わってしまっている部分もあるような気がしませんか…….そのような声が私の中に響いてきました。
二連目なのですが、「食はエンターテイメントだ」のあとの「動物になりたい」「人間になりたい」の二つですが、誰がなりたいのか。食自身が発している言葉なのか。とある人間が発している言葉なのか。これがちょっとわかりにくい感じがしました。
三連目で思い浮かんだのは、話題の観光地を旅する人たちを例にあげて、話題や流行に踊らされていることの残念さを伝えているような気もしました。牛とされているところで、私は、牛舎から外に囲いのある牧場に出されて草を食んでいる姿と、自然を満喫しているようで、実は自然というよりは、あらかじめ人の手でセッティングされた流行の自然を泳がされている人の様子をみて感じたことを、重ねて表現できる連のようにも思えました。三連目はとてもメッセージ性を感じる連でした。「脇道へ逸れて/考えて食べなさい」食に限らず、食以外の何かを味わうことについて、誰かが話題にしたものを、そのまま追いかけたり、受け止めるような受動的な姿勢ではなく、自らの気持ちを大切にして、その場その場で感じたことを、ありのままに味わうことを大切にしてくださいね。自分をなくしてしまわないでね……そのようなことが響いてきました。
この作品は、人によって色々な見方をすることができる作品だと思いました。掘り下げてみれば見るほど、違う味わい方のできる作品ではないかとも思いました。
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2024年の年明け、大変辛いことが起きてしまいました。
失われた貴重な命に対して心から哀悼の意を表します。
恐ろしい思いをされた皆様が、心身の不安から、一日も早く解放されますように。
大変な環境の中、救済、支援活動をしてくださっている皆様、ありがとうございます。
どんな言葉を発しても薄っぺらな言葉にしかならない私ですが、
生きている今に感謝して、これからも生活していかないと......そう思いました。