君への詫び状 上田一眞
1.こころの発露
たいせつな人のため
ことばを贈りたいと願うのは
倨傲なことではないよね
無口で口下手
唖者にも似た自分だが
いま一篇の詩を紡いで渡したい
それは君が厭う
ことば足らずの自分にできる
唯一のこころの発露なのだから
それはこころの奥底から
こんこんと湧き出る
無二の思いなのだよ
2.冥界へのいざない
『オンディーヌ』で吉原幸子は詩った
死なないで
といふときがこんなに
目もくらむ愛にみちるときなら
死んで (*)
詩人がもう一人の〈わたし〉に問う
愛の逆説
甘美な死 を詠っているね
目もくらむ愛の向こうの
彼岸には
美しい花が咲き乱れているのだろう
ある時期
夢の中で黒い曼珠沙華を手折り
いつも墓原を歩いていた
浄土には強い憧れがあったよ
うつに罹患した当初
〈死〉にいざなわれたことは幾夜もあった
青春の墓碑銘たる
白い詩集『オンディーヌ』を持って
浄土に渡ろう
水の妖精の哀しい愛を携えて
冥界に駆け上がろう
もう一人の自分が
そんなふうに誘惑するんだ
でもいまは嫌だな
「あぢさゐいろのかほ」(*)など
誰にも どこにも
晒したくない
たとえ 甘美でも
理由のない死など選ばない
愛する君に
それだけは約束するよ
3.君への詫び状
君とともに並んで見た漆黒の海
人智の及ばぬ
澪なき
人生という大海に漕ぎ出した日を
忘れはしないよ
多くの波濤を予期したが
津波のごとき高波が押し寄せ
自分を洗った
予想を遥かに凌駕したものだったね
なかでも
企業人として仕上げの時期に
こころの病という宿痾を背負ってしまい
おぞましい日が続いたのは
痛恨の極みだ
性欲さえ失わせるほど強力な病を憎んだが
うつはしたたかだった
さらに 不覚にも
二つの癌
腎癌と大腸癌を続けて発症して
完全に難破座礁だ
かろうじて
病魔の手をすり抜けたが
職を全うすることは適わなかった
企業人の誇りたる
定年の勲しは得ることができなかった
そんな状況だから
君に 優しいことばの一つも
かけてあげることもできず
自分自身にしか目が行かなかったことを
恥じているよ
こんなていたらくな男なのに
いつもそばにいてくれてありがとう
それだけでよかった
自分には
充分だったさ
始まりの朝を待つことができたからね
(*)吉原幸子 詩集『オンディーヌ』
収容「頬」より