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スレッドNo.3346

評、1/5~1/8、ご投稿分。  島 秀生

令和6年能登半島地震で亡くなられた方、ご遺族に、追悼の誠を捧げます。
そして、これ以上、災害関連死が増えませんように、祈ります。

孤立集落があらかた解消されたのは良かったです(道路はまだまだ開通してなくて、ヘリコプターで脱出しただけのところもままありますが)

仮設住宅は、平坦な土地があってこそ、建てられるものなので。
しかしながら土地事情をみると、すぐに充分な量が建つとは到底思えない。
仮設住宅は絶対まだまだかかるので、避難所で仮設住宅を待たずに、二次避難をお勧めしたいのだけれど……。


●妻咲邦香さん「ホルスタイン」  

四方を山に囲まれているので、大都会の真ん中より空が狭く感じるという、「広くて狭い空」の話はおもしろかったです。ちょっと私の頭の中の想定に全くなかったパターンでした。
私も数年前、母から畑地を相続したら、もうとうの昔に耕作放棄地だったんですが、畑地の所有者にはもれなく、町内の端から端までの水路掃除がついてくるのでした(農業用水利用者だという見なしになる)。3年間動員されておりました。自治会のゴミ拾い、お察し致します。お疲れさまです。

タイトルの「ホルスタイン」ですが、どこで出てくるのかと思ったら、吸盤付きのカーマスコットでしたね。しかもケンタウロスの下半身。交通事故を想起させるエンディング。例えば本当に事故が起こったとしたら、そのあとでこのマスコットがカメラにクローズアップされることでしょう。そういう印象的に映像に残す一品という感じでの登場でした。この使い方もおもしろいです。

車の運転て、奥が深いです。いろんな事故パターンがあるので、年数乗るほど、危険予知事項が増えていきます。ヒヤッとすることが3回あると、次は本当に事故るんだそうですよ。ヒヤッとは予告編のようなものだから、その段階で運転を見直すべきと、元・ヤマトの運行管理者だった先輩から、なにかと口うるさく、運転を指導されたことは、あとになって、ずいぶんと役に立ちました。プロは、注意してるレベルが、シロウトとは全然違うもんだなーと思った。
信号機のない交差点(T字路ふくむ)は、一番事故が多いところなので、特に注意して下さい。何するかわからん相手もいますので、思い込みは禁物。
それ、間際にアクセルの力を抜いてたから止まれたんですね。この話はかなりのところまでリアルなんじゃないかなと思い、読みました。

うむ、よく書けてますよ。全体ストーリーがスリリングな上に、「広くて狭い空」と「思いがけない場所にあるホルスタイン」も付加価値効いてます。
名作&代表作入りを。


●麻月さん「日常」

麻月さんは、前に麻月更紗さんの名で来られてた方ですね。一年くらいのブランクかと思いますが、戻ってきてくれて、本当に嬉しいです。またよろしくお願い致します。

この詩は、表面上は消えてるんですが、深いところに実は哀しみが沈澱していて、それがときどき突発的に、思いがけないタイミングで、オモテに湧いて出るのでしょう。それで涙が出て、視界がゆがむ。そういう心の状態を書かれてるのかなと思います。
それで、いっそのこと攻勢に出て、出る涙は、玉ねぎで強制的に、さっさと先に出し尽くしてしまおうとしているようです。荒療治ですね。私はそんなふうに読みました。

この読み方でだいたい合っているようでしたら、4連で玉ねぎを切る様を効果的にするためにも、初連においては玉ねぎは出さない方がいいです。初連のそこは、洗濯物を干す前ですから、時系列的にいって、「朝ごはんを作る時」くらいでいいのでは、と思います。

あと、韻を踏んでるのはわかるけど、意味的にいえば、4連初行の「淡々と過ぎていく日常の中」は、3連にくっつけた方がいいもののように、私は思いました。

ちょっとそのへん、一考してみて下さい。
哀しみを相手に書いているけど、暗くならず、後半はユーモアさえ交えて終わろうとしてるスタンスはステキです。
詩行的には一考してほしいところがありますが、全体意図はわかる。おまけ秀作にしておきましょう。

ところで、まったくの余談ですが、良性発作性頭位めまい症という三半規管のトラブルによる病気(あまり若い人はならない)があって、マジで不規則にくるめまい(正確にいうと、平衡感覚が急に飛んで、視界が回る)があります。今回の詩とは全く関係ない話ですが、そんな病気もあります。


●エイジさん「コラール」  

パイプオルガンでなくても、教会でのオルガンの響きは、なんであのように厳かなのかと思います。亡くなられたのはお母さんのようです。場面はお葬式かと思ったのですが、「今しがた」とあるので、まだお葬式前に来てるのかもしれません。そのせいか、讃美歌(コラール)が歌われている感じがなくて、オルガンだけの感じがします。
また、奏でられる音楽が、故人の魂とともに、天に昇っていくのかと思いましたが、彼女は先に天にいて、作者(あるいは主人公)の祈りと哀惜の念が、音楽とともに天に届けと奏でられているようです。5連からは、そんな感じに受け取れました。そのあたりもお葬式とは違う感じで、作者は一人で、教会に来てるのかもしれませんね。
いずれにせよ、御霊安かれと祈るばかりです。亡くなって、初めてわかることもあります。作者の想いが故人に届きますように。
名作を。


●上田一眞さん「湖西雷鳴」  

その雷は、雪が降る前の雷のようですね。琵琶湖の北側はかなり積雪のあるところと聞くので、冬空の雪雲の薄暗さと雷鳴といった、空模様のようです。
そうか、安曇川って、旧朽木村の方から流れてきてるんですね。その琵琶湖側の河口に作者はいるようです。友人は、旧朽木村生まれで、故郷につながるこの河口からの琵琶湖風景が好きだったようです。竹生島も琵琶湖の北側だから、近くに見えるのでしょう。龍神の登場は、この竹生島の龍神伝説に由来してるようです。

作者はそこで、友との約束を果たすべく、湖に散骨します
いろいろ迷惑を被った部分もある友のようなのに、義理堅いですね。しかしながら、その友にとっては、託せるのは作者しかいなかったようです。
この散骨の儀式と、その地の天候が、(一見すると悪天候なんですが)作者には両者が噛み合っているもののように思えたのでしょう。水墨画のような風情(時に昇竜図も)の美しさで描いてくれています。良いと思います。
また、強調行の実験も、問題ありません。うまくいってると思います。

作者にとっても、記憶に残る一作なのではないでしょうか。名作を。


●理蝶さん「か細い祈り」
  
この詩は、すべての弱い者たちへ、という感じで書かれていて、能登半島地震の被災者の方々も含んでのことと思われますが、正直、どっちかというと、自死を考えてしまいそうな人たちへ向けて、命の大切さを呼びかけているような詩に感じて読みました。
6連の4行目以降、懸命の祈りがステキですね。

 傷ついた全てのものへ
 手向ける祈りの束
 
 生きていて どうか
 いのちを握っていて
 いのちは訪れる幸せ
 いのちは帰り来る幸せ
 そのものだから

2連で「あかり」のことを述べていますが、2連自体は、「あかり」を主語に置いているだけなので、それが3連以降にどう係るのか、文章として続きがあるはずなんですが、そこがイマイチわかりにくいです。
3連を読むかぎり、そのあかりがどうかした、という話があるわけではなく、要は、電気がついて、夜になって、くらいの意にしか、係ってないように思います。
3連の主たる意である、「涙が落ちる」ことに、あかりが絡んでるわけではなさそうです。
となると、せっかく2連で取り上げながら、あまり機能のないことになってる気がして、奇妙な置かれ方だなと、気になりました。
そこだけ一考してみて下さい。

命のエールに熱意を感じた。そこは良かったです。秀作プラスを。


●秋さやかさん「大樹」  

きれいな叙景と情感で、秋さんワールドに浸ってるだけで、もう気持ちいいってものがあるので、そこでまず評価は立つのですが。

この詩はね、ちょっと主人公が輻輳してるんですよね。そこがスッキリしないところでして。詩においては主従関係はハッキリした方がいいのですよ。主役が二人になると、混乱して、足を引っ張り合うというか、マイナス効果になるのです。
何回も読み返したんですが、この詩はやっぱり大樹そのものが主人公だと思うのです。描かれた詩行のボリューム感から言っても、絶対そうだと思う。大樹はのち、世界そのものであったり、命の根源の宇宙にも喩えられてきます。これら、大樹というものへの考察表現や叙景が、この詩のまずもっての読みどころです。あくまで大樹を主役として読んだほうが、この詩はスッキリします。
しかしその観点に立った時、邪魔をする者があるのです。

 かつては
 小さな一本の双葉だった
 わたしたち いま
 どうしてこんなに遠いのだろう

この連ですね。これが、主役級の重い意味をもった連なので、この連の登場で、意識が「わたしとあなた」の関係性の方に向いてしまうのです。しかしながら、これを主役で読もうとすると、次にこの人称が登場するのは、後ろから2連目しかなくって、その間の伏線が途中でぶっつり切れてしまっているので、ストーリーが立ってなくて「わたしとあなた」を追うと混乱してしまいます。
ですので「わたしとあなた」を混ぜたいのはわかるが、「主従」の「従」に徹すべき(脇役案件に徹すべき)、というのが私の意見です。上記の主役級に見える連は、これだけ見ると魅力的な連ではありますが、別の方向性に引っ張っちゃっていく連なので、あとのことを考えずに不用意に入れてはいけない連というか、削除したほうが、詩全体のためにはいいと考えます。
この連を抜くことで、たぶん混乱を回避できます。主役及び主たる視線は、あくまで大樹に置いて、進行した方がいいです。ちなみに、この連を除いた前半は、ぐいぐい畳みかけてくるようで、凄くいいです。

そこだけ一考して下さい。おまけ名作を。


●晶子さん「鳥舞」   

これは令和6年能登半島地震で被災された方へのエールと取りました。
詩は、地震を起こした悪霊たちが、ひそひそ話をしている感じに描かれています。地震で潰れた家屋の上で、鳥の舞いを踊る者が現れる。それは邪気を祓い、その地の復旧・復興を目指す、人々の狼煙のようであります。悪霊がいくら潰しても、人は滅びない。蘇り、生きていく。人間の強さを示すようであり、そうあってほしいと願う作者の祈りのようでもあります。
名作を。

不思議な鳥舞に喩えられたこの作品、おもしろいのですが、強いていうと、「鳥舞」を知らない人が鳥舞をどう想像するかというところに、少々の難があります。

私がいちおう思ったのは、東北地方に伝わる「鶏舞」が、元は、悪霊を踏み鎮める呪法に則った足さばきをルーツにしてるのだそうで、これの意に取るのが一番近いかなと思いました。鳥の姿で舞う神楽などでも、邪気を祓う意のものが多いようです。
まあ、後ろに注釈で、鳥舞の意図するところについて、少し補足した方がベターかもしれないです。
あるいは、同じく注釈位置に(  )付で、「能登半島に捧ぐ」あるいは「令和6年能登半島地震で被災された方々に捧ぐ」と、こちらの方の意を注釈位置で書いてもいいですね。今はタイムリーだから想像つきますが、何年か後になってから読んでもわかるようにの補足です。
また、これがこの詩を読み解くヒントを置いてることにもなります。

編集・削除(編集済: 2024年01月21日 11:51)

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