MENU
526,539

スレッドNo.3347

感想と評 1/12~1/15ご投稿分 三浦志郎 1/21

お先に失礼致します。


1 えんじぇるさん 「平木」 1/12

平木と十木に絞って考えます。そして、これらは何事かを象徴する記号的なものと理解します。
造木といった言葉も出てきますが、これは単に十木の言い換えでしょうから除外します。額面通り受け取ると……
安定性: 十木≧平木
平和: 十木はその象徴。けれども、NOT 十木 BUT 平木→これだと論理矛盾?
もうひとつ解釈があって「平和=平木(つまり平木は平和の別名)」 とすると……
「十木=平木」ということになる。思考はここで止まって先へは進めませんでした。
十木がメインで語られますがタイトルの平木がどう関わるかは謎です。この評価は僕の能力ではつけることができません。こういう傾向が続く限り、僕のエリアにおいては無評価の状態が続くでしょう。それでよければ、という話です。左様ご理解ありたし。

コメントについては1行目、そう言われても、僕はそういったことに関わることができません。これは詩の古くて新しいテーマである「難解と平易」あるいは「書き手と読み手の友好的かつ対立的関係性」といった文脈で読みました。ちょっと自分勝手な解釈なんですが。ひとつだけ言えるのは、作品制作の主導権はもちろん作者に在り、読む、読まぬの選択主導権は読者に在り、ということです。どの分野でもそうですが、作者の自由が求められて必要とされて“なんぼ”ということです。


2 上田一眞さん 「君への詫び状」 1/13

これは奥様に感謝を語りかけながらの自伝詩と把握しました。 1章はプロローグ、イントロダクションでしょう。「口下手の自分だが、幸い、詩で伝えることはできる」―そんな思いがミニタイトルに繋がっていきます。さて、2章の「吉原幸子・オンディーヌ」ですが、僕は読んだことがなく、一部引用のみで判断すると、愛の究極の姿のひとつに死も含まれる、そういった主旨で合っているでしょうか?例えば戦国武将の細川忠興は自分の妻(細川ガラシヤ)を、愛を全きものにするため、妻を誰にも触れさせず完璧に自分のものにするために彼女を亡き者にしてしまうのですが、それに近い背景なのでしょうか?ここは「?」が付きますね。この件はひとまず措きます。夢の中では死への誘いがあったようです。しかし、そういった思考とは生から見れば、不健康極まりないし、はた迷惑な話なんです。そういった事への思い直しを得たのが2章だと考えられます。さて、やはりこの詩のメインは3章です。最も自伝的。心身共に病を背負っての半生だったのでしょう。けれども多少の痛恨はあっても、なお健在で、こうして詩を書かれてらっしゃるのだから、その軌跡は充分成功したと言えるでしょう。
終わり近くの「恥じているよ」「ありがとう/それだけでよかった」は全く同感です。僕も上田さんに倣って、このように言いましょう。 佳作を。


3 詩詠犬さん 「ことば」 1/13

この詩を読み解くキーワードになるのは、文中にもある「沈黙」と考えられます。つまり「話すVS沈黙」の構図があって、もっと言うと“沈黙が恐いから話をしている(し続ける)”状態が、僕には想像できます。その傍証として「不安の影」「変わるわけでもないことを知っていながら」「更なる不安」「押しつぶされる」など、不安や恐れが詩にたえずつきまとっていることを挙げましょう。
もうひとつの構図として、ある人との相対が考えられそうです。僕の実生活体験によれば、ある人と向き合っていて話が途切れ沈黙したとする。その沈黙が「空気が張り詰め、いたたまれない気分になる」か、「別に全然気にならない」か―それによって、その人との接し方の質量が分かる、そんな気がしますね。この詩はちょっと前者を描いているように思われるのです。
この詩のいいところはちゃんと結論を言っている。4連ですね。「それでいい」です。
ただ、日本人は優し過ぎるのか、他人指向型なのか? なかなかこうはいかない部分はありますね。ことばを一風変わった方面・場面から考えている。それが面白いのです。佳作です。


4 エイジさん 「記憶」 1/14

人間の記憶が蓄積されるのは3歳頃からと言われています。記憶をたどる時の比喩的世界は、だいたいこういう感じで、常套的ではあるのですが、それはしばらく措きましょう。その行動の流れは克明でもあり幻想的でもあります。4連に見る個別。これがあるとないとでは、だいぶ詩の訴求力が違ってくるでしょう。ここを書くには多少勇気が要ったことと思います。暖かく読んで迎えたいと思います。
最後から二つ前の連。ここがエイジさんの3歳頃、すなわち記憶の源流なのでしょう。
その二人の少女は今何をしているでしょう。何処かで生きていることでしょう。この連といい、4連といい、映像というか、それぞれひとつの場として、僕は把握することができました。前作のイマジネーションがとびきりだっただけに、今回はそれと比較すると一歩を譲るか?佳作半歩前で。


5 荒木章太郎さん 「カレーライスのうた」 1/14

玉葱に関する名言あるいは「人間=玉葱論」というのがあるそうです。前者は「人生は玉葱に似ている。皮を一枚一枚むいていくと、最後に、中には何もないことに気づく―ジェームズ・ハネカー(米国の評論家)」。後者は人間は玉葱のように七つの感情の皮から出来ている、というものだそうです。この詩はそれらに準拠したものか?少なくとも僕にとっては、この詩を味わうのに上記のことがらが多少ともヘルプになったのです。さて、冒頭1行目ですが「出て行った」は単に外出したのか、それとも離縁を指すのか?どうも後者のような気がする。だとしたら、この詩はフィクションであるのを願うのみです。3連目まで、どうも、こう自嘲的に書かれてしまうと、上記ことがらを想起せざるを得ないわけです。終連は娘さんと奥さんを思い出しながらの後悔に読めるのです。
詩の調理法としての擬人化と実際の調理場面がリンクして男の悲哀をうまく(美味く)醸し出しています。
そうですねえ、男なんて一皮剥けば、こんなもんですよねえ。今宵は癒しの甘口佳作で。


6 大杉 司さん 「大凶」 1/14

前回の大晦日の詩と併せて読むと、事態がくっきりと掴めます。その落差にある悲劇です。
正月のおみくじと絡めたタイトルが目を惹きます。しかし残念ながら大凶です。そしてこの詩は現実を現実として直視し記録するものであります。
今回の地震は元日にあったというショッキングさ。寒い時期に寒い地域で起こった事。海に面した地域で、またしても津波被害に遭った事が大きいでしょう。この詩はこの通り、多くの人々が等しく思っている事を詩化しています。もはや何処で起こってもおかしくない、明日は我が身の感を多くの日本人が抱いた事と思います。そして自分はこういった事態に如何に向き合っていくべきか?そんな意識を後半少し触れてもらってもいいですね。テーマの性質上、すみませんが、評価は控えさせて頂きます。


7 ベルさん 「今日よりも若い日は来ない」 1/15

この言葉、なかなか魅力的ですよね。フレッシュだし真理を衝いている。
タイトルと繋げて始まる冒頭も面白いです。このタイトル、調べるとKing&Princeの「We are young」という楽曲歌詞に行き当たるのですが、歌詞を読んでも、なかなか良くて詩にもなってると思えるほどです。僕にとっては、その地点からこの詩は出発します。
初連3行目、2連1行目。全て真理にして事実です。それらを包括して―年配向けの言葉で言うと―「来し方、行く末」を、こういった少しラフな言葉で開陳する。そこにこの詩の実感・姿勢・個性を感じたりするわけです。真理から自己の側に降ろしてきて、自嘲的に語るのも、この詩のひとつの味わいに属するでしょう。軽く風景に思いを馳せ、終連へ。この終連、なかなかいいんですよ。夜の12時を迎える。日付が更新され「いちばん遠い場所」「先送りされた命日」に辿り着くわけです。その象徴としての終連です。趣きに溢れた終連です。珍しいこのラフな語り口は、この詩に一定の雰囲気を添えるものとして歓迎されるべきものです。
佳作を。


8 静間安夫さん 「信と不信のはざまで」 1/15

前回に引き続き、興味深い内容ですね。前回少し理論上の錯綜があったのですが、今回は大丈夫。話や思考の質が地に足がついている気がしますね。機知に富みユーモア的味わいを伴いながらも、実はこの詩は相互関係を描くに大変誠実なものです。読んでいて面白いのは3~5連でしょうかね。「神さま、あなたもさあ……」といった感覚と契約関係のくだりですね。僕の感覚では、欧米人、中東人とはおよそ個人的、合理的なんですが、いっぽうで宗教への帰依がかなり深い気がします。概観として言ってしまうと、現在の日本人は無神論とまでは言わないが、その点、実に曖昧(もちろん個人差あり)。そう思って読むと、この詩も極めて日本人的だと言えるかもしれません。
最後の2つの連が静間さんの意志決定、結論でしょう。同時にこの詩は日本人の姿かもしれません。 好みに応じて、この2連、順序入れ替えてもいいかも? 佳作です。


9 晶子さん 「さよならのあとに」 1/15

誰しもタイトルの質感に誘われて読みたくなるでしょう。抒情、余韻、痛み、優しさ。
このあたり、晶子さん、うまいんだな。
冒頭、場面と言うか人々の関係性を把握しておく必要はありそうです。例えば、こんなふうに……。

A……亡くなった人。 B……それを嘆き悲しむ人。 C……Bの傍で慰める人(語り手)。

「爪を立てていただけ」―ここは趣き深い。前の「一生懸命」に呼応するもので、生きていると訪れる災厄や悲しみにできるだけ抗っていた、と解したい。それが「一生懸命」のこと。
「そばにいた時の温かさを痛みに変えないで」はこの詩で主峰を成す。とても深い癒しの言葉であり思考です。「食べてね/眠ってね/笑ってね」は、これすなわち「生きてね」の同義語でしょう。これは大佳作です。

アフターアワーズ。
ちょっとこっちに重きを置きます。僕は冒頭、Aだの、Bだの、書きましたが、―まあ、考えても損はないけど―書き終えた今は、そんなことはどうでもよくなったのです。ただ、読んで、言葉を、気持ちを深く味わえばいい、そして感じればいい、この詩はそういう詩です。最後に技術的なことを。初連部分「食べてね~いいから」は独立させてるから、終わりの同フレーズも独立させたほうが美しいです。ここも読ませどころですから―。でもいい詩です。涙腺崩壊一歩前。


10 酔呆さん 「そこに居なかった俺のために」 1/15 初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願いします。
感知されることは、お互いが正直に誠実に考えを出し合ったが、お互い相容れず物別れに終わったようです。そして別れる。世に言う「袂を分かつ」ということでしょう。ただし主人公はその食い違いを冷静に計測し相手を思いやる余地も残していそうです。風景描写が適宜、効果的に入っています。少し現代詩的フレーバーもあって、好ましい適度さで収まっています。3連などは全連の雰囲気を受けて、いい感じで置かれています。タイトルの「そこに居なかった」がこの詩の何処に納まるのかだけが、僕の中で謎として残りました。しかし書ける人のように思いました。また書いてみてください。


11 まるまるさん 「想い出そうよ」 1/15

「ニッチ」という言葉があって、いろいろな分野に使われるのですが、ここでは「一般に、普通には気づきにくいところ」と解します。僕の勝手な解釈によれば、この詩にはそんな趣を感じました。特に2連を始めとする「室外機~果物~牛小屋」の被害に関する現代世相の件ですね。この事例が示すところは社会の複雑化の弊害、時代が動かす価値観の違いやズレでしょう。ありていに言えば、昔はこんなことはなかった。もっとシンプルで緩やかで、ある種牧歌的だったわけです。そういった価値観をこの詩は「お互い様」という言葉で代表させ展開します。お互い助け合って生きていた時代と、思いもよらない犯罪に象徴される殺伐とした現代。その対比の中にあるわけですが、前半の事例(ヘンな犯罪、被害)と後半の思考(お互い様)が少し接続感がズレる気はするんです。ただ冒頭のように、多くの人が見逃がしがちなところ。隙間をフォローするような着眼点は大いに買っておきたいんです。特に後半は凄くいいのです。反省という形で気づかせてくれます。
言いたいことは凄くよくわかるんですが、前半の事例を昨今の人々の心のあり様に触れるほうが相応しい気がするんです。例えば「自分は自分、関わりたくない、無関心、礼儀の廃れ、効率重視、傾向としての人命の軽さ、主張の過激、世界の分断」みたいな感じですかね―。そんなところから話を起こしたほうがいいように思ったのでした。 佳作一歩前で。終連はとてもいいですね。
その通りです。



評のおわりに。

地震という災厄から始まった新年、そして1月もあっという間に終わるのでしょう。
そうとなれば、いっそのこと、早く月日が過ぎて春が来ればいい。
春が来れば、少しは潮目も変わるでしょう。 では、また。

編集・削除(編集済: 2024年01月21日 06:41)

ロケットBBS

Page Top