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スレッドNo.336

 ◎7月12日(火)~ 7月14日(木)ご投稿分、評と感想です。  青島江里

7月12日(火)~ 7月14日(木)ご投稿分、評と感想です。


都合によりすみません。お先に書かせていただきます。


◎私は人魚姫 紫陽花さん


自分の気持ちを素直に全部表現するということは、とても難しいことなのですが、人目気にせず洗いざら
いを綴れる時点で、言葉は、その心に光を与えてくれるのだろうと感じさせてくれました。

足が不自由でいることを、人魚姫という言葉によって表現されているところ。重くなりがちなテー
マを、誰にでも入りやすく、読みやすく描かれていると思いました。ただただ、ファンタジーの世界にす
りかえてしまうことはせず、現実の辛さをところどころに織りまぜています。なので、現実逃避の世界に
陥ることなく、読み手に、その表現の裏側にある、現実に起こっていることの大変さも伝えることができ
たのではないでしょうか。

お風呂のシーンは、この上もない幸福感が伝わってきました。そして不自由な左足を悪くいうことなく、
いたわる作者さんの優しさ、お人柄がじわじわとしみてきました。

「人生をうなだれた気持ちで生きずに、少しでも上を向いて歩けるように生きていきたい」そのような気
持ちが、ひしひしと伝わってくるのですが、それが全部の私ではない・・・。そう感じさせれたのが、終
盤に出会った言葉です。



早く帰っておいで そんな声が聞こえる

そろそろ私の地上の生活も終わり

私は人魚姫になる


明るい表現をしていても、先のことを考えることが不安になる・・・そんな誰にでも見せる弱さを、
人魚姫という言葉にたくして表現されています。うなだれたくないという気持ちと、地上の生活が終わる
までは、きちんと生きて見せるという決意が見えてきました。あまりにも健気で、真正直な言葉の綴り方、
じわりとくるものがありました。佳作を。





◎一行の息吹  SUIZさん


詩には色々な表現の方法がありますね。言葉の意味の表現以外にも、文字にしても、カタカナや平仮名
だけのものだったり、今回の作品のように、文字の並べ方を含めたものだったりするものもありますね。
こちらの作品は、珍しい配列をされ、目を引きます。

〈開花〉 〈陥没〉は、対岸のようにも見えてきます。それぞれに「銃口」や「弾丸」などの言葉があっ
て、戦場のようなイメージも受けますが、広い意味でとらえてみると、人間社会の闇。もしくは、心の闇
のようなものを想像できる作品にもなっていると思いました。

お互いが対岸で、それぞれの思いをぶちまけあっているというようにも思えてきました。

主たるワードは、「クラック」・・・建物のひび割れのことを指すのだと思いますが、これは、裏の
意味として、「日々」とも重ねて受け止めることも可能だと思いました。

通常、建物のひびの原因は、経年劣化によるもの、事故や災害などによるものなど、色々なパターンが
考えられます。人間社会を生きていく日々も、そして生きていくうちにできてしまう心のひびも、さま
ざまな要因があると思います。最終連にある「二人の言葉を/一思いに吹き飛ばした」という部分。両者
の言い分はどちらが正解でもないということなのか。それとも五分五分なのか。果ては希望なのか。闇
なのか。考えさせられる表現になっていると思いました。





◎ 渦 プラネタリウムさん


夢を語ることは楽しいことだけれど、実際に叶えようとすると、全部が全部うまくいくとは叶わないですよね。
むしろ、壁にぶつかることも多いかもしれません。努力の過程を人に見せびらかしてしまうと、必ず批判して
くる人だっていると思います。そんな意見に左右されて、迷ったり不安になることもあるでしょうね。

地道に黙々と自分と向き合い戦い続ける。そのような姿勢を持続できる精神を持つことが、夢への最速の道案
内になる・・・そのようなことも思わせてくれました。

一連目も二連目も経験されたことをもとに、綴られているように思いました。だからこのように、はっきりと
言い切れるのだとも感じました。

うまくいく日もそうでない日も、己というものは存在し続けるのだ・・・なるほど、そうだな。そう思わせて
くれました。

気になったのは、最後の一行のみでした。


青二才の生き方とはかくありき


青二才という言葉なのですが、何か別の言葉に置き換えることはできないかなと。自分自身に対して使う時は謙遜になると
思うのですが、誰かに対して使うと、あざけりの意味も含まれてくると思うのです。実際に若い方が読んだ時、説教をうけ
ているような誤解を招きたくないからです。というのも、上の三連、すべて、名言に出てくるような、アスリートにも通じ
るような素敵なお心持ちだと思ったからです。

この一行を、別の言葉に置き換えてみると、上の三連がもっと輝くと思います。今回は佳作一歩手前で。




◎標的   小林大鬼さん



具体的な個人名を出してはいなくても、拝見するだけでこの詩の内容はいつ起こったどんな出来事を
さしているのかということがわかります。大変なことが起こってしまいました。

標的はまた新たに変わる
無責任な多数の声と憶測が
事件の行方を捻じ曲げる

SNS世界が大きくなるにつれ、リアルタイムで様々な出来事が実況されます。その報道の在り方も様々
です。間違っても、視聴率のためということが、第一にされてはいけないと思いました。この三行に
こめられた標的の意味は、新たな犯罪者の標的の意味であると同時に、SNSでむやみに騒ぎ立てる人々
の標的でもあると思いました。

何を信じるのか信じないのか。何が本当なのかデマであるのか。様々な情報が飛び交う現代。そのよう
な社会背景を感じさせる作品になっていると思いました。作品は、大変デリケートなものを含むため、
今回の評は保留とさせてください。その当時に起こった出来事、その当時にいた自分の考えを表現し、
詩として記録として残しておくということは、よいことだと思いました。





◎日常   むかごさん



「やらせ」という言葉がありますね。実際、TV番組で視聴率をあげるために、ノンフィクションである
はずなのに、事実とは違うことを盛ったりすることが何度かありましたよね。

最近は、報道もどこまで本当なのか、ひとつのことを意識づけるためにを誘導するために同じ情報を流
し続けているのか?などという声もチラホラと耳に入るようになりましたね。

最終で登場する「させられるあさ」という言葉を目にすると、そのようなこの頃の日常に飛び交う状況
が浮かびました。

作品の初めの方では、ほぼほぼ単語の連続で進行されていますね。途中、少しわかりにくいなと思った
のは、「あいた戸」「下の階」というところ。読み始めで出てくるのは「朝、覚める」ですね。

「覚める」イコール「目覚める」という意味でとらえました。まどろみの中ということで、ふとんの中で
誰かがあけた戸に気付きふりむいたのか、それとも、ふり向いて、自ら戸をあけて下の階に降りたのか?
そのような場面がはっきりしないかなって思いました。ここは、もう少し単語を加えるなどの工夫をされ
たらよいかなって思いました。

朝、TVをつけてもいいニュースのないこの頃。そのような中、もやもやしたり、気分が重だるくなったり、
何かに操られているような気持ちになっているような様子が伝わってくる作品になっていると思いました。





◎女と男  秋冬さん


誰かと間違えられること、私もよくあります。「あなたは親戚の姉さんによく似ている。」だとか、見知らぬお子
さんにも何度か。それは、どこにでもいる服装をしていることと、特徴のない顔をしていることだと自己分析をし
たこともあります。考えても無理して変わる必要ないと思ってきた方なので、何をどうこう考えることもありませ
んでした。(呑気)しかし、話の展開によっては、議論に発展することがあるのだと思いながら拝見させていただ
きました。


自身が間違えられた時はどうだったのか。と、振り返ると、驚き顔のままで終わってしまっていたなぁ。お互いが、
間違っていることを知らず、挨拶に至り、なんとなくあの人のような気がするっていうパターンを経験したことも
ありますが。途中でお互いが別人だと気づき、気まずい思いをしました。なんなんでしょうね。間違いは誰でもあ
るとして、去り際はお笑いネタのように明るくスルーしてほしい。なんて思ったりしました。

テンポよく読み進めることができるのですが、今回の作品のテーマは、どちらかといえば、文章の形にして、長文
でもっと読んでみたいなという感じがしました。テーマの選択がそうさせているのか、状況や状態が、しっかり詰
め込まれすぎていて、いつも感じる行間から滲みでてくるものや、余白感が薄目だったように思いました。あーだ
よ、こーだよという掛け合いのようなテンポは、スイスイと軽快で、楽しく読ませてもらえました。これからも何
の特徴もないもの同士、お笑いネタができるような人間違えられを楽しんで??まいりましょう。今回は、佳作一
歩手前で。




◎バナナ  妻咲邦香さん



バナナはどうしてバナナなの?っていう哲学風味のテーマですね。ふだんは、当たり前すぎて、そんなことは、
考えもしないけれど、ふとしたきっかけで深みにはまってしまうっていうこと、ありますよね。

バナナが顔に見えてきたことがきっかけで、どんどん違う空間へとかけ離れていく感じが面白いです。

八連目の、名前の通りの風貌で/「私はバナナ」と言っている・・・のところ、バナナの自我を示していますね。
人に見えてくるバナナではあるが、バナナは人ではなく、紛れもなくバナナなのだ・・・としながらも、バナナ
であってほしいとも思う「私」・・・だんだん深みにはまっていきますね。

人は人目線で、人の世界のことを考えているけれど、ひとつ次元を変えてみれば、バナナにもバナナ目線の世界
が人の知らないどこかであるのかもしれない・・・そう思わせてくれる作品でもあります。

人にはそれぞれ気になるものがあると思いますが、作者さんが目にとまってしまうものは、バナナなのかなと。
それは、私自身にもあって、私の場合はピーマン系のものだったりします。食べられるようになるまで随分と
時間がかかった食べ物という思い出があるからでしょうか。苦手克服という事項につながっているのかもしれま
せん。そのようなことを思わせてくれたのが最終連。「共に生きたこと/共に歩んだこと」このままでもよいと思
うのですが、個人的には、範囲が大きすぎて、グググっと迫ってくるものが薄くなっているような気がしました。
具体的な思い出をすっきりと並べることができれば、浮かんでくるものがはっきりとしてきて印象大な作品になる
と思いました。

ひとつのものを見つめていくと、人生が深堀りされて様々な思いの世界が広がっていく・・・難しい言葉に頼るこ
となく、普段の世界の中からの言葉を選び、色々な人に伝えてくれようとしている作品になっていると思いました。
今回はほんのりあまめの佳作で。





◎train   cofumiさん


思い出というものは、生きている人みんなに与えられますね。喜怒哀楽、よい思い出も悪い思い出もありますね。
過去というものがありますが。思い出は、過去というエリアの中でも特別な部分になるのかな。拝読しているうち、
ふと、そんなことを思ったりもしました。

作品は、甘酸っぱい思い出が綴られていますね。テーマは恋愛になっていますね。男性目線で描かれているのかな。
普通のおしゃべりとは違って、自分の秘密の思いを語るという点で、勇気がいったかもしれません。


気持ちが膨らんだりしぼんだり、思い出の一場面、一場面を大切に描こうとする気持ちが感じられました。大切な思
い出であればあるほど、丁寧になりすぎて、一つ一つの所作が多くなりがちということは、恋愛のテーマに限らず、
よくあることだと思います。三連目から八連目の部分ですが、このシーンを中心におきたいという焦点を決めて整理
をされると、今以上に味わい深いものになると思いました。

一連目と二連目。恋愛というものを通じて気付かせてくれるものがあったとされています。今すぐに気付かせてく
れるものだけに限らず、長い時間をかけて気付かせてくれるものもあるのだよ・・・そのように伝わってくるものが
あって、時間が加わって滲んでくる人生の匂いと言っていいのか、何とも言えない切ない気持ちになりました。
今回は佳作一歩手前で。




◎樹木の名前  Osadaさん



幻想的な夏の日の森の風景描写がとても美しいですね。タイトルは「樹木の名前」ですね。
タイトルからも、青々とした樹木の生い茂った瑞々しい風景が浮かんできました。


私の読みが浅いからだと思いますが、今一つ、なぜ「樹木の名前」を知りたいのか。或いは聞くことができな
いとダメな状況がはっきりしてこなかったのです。例えば、名前を呼んで声をかけないとふりむいてくれない
理由があったり、無視されているみたいで寂しいだとか・・・そのような理由があったりした場合、それを感
じてもらえる表現を混ぜ込むことで、うっすらとでもわかることができたのなら、作品をよりスムーズに読み
進めることができるようになると思いました。

あと、「夏の子どもたち」についてです。現実と幻想的な世界の境界をはっきりさせないことで、より幻想的
な部分が引き立っていくような感じも受けるのですが、「夏の子どもたち」に限っては、五連目の部分の子供
たちは、現実の世界の子供たちなのか、妖精のような存在なのか、見分けがつきにくいように思いました。

この二点を明確にすることで、目の前に浮かび上がってくる情景がくっきりとしたものになってくると思いま
した。

情景描写においては、とても美しく、想像の目や耳を楽しませてくれるものになっていると思いました。特に
四連目。「恋人の胸に飛び込むように~」「私」がどれほど森を愛おしくおもっているか、そして、その森が
どれほどに美しいものなのかを、同時に伝えることのできる表現になっていると思いました。

八連目以降は、幻想的な世界であるとはっきりとわかる連。どれもこれも美しく、色鮮やかな絵本を読んでいる
気持ちにしていただきました。終盤に登場する「蟻」、それは、現実の世界と今までの幻想的世界は夢であった
ことを、わからせてくれる言葉になっていて、そのまま現実の世界に戻ることができました。と同時に、現実
の世界の寂しさや虚しさを漂わせることができる表現になっていると思いました。今回は佳作一歩手前で。





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今年は、梅雨が復活しました。生まれてこの方、聞いたことがない声でした。蝉の声が例年より、小さいのでは?という人の声
を聞きました。ニイニイ蝉がもう鳴き出しているところもあるという声も聞きました。「今年はどうなっているの?」と感じて
いるのは、人だけではないみたいです。天候の落ち着かないこの頃、暑い毎日、どうかお元気で。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

編集・削除(編集済: 2022年07月25日 00:13)

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