感想と評 1/9~11ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。1/9~11ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●理蝶さん「モンスター」
理蝶さん、こんにちは。タイトルからどんな恐ろしい怪物が登場するのかと思いきや、初行から「可愛がり甲斐のあるモンスター」という撞着語法的表現で(いい意味で)期待を裏切られます。そして最後までそのような、恐ろしい怪物と言うよりはペットか相棒のような親しみやすい「モンスター」が描かれていきますね。
この「モンスター」は自己の内面にあるさまざまなネガティヴな感情のようなものを表しているように、私には読めました。それは生きているとどうしても私たちの内面で育ってくるものですが、私たちはそれを檻に閉じ込めて表に出てこないようにする。けれども、それを時には解放する必要があるのだ・・・そんなことを訴えているのではないかと思いました。
語呂合わせなども用いて全体的に皮肉と諧謔に満ちた軽い筆致で書かれていますが、最終連でしんみりと着地する構成も良かったです。
この作品で個人的に唯一物足りないのは、最終連にたどり着くまでの部分で、文字通りモンスターが可愛く描かれすぎていて、モンスターがモンスターと呼ばれるゆえんがよく分からなかった点です。前半でモンスターの破壊性、怒りのようなものをもっとネガティヴに描いた上で、モンスターの可愛いげのある側面、あるいはもしかしたらその抱える哀しみのようなものさえ垣間見せる流れにすると、もっと良くなるように思いました。一つのアイデアとして、参考にしていただければと思います。評価は「佳作半歩前」になります。
●喜太郎さん「家路」
喜太郎さん、こんにちは。会社帰りの情景でしょうか。勤め人の哀愁がただよってくるような一篇ですね。特に誰かと話したいわけでもなく、独りで軽く一杯呑んで家路に就こうというのは、多くの人が共感できる設定ではないでしょうか。
結末部分の「だから酒を呑んで/社会人を演じよう」から、語り手は社会から疎外された意識を持っていることが分かります。自分は社会に馴染めていないけれども、社会から見捨てられたくはない。だから(おそらく好きでもない)酒を呑んで、いっぱしの社会人のふりをしよう、ということになるのでしょう。ここは短いながらも心に響いてくる部分でした。
全体の流れでいうと、8-9行目「社会の中にまだ居たいだけ/世間の中に未練があるだけ」が、先行するパート(誰とも話さず独りで呑みたい)とも、後に続くパート(社会人のふりをしよう)ともうまくつながらないように思いました。8-9行は社会や世間における人間関係への魅力や未練について述べているのに対して、これを挟む前後はそこに馴染めない孤独を描いており、この両者は相反する感情だからです。
もちろん、人間の中には相反する感情がせめぎ合うことがあり、まさにそれが語り手の心情なのだと思いますが、この両極を短い行の中で行ったり来たりすると読み手は混乱する可能性がありますので、2つの感情をそれぞれまとめて書いた方が良いように思いました。例えば次のようにです:
帰り道 ふと思う
何かやり残した様な
このまま一日を終わらせたくない
そんな心は何を求めてるのだろう
社会の中にはまだ居たい
世間の中にも未練がある
誰かと話したい?
いや ぼっちでも良いから
軽く呑んで帰ろう
酒を呑んで
社会人を演じよう
ついでに連分けもしてみましたが、あくまでも一案ですので、これを参考にご自分でもっと良い構成を考えていただければと思います。評価は「佳作一歩前」となります。
●積 緋露雪さん「自在なる時間」
積さん、こんにちは。この作品は積さんらしい、重厚な思索に満ちた一篇ですね。時間とは何かという、古来哲学者たちが格闘してきた主題を取り上げ、語り手の思考が展開していきます。細かい論理の筋道を辿れたかどうかは心もとないですが、「私」の結論は「時間は吾吾に与へられた自由の一つで/過去と未来を精精往還して愉しめばよい」ということであり、したがってタイトルの「自在なる時間」ということになるのでしょう。
ここで展開されている時間論に対して云々することは評者の手に余ることですし、この評の目的でもありません。ここではあくまでも「詩作品として」どう受け取ったか、ということについて述べさせていただきます。その上で申し上げると、この詩の特に長い第一連は説明的に過ぎるように思います。この部分は他の積さんの作品と比べても格段に抽象的であり、失礼ながら詩と言うより行分けされた哲学的エッセイのような印象を受けました。
哲学的な思考を詩に盛り込むこと自体は素晴らしいことだと思います。けれども例えば時間を主題にした傑作であるT・S・エリオットの「四つの四重奏」にしても、あるいは吉本隆明の「固有時との対話」にしても、抽象的な思考が具体的な事物の世界に降りてくるところに詩としての魅力があり、単なる知的理解を超えて訴えてくるものがあるように思います。エリオット自身の言葉をもじって言えば、「思想をバラのように嗅ぐ」ことができるようにしてくれているのです。観念が勝りすぎると、逆に詩としてのインパクトは減じてしまうというのが、私の貧しい読書体験から来る実感です。これが前回評をつけさせていただいた「役立たずの愚者でありたい」について、AIに関する記述の部分が「やや冗長」とコメントしたことの真意なのですが、私の説明不足でうまく伝わっていなかったようです。
いろいろ厳しいことを申し上げてすみません。けれども、この詩には「時間(が)滾滾と湧き出る」「私の皮膚が現在の居場所である」といった表現やアナログ時計のイメージなど、光る部分もたくさんありました。もっとこのようなイメージを前面に押し出して構成し直していただければ、素晴らしい詩になると思います。あくまで一意見としてお読みいただければ幸いです。評価は「佳作一歩前」となります。
●紫陽花さん「夜」
紫陽花さん、こんにちは。この詩は一読してすばらしいと思いました。人間の寂しさが卵となって夜が生まれるという発想がまず良いですし、普通の卵と違って温めるのではなく冷やして孵すというのも面白いですね。
私が一番印象に残ったのは、窓辺に置いた「夜」が夜に溶けていくという部分です。個人の心の孤独から生まれた小さな夜が、もっと大きな夜の中に溶けて一つになっていく……。もしかしたら夜というものは、これまで生きた無数の人々の孤独からできている巨大な集合体なのかもしれない……そんな思いにさせられました。
自分の内面にある孤独を見つめ、愛おしむ心が伝わってくる、素敵な作品でした。評価はもちろん「佳作」となります。
●妻咲邦香さん「おんがえし」
妻咲さん、まずは改めまして免許皆伝おめでとうございます。これは私が評をつけさせていただく最後の作品となりますね。これからは新作紹介を楽しみにしています。
さてこの作品、一読して思い浮かんだのは、田村隆一の「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という有名な詩句でした。言葉を覚えたことに対する悔恨を表現するにも言葉に頼らざるを得ない、というジレンマがそこにはあるわけですが、この「おんがえし」も同様のジレンマを扱っているように思いました。けれども語り手は田村とは逆に、ことばに助けられたので恩返しをしたい、というポジティヴな思いに動機づけられているのが異なります。しかし、ことばに恩返ししようにもことばに頼らざるを得ないというもどかしさは共通しています。そこで語り手が試みるのは、
ことばのちからをかりて
だれにもわからないことば
つむいでおくる
ことばだけはわかってくれる
ということなのでしょう。意味不明のことばであっても、それがことばである限りにおいて、ことばは分かってくれるはずだと。ここには「詩は表現ではない」(入沢康夫)という現代詩のテーゼに通じるものを感じました。けれどもこの詩ではそうした抽象的思考に終始することなく、後半では「わたし」の孤独と希望を描いていて心に迫ります。
この作品は「ことば」についての詩ということで、以前書かれたメタ詩「ごまか詩」と類似した自己言及的性質を持った詩かと思いますが、ある意味であの詩と鏡像関係にある作品のように感じました。そう考えると、タイトルの「おんがえし」は実は「おんがえ詩」なのではないか、とさえ思えてきます。
ひらがなだけで書かれた短い作品ですが、「いきて」と「きいて」のアナグラムのような細かい仕掛けもあって楽しめました。するめのように噛めば噛むほど味の出てくる詩ですね。評価は「佳作」となります。
●akkoさん「天体ショー・・夫の月命日に・・」
akkoさん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。なお、冒頭にも書きましたように、この感想では詩中の語り手である「私」とakkoさんご本人とは区別して書かせていただいていますので、その点ご承知おきください。
さて、「私」は連れ合いを亡くして、おそらくあまり時間が経っていないのではないかと推察します。「夫」が存命だった頃は、選挙になると連れ立って投票に行っていたのかもしれません。投票所を出たところで、そのことを思い出して改めて寂しさが心に迫ってきたのでしょう。
ふと見上げた夕空には三日月と金星。「私」にはそれが仲睦まじい夫婦のように見えます。月を亡き「夫」に、金星を自分に重ねて、おもわず天に引き上げられそうになるところを、冷たい夕風で我に返る。地上にひとり残された「私」は改めて「夫」のいない孤独を噛みしめる……。
ところで、私は茨木のり子の『歳月』という詩集が大好きなのですが、これは彼女が亡き夫への思いを綴った詩を集めて没後刊行されたものです。akkoさんの詩を拝読して、その詩集の中の「夜の庭」という詩を思い出しました。夜の庭で亡き夫と出会う束の間の幻想を描いた切ない一篇ですが、akkoさんの詩からはそれにも通じる追慕の念がひしひしと伝わってきました。
哀しくも美しい作品をありがとうございます。またのご投稿をお待ちしています。
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以上、6篇です。今回も味わい深い詩との出会いを感謝します。
今年は能登半島地震で文字通り激震の年明けとなりましたが、被災した地域の方々には心からのお見舞いを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。