軍隊・内務の暴力 上田一眞
その1
旧日本陸軍における
平時の営舎内居住の単位である
内務班は
ある種の〈狂気〉に支配されていた
最前線内務も同じで
古参(年)兵がふるう初年(新)兵に対する
〈暴力〉は
看過できぬ異常なものがあった
連隊内では
絶対的な支配者である将校も
部隊を維持して行くため
これを放置
許しがたいことだが
部隊内の不満のガス抜きに
大いに利用していた
その2
私の父は赤紙を釜山で受け取り
応召地も同地であったが
配属されたのは
北鮮の豆満江(とまんこう)陣地だった
寒さの厳しい地方であった故か
陣地の部隊は
新潟で編成され
主に東北の出身者で占められていた
農村出身者が大半の部隊
その蝟集の只中に 一人
異郷の都会人が入って来たのだから
いいカモだ
狙い撃ちにあって
古参兵から徹頭徹尾イビられた
父にとっては不幸なスタートだった
ただ そのことを除外しても
軍隊は異常な世界だった
たとえば
「官給品の検査」と称するものがあった
針を一本でも紛失すると
大ごとで
畏(かしこ)くも
天皇陛下から下賜されたものを
失くすとは何ごとか
貴様 ぶったるんどるぞ!
と上靴で殴りつけられた
しかも 常に“連帯責任”を問われ
一人の不始末は
同じ班の初年兵全員で責任を負わされ
共に殴られた
父と同期入営の豊川出身のある初年兵は
夜ごとのいじめに耐えきれず
脱走を試みた
しかし果たせず
河も凍る厳冬の陣地で
裸に剥かれて営舎から放り出され
凍死した
脱走は重営倉行き
かつ銃殺刑に該当する重罪ではあるが
憲兵の捜査はお座なりなもので
部隊内でもみ消された
また ソ満国境の豆満江河畔で
馬賊と交戦したとき
ある古参兵は
味方から背中を撃たれ 死亡した
戦闘中のどさくさに紛れた事件だが
やられた兵は札つきのワルで
理不尽かつ陰湿
皆から蛇蝎のごとく嫌われていた
当該事件も部隊内で処理され
闇から闇に葬り去られた
将校が兵を犠牲にすることを
厭わなかったように
兵はまた兵をぼろクズのように扱った
これら〈非人間性〉は
夙(つと)に知られた旧日本軍の悪弊であり
陸軍・海軍を問わず共通して持つ
牢固とした体質だった
その3
精神力を鍛えることを名目にして
手荒なことをしたのは
何も旧日本軍だけではない
スタンリー・キューブリックの映画作品
『フルメタル・ジャケット』に
描かれているが
米軍(映画では海兵隊)でも同様だ
戦争を遂行するには
普通の精神では保たないから
訓練所で新兵を狂人に仕立て直し
殺人マシーンをつくる
異常な精神の状態を作らないと
作戦の遂行 つまり〈ころし〉はできない
当たり前だが
軍隊とはそういうところなのだ
そして結果として
〈ころし〉を目的にした集団には
常に〈精神の荒廃〉がついて廻る
軍・軍隊が〈狂気〉の集団であることに
洋の東西や
時代の新旧は
問わないもののようだ
また 平時 戦時の別もない
沖縄での
三人の黒人米兵による少女暴行事件など
〈精神の荒廃〉が引き起こしたとしか
考えられない
いたい気な少女を凌辱するなど
言語道断
日本人を愚弄した酷い所業だ
その4
確かに人の心には闇があって
〈暴力〉と〈性〉への衝動が潜んでいる
これらはラディカルな欲求であるため
人は御しきれないで来たし
歴史は そうした
欲求の上に成り立っている
否定はできないし するつもりもない
だが
安易にこれを是認し
戦前を懐古したいがために また
国粋主義や軍国日本を礼賛せんがために
むやみに旧軍を賛美して
内包した〈狂気〉を忘れては
やはり駄目だ
南京事件を引き起こした者
一人ひとりは
弱く心優しき人だったといわれる
それがなぜ?
私は思料する
内務班の〈暴力〉を培った
〈おぞましきもの〉と同根のものが
大陸で牙を剥き
支那人(*)をチャンコロと蔑視し
無辜の民を虐殺したのではないか
集団の〈共同幻想〉なるものの発露が
悪しき行為を
暴発させたのではないか
この痛恨の大虐殺を起こした
〈おぞましきもの〉つまり〈狂気〉を
日本民族が
等しく内在させていることを
私たちは
決して忘れてはなるまい
南京事件は1937年12月に起きた
僅か86年前の出来事だ
*支那人=中国人 戦前の一般的呼称
[参考]
内務班の実態は
野間宏の小説『真空地帯』に詳しい