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スレッドNo.3505

2024年1月23日~1月25日 ご投稿分、評と感想です  (青島江里)

 大変お待たせいたしました。
 2月4日午後から翌朝にかけての投稿は、私の勘違いによるミスです。
 不安な気持ちにさせてしまってごめんなさい。どうもすみませんでした。


【 2024年1月23日~1月25日 ご投稿分、評と感想です 】

◎冬将軍襲来  積 緋露雪 さん

昨年の年末は、比較的あたたかな日々が続いていたのですが、年が明けてからは、手のひらを返したような寒さにみまわれました。いきなりの寒さ。強風。冬将軍という言葉は誰がつくられたかは知りませんが、怖いくらいの力のある天候を表すのにぴったりの言葉だと思いました。タイトルの冬将軍襲来。見ただけで厳しい冬の寒さを感じました。

「冷たくも美しい雪」「疾風怒濤の日本海の海鳴り」……静と動の対比により強調される厳しさの中にある冬景色は、圧倒されるものがありました。「風神雷神」「漏斗雲」……激しさを表すものの並列により現状の天候が巻き起こすエネルギーの大きさを感じました。和の要素を感じる数々の言葉、「海の華のみ宙を舞ふ」など、時代劇のようなアクションを彷彿させる表現の数々。それは、大舞台で観劇をみているような迫力さえ感じさせます。

ただひとつだけ、今回、こちらの作品を拝見いただいた際、私は能登の地震に関する部分を、とある冬の大地と置き換えて拝見させていただきました。個人的には、能登の震災に関する内容とは違うものにすることで、この作品の良い部分を伸ばせるように思いました。今回、評は保留とさせていただきますが、厳冬の凄みを感じさせてくれる作品だと思いました。


◎糸くず  喜太郎さん

糸くずを見て、詩につなげていくところ。作者さんの繊細なお心を感じました。始めに、登場人物に関して感じたことをお伝えします。「もし捨てられたら~」から後に登場する「隣を歩く人」ですが、こちらは知人なのか。他人なのか。どちらかによって内容が変わってきそうです。知っている人だとすると「隣を歩く人に聞く」という行為は自然ですが。他人だとすると少し不自然に思えました。果たしてそのような質問を突然投げかけ、答えてくれるのかという思いが湧いてきます。詩はノンフィクションでならなければいけないという決まりはないので、仮想の人物を登場さても大丈夫ですが、隣を歩く人という設定は考えてみるのもよいかなと。よく公園で、他人だけど座っている者同士でなんとなく会話が始まるということも見かけるので、そんな設定をしたり、或いは、いつも一緒に歩いている人に変えたり。それからそのようなことを踏まえて、最終にある「私から手を繋いだ」についてですが、つきあっている女性だとか、親友だとかの設定でしたらそのままの流れで行き着きそうですが、あまり知らない人からいきなり手を繋がれるというのは、驚きの方にいってしまいそうなので「私から手を繋ぎたい」と、するのも一案になると思いました。そして、真ん中の「隣を歩く人に~」とその三行下の「隣の人」は、かぶるので「隣の人」の方は消去した方がいいと思いました。

ふだん、気に留めることも少ない糸くず。肩に乗っかっていた糸くずが風に飛ばされていく様子を見て、消えていく寂しさを想うことができる。とても詩的な気づきだと思いました。糸くずをみて自身の姿も糸くずのようだとされています。「社会から消えても何も変わることはない」それだけにとどまらず「ただ摘んで捨てられないだけ」と、されているところには、どうすることもできない迫りくる虚しさを感じさせてくれました。その感受性。今回は佳作一歩手前で。


◎美しい時代  樺里ゆうさん

戦争と平和について語る時の「美しい」という言葉の響きには、なぜか、ものがなしいものを感じます。たしかに本当にあるものなのに、幻になるような不安を感じさせるからなのでしょうか。

舞台はどこにでもありそうなフードコート。どこにでもありそうな場所でどこにでもありそうな時間を過ごしている時、ふとよぎる疑問と不安。美しき良き時代、ベルエポックを擬人化、白線の地球をテーマにした俳句に登場するマリを登場させる詩の構想は、戦争と平和についてというテーマについて、若い方にも入りやすくなっていて、とても読みやすい作品になっていると感じました。

大学の卒論に悩むマリ。別の国ではもっと大きな悩みを抱えているというのに、こんなことで悩んでいていいの?に対しての「いつの時代にも苦しんでいる人はいたけれど、みなが一つの時代を生きるのではなく、個人が個人の時代を生きていた」と言った内容には説得力を感じました。更に説得力の上書きをしているのは「だからきっと/悲しみの種類が/変わるのだね」の言葉。大きく縦に首を振ってしまいました。そこからの次の連の「いつか君の頭上に~」の言葉は非常に衝撃的。「気をつけろ。頭を打つよ」そのような警告を同時に表現されているように感じました。

最後の方にある「はじめて ベルエポックはいなくなったのだ と マリは気づいた」には、影、そして、恐ろしさまで感じました。ライトな作風で日常の生活での悩みを描き、その中に戦争と平和について考えるというテーマをうまく組み込まれている作品。深いものを感じさせてくれました。佳作を。


◎かきごおり  じじいじじいさん

朝起きてすぐの湖の雪景色。寒いけれど、冬らしいきっぱりとした綺麗な空気を感じさせてくれました。

「しんしん」でも「こんこん」でもない「サラサラ」という雪のオノマトペは、「べた雪」でも「ぼた雪」でもない「こな雪」を見せてくれます。湖の水色の上に白い雪。この白い雪は、作業中の音は横に置いといて見つめてみると、かき氷機でかいている時の氷の様子とも重ねることもできますね。

湖全体にこな雪が降る様子。大きなかき氷という発想はユニークで、子供の自然な会話のやり取りにそのままでてきそうです。そこから誰が食べることができるかなと、どんどん想像の翼を膨らませていく様子を想うと、楽しそうに室内から外を眺める子供の姿が浮かんできました。早朝。雪の降る湖の様子を白い息を弾ませながら眺める、あたたかい冬の一風景。

最後の「おひさまだっておなかをこわすね」の一行。真顔で心配していそうな子供の姿が目の前に浮かんできて、愛おしい気持ちにつつまれました。子供目線ではなくて、子供になり切って書いている作品だと思いました。佳作を。


◎辻占と約束  紫陽花さん

辻占。私は辻占という方に実際にお会いしたことがありません。辻占は万葉集に出てくるくらい古くからある占いで、夕暮れ時の辻は異界とつながっているという根底の元、そこを通る大衆の人のワードを神の声と転じて、占いをするのですね。どこか神秘的なものを感じます。

人は悲しい時、誰かに、何かに、頼りたくなる。すがりたくなる。身近に真っ裸な心で気持ちをさらすことのできる人やものがあれば、その場でその大きな揺らぎやひび割れを、完璧でなくてもどうにか納めることができるのですが、そうでない時は大変です。日を追うたびに自分なんていなくなればいいなんて思いはじめたりします。そう思っても、本当のところは誰だって消えたりしたくないですよね。作中の私が、辻占のおじいさんを思い出すと言ったシーン、それは、このような気持ちをしめしているのだと思わせてくれました。

辻占さんの近くを通り過ぎるシーンの表現、声をかけられたくないと思いつつも、心の奥の奥でどこか声なきSOSを発しているようにも感じられました。そして、私を捕まえた辻占さんの所作。お金をもってもう一度占いにという声は、裏を返して拝見すると「お金なんていいからもう一度この場所に来て、生きているあなたの姿を見せて」という心の声として響いてきました。

終連では「律義な私は約束を破れない」と、さらっと書き綴っていますが、こちらも裏を返してみれば「あの時はありがとう。命拾いしました。これからも救ってもらった命を大切にします」という心の声として響いてきました。

全体的にみると、作品の核となる四連目。「~伝えた」「~歩いた」「~言っていた」「~捕まえた」という動作を表す言葉がこと細かく書き綴られています。まだまだ省略できそうな部分もありそうです。歯切れよくすることで、辻占さんと私との咄嗟のやり取りのスピード感をより詳しくことができると思います。体言止めなどを用いながら、整理されてみるのもよいかなと思いました。一例です。

なぜか 私はその時思い出した
辻占のおじいさん
赤い滑り台
春の日の中で
のんびり眠る黒猫
最後にどうしても見たくなって

一番辛い時、誰にも言い出すことのできない心の声を、綴る言葉の裏側にうまく埋め込むことのできた作品だと思いました。今回は佳作半歩手前で。


◎早く帰らなくちゃ  まるまるさん

大きくなった息子さんを気にかけるお母さんの気持ち。親にとって我が子は、どんなに大きくなっても子供なのです……そのような親心が作品全体にしみわたっている、そのように感じさせてくれる作品だと思いました。

拝見していて、少し気になったのは、連分けや行頭揃えに関することでした。内容がとても素敵なものなので、もったいないなと思いました。特にこれが正解だという書き方はないのですが、こちらは個人的なものなので、ご参考の一部としてお伝えしますね。

一連目の字下げ「仕事~」や「もう~」などは、会話の部分の強調としているのでわかりやすく分けていらっしゃると思いました。二連目と三連目についてですが、特にこだわりがないのなら、三連目の行頭を二連目の行頭に合わせると、すっきりすると思います。四連目は「一緒に笑ったのに」から改行するのもいいかと思いました。理由は「一緒に笑ったのに」の後に「……」の意味が隠されているように思えたので。五連目と六連目ですが、私ならこんな感じにするかなぁ。うまく言えないので書き並べてみますね。

安らぎはないし
母さんは 居なかった
よりも
安らぎはなかった
でも
母さんは 居た  
せめてそんな家にしてやりたい

さあ 急いで帰らなくちゃ
目に見える交流だけが絆ではないけれど

「よりも」「でも」という接続の言葉を単発にして、母さんの思いを目立つように意識してみました。
後は、「さぁ」という勢いのある言葉を、連の先頭にもってきて、息子さんのために早く帰りたいという気持ちを強調してみました。

日曜は 眠らせてあげよう
思いやり

作中のこの言葉。さりげない母の愛情があふれていて、とてもよかったです。
息子さんの成長に対する喜びと寂しさと。お母さんの愛がたくさん詰まった作品。今回は佳作半歩手前で。


◎マスメディア  荒木章太郎さん

最近のマスメディアに対して、感じたことを表現された作品。独特な表現が印象深く。何かに対して、こんな状況はいかがなものかというようなことを書き進める時、直球過ぎても偽善っぽく伝わったりしそうです。かといってオブラートに包みすぎると、難解すぎて通じにくくなってしまいそうです。この作品は、全体的に拝見すると、ちょうど程よく、その間をいく作品になっているように思いました。

ただ、一点だけ立ち止まっまった部分がありました。一連目の「夜明けには蕾」と「夕暮れには花」という二つの表現です。一連目の終わりでは「いくらでもポケットから出てくる」というようになっています。こちらは、私は、情報は今ではTVや雑誌などに頼らなくとも、個々のポケットからスマホを出して確認できる……というように受け取りました。その直後の「夜明けには蕾」でしたから、ここで立ち止まってしまいました。この二つの表現、後に続く言葉が省略されているように見えるのですが、例えば「蕾をみつめる」「蕾を取り出す」ともとれそうです。作者さんが思う後に続く言葉を添えてあげることにより、よりはっきりとこの作品の世界が見えてくると思いました。独特な例えの表現が印象的な作品。今回は佳作一歩手前で。


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外を歩いていると、電線に小鳥の群れ。
ぷくぷくと体をふくらませ、さえずり、からだを寄せ合っていました。ここ最近の元気のもとです。

みなさま、寒い中、今日も一日おつかれさまです。

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