感想と評 2/9~2/12 ご投稿分 三浦志郎 2/19
1 荒木章太郎さん 「妻の夢が聴こえた」 2/10
タイトルから3行目まで読んで次……! 「海象」(セイウチ)で驚くわけです。
海象夫婦の、しかもダンナの悲哀といったところでしょう。その元になっているのは牙。調べた際の写真で見ると、確かにもの凄いです。あれでどうやって食事をするのだろうと心配になるほどです。
なんで海象になったか、が興味深いを通り越して、やや啞然としたりします。そこはそれ、荒木さんの詩的奇想天外と解しましょう。対象は奇抜ですが、これを大胆な隠喩と考えると、事はもっとわかりやすくなるでしょう。すなわち妻への憐憫、優しさ。そのためには夫たるもの、何かを改める、断念する、そんな風に読み取ることもできそうです。 ちなみに、終わりから3行前「自分冴え」は「自分さえ」のことだろうと思いますが。確認願います。 ウーン、評価は比喩がちょっと特異過ぎて難しいところ、佳作一歩前といったところでしょうか。
2 上田一眞さん 「軍隊・内務の暴力」 2/10
「旧陸軍内務班」で引くと、各種項目の中で「私的制裁」といった項目があって、かなりスペースを取って書かれていました。それほど多発、深刻だったということでしょう。詩中「その1」はその導入。ここで問題になるのは暴力を振るう古参兵はもちろんですが、制裁を取り締まらず半ば黙認していた上層部でしょう。「その2」は父上の過酷な体験が語られます。こうなると制裁の理由は何でもよかったことになります。いかようにも理由づけられる。やりたい放題になるわけです。しかも「連帯責任」から、制裁対象は一人から複数人に増殖していく。後半に凍死した人の話がありますが、脱走は確かに重罪、極刑が待っていますが、結果だけを見ず経過(なぜそうなったか?)を問うべきなのに、それをしない。そこに軍の病巣がありそうです。陸海共に旧日本軍は精神性を危険なまでに偏重したのが大きな要因のように思われるのです。精神は無形なだけに、いかようにも解釈され利用されてしまいます。
ここで正直に書かせてもらうと「その3」は僕は削除してもいいように思いました。軍隊の持つ狂気性といったテーマは継続されていますが、少し方向がブレる気がします。この詩は米国は出さず日本に絞ったほうがいいでしょう。特に沖縄米兵の暴行事件はおのずと別テーマという気はします。「その4」はこのままでいいでしょう。ただし(自由裁量ですが)、もしも「その3」を削除した場合は、冒頭の部分だけ少し変える必要があるかもしれません。南京事件の遠因のひとつに前半から述べてきた内務班の件を挙げるのは卓見と思います。同じ精神構造が見え隠れしますね。最後近く「等しく内在させている」は現在でも注意深く見て行かなければならないでしょう。旧軍内務班とは次元が違いますが、強力な目的集団・階級集団―たとえば警察・自衛隊あるいはスポーツ界―で、たまに報じられるハラスメント・暴力事件はその痕跡と取れなくもないです。他者がどう思うかはわかりませんが、僕の場合は「その3」がやはり引っ掛かったわけです。そうしたわけで佳作一歩前とします。
3 麻月さん 「シチュー」 2/10
「昨日の残りの~」。 そう、当家でもカレーやシチューは2日食べます。従ってこの冒頭は凄く実感と共感が湧くわけです。2連、3連が好きですね。そう、かたまってるから味が薄まらない程度に水(湯)を入れて緩めにする。まさにこの詩は、昼一人でいる時に僕がやってること、そのものなんですね。「ぐつぐつ~ぶくぶく~くたくた」の擬音の置き方もぴったりで楽しいです。ちょっとしたユーモアさえ感じられます。肉・ジャガイモ・玉ねぎ・人参の様子にちょっと触れても楽しいかも?
最後の「どこか遠くへ行きたい」―これを奇妙に思う人もいるかもしれません。どういった気持ちかはわかりませんが、結果としての、こういった”方向外し“を僕は嫌いではありません。割とこういった例はあって、逆に詩的効果を高める、と考えられます。僕が思うのは、シチューに象徴される日常性や退屈さに少しだけくたびれたのかもしれない。そんな思い。遠い目線の思いでしょうか。佳作一歩前で。
4 埼玉のさっちゃんさん 「マイルーティン」 2/10
「コップ一杯の水を飲む」―はい、これ、いいらしいですよ。ナイスルーティンでしょう。気分的にも朝の気付けになるでしょう。しかし朝にこれだけの余裕があるのは実に好ましい、頼もしい。
ここにはリラックスの中にも適度の緊張感と静かな意志があって、その”少量さ“がなんともいい感じなんです。よく運動選手が深呼吸した後、両手で頬をパンパンと軽く叩いてプレイに臨む、あの感じですね。「今日の仕事も~」のくだり、仕事も安定的なルーティンに乗っているかのようです。その基礎に立っての、日々僅かな変化といったところでしょう。
さっちゃんさんの作品はシンプルで身近なものですが、こういった上向き感や爽やかさが多くあって、とても好ましいです。この作品も同様です。今回は連分け無しもよかった気がする。ギュッと詰まって読ませる感じですね。佳作です。「行ってらっしゃい!」
5 詩詠犬さん 「美しいもの」 2/11
僕は体言止め採用が割と好きなほうで、これはほぼ全篇がそうなっていても、僕は受け入れることができます。そういった詩もあるでしょう。ここの事例は直感、熟考含めて練り上げたものであるでしょう。2連「歯に噛む」はひらがながいいですね。ちょっと目を惹くのは「子犬~」、2連全部、「マーラー~」「夏祭り~」ですね。見ておきたいのは体言詩形と終わりの散文系の関係でしょう。もちろん、対比的効果を意図したことは充分推測されます。下記のような仮説もできます。つまり―。
ほんとうに言いたかったことは、実は終わりの散文形で、もっと言うと「あなたの 微かなひかり」であると―。多くを占める体言形は、其処への序曲であると―。しかし、その序曲もみな独自の美を備えている。そうやって美的指向を高めさせて、終わりに読み手を導く。そんな手法を感じてもよさそうです。佳作です。
6 じじいじじいさん 「けっこんきねんび」 2/11
こういった詩を細部までほじくるように詮索するのは如何なものか?とも思うのですが、こんなことを考えていました。
そうすると、この詩の語り手は10歳以下。小学4年生以下。そうですね。大体、こんな感じでしょう。
結婚10年で、子どもが気づくほど、そんなにしわやおなかが出るか、といったこともちょっと懸念されるのですが、個人差があるのでなんとも言えないです。ママとパパにはちょっと気の毒か?違う特色を書いてもいいかなと、ちょっと思ったしだいです。
まあ、これとても、上げ足取りになりかねないので、この辺で。要は聞き流してもらって構いません。詩文自体はしっかり書かれていて、これでいいです。ステキなママパパへの誇らしげな感謝があります。純粋な子の純粋なお祝いを感じました。 微笑ましいです。甘め佳作で。
評のおわりに。
確定申告終わり、とある会合終わり、今日、評終わり、束の間のブレイク。
忙中閑あり、と気どってみる。されど春と共に又忙中始まる。では、また。