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スレッドNo.355

2022年7月19日(火)〜2022年7月21日(木)の感想と評になります。  齋藤純二

本性に触れたい     SUIZさん      7/19


初めましてSUIZさん。齋藤と申します。何卒、よろしくお願い申し上げます。今回は感想を書かせていただきます。

こちらの作品の「本性」とは誰の、何の本性のことを言っているのかと見ながら、まずは拝読しました。答えは「彼ら」ということだろうか。既成概念ではなく、自分の持つ触覚(五感、感性ってことだろう)でその本性を探らなければ、本性を見ることは出来やしない、そんな流れを感じながら拝読しました。
そして、それは何のためにするのか。最終連でそんな彼らと同じではないか、そのような自分を破壊して再生するためにと書かれているのだろう。抽象的な文学というスタイルで飾られた言葉が説得を持ち、生化学的な匂いを醸す文脈にSUIZさんの書く力量を感じました。
「自身と対社会」と言った葛藤や闘いみたいなものも表現されているように、こちらの作品から受けましたね。
なぜ「本性に触れたい」のだろうか、その根拠を何度か拝読して探ったのですが、そこが見えてこなかったことがちょっと残念だったかな、と言うのも感想になりますかね。自分は彼らとは同じにはなりたくないから、「真実」を知りその道を進みたいからなのだろうか、詩人の本心が知りたい。





可哀想な何処かに     紫陽花さん     7/19


いゃ〜傑作ですね。もちろん「佳作です」。
私VS野良猫の構成からの娘さんの「猫の生きていくため」の視点。上手に描かれています。親子ではこのようなシュチュエーションになることってありますよね。うちは猫を三匹飼っているのですが、みな保護猫です。娘が「子猫が泣いているんだけど……」と写メールを送ってきて、「誰かが拾ってくれるから、連れて来るなよ」みたいな返信を送って、けっきょく連れて帰って来るんですが、近所で引き取ってくれる方がいないと飼い猫が増えてしまいます。こちらの作品のように「可哀想」という意識も私の方にの芽生えてしまう訳です。なんでしょうね子どもの「かわいそう」とい優しさは、本当に純粋で忘れてはいけない気持ちだと再確認する作品でもあり、しかもほっこりとした娘さんから親への言葉がまたいいですね。「ポチャポチャ」と「ガリガリ」。子どものストレートな言葉の破壊力は凄いです。
「私」の心の変化みたいなところも見事に表現され、最後は安心できて良かったですね!





夕立     秋さやか さん     7/19


まったく作品の景色が違うんですけど、こちらの作品を読み終えると後味が中原中也の「サーカス」と同じに思えて、空(から)になってしまった哀しみみたいな気持ちが伝わってきました。私は子を亡くした親の気持ちをうたっている作品として読みました。雨は平等に濡らすけれど、乾く時間は人それぞれ違うという表現は素晴らしいですね。心の濡れはそれぞれ乾かすのに時間が違ったりしますね。傷の深さでも違うかも知れません。また「わたしは」は、動けず水溜りに小さな命を見ようとして時間だけが流れてゆく。もうせつなくて、せつなくて、じわじわと心に訴えかけてくる作品にうるうるしてしまいました。そして帰るところは、夫のいる家なのでしょうか、ふとリアルな現実に戻る締めも良かったです。
うわっ、と唸ってしまう最良作品ですね。「佳作」です。





焚き火     麻月更紗さん     7/20 


問いかけから始まり、折れる枝の音、拾い集め焚き火、それ自体がなくなる。折れた心の枝は燃やす(忘れる)ことにしょう。折れたらまた燃やそう、とシンプルな構成と流れが良いですね。少なき言葉の綴りですが、伝えたいメッセージは充分に描かれていると思います。上手いです。
「佳作」です。

で、最後がやはり気になります。「なくなったら また拾い集めればいい」なのですが、折れたら枝(心)はわざわざ拾いたくはないので、ここの二行は要らないと私は思いますよ。ご一考くださいませ。





中毒前夜     秋冬さん     7/20


診断がついてしまいそうな語り部ですね。
確かに、飲酒した者が車の運転や飛行機の操縦などは法律で罰せられますが、それらに関係ない職種の場合はとくに法律には触れることはないのですね。まあ、飲酒が原因で失敗や業務上で事故を起こせば、それが法律に触れてしまうのでしょう。
こちらの語り部は、密かに誰かへ助けを求めていて、その信号を点滅させていますね。特に最終連の手が震えるからもっと飲まなくちゃ、なんてところは思考がヤバいって感じで、こちらもハラハラしながら拝読しました。臨場感を出しながら上手に表現されていると思います。
「検温するが / アルコール検知器はない」。ここで大事なのはこの語り部はまだ社会に適応したいという気持ちを滲ませていることです。そこの描き方も良かったです。
そして、今なら間に合います。どこかの相談窓口や心療内科等で「飲まずにいられない」と話せたらいいのに……、と思いっ切り作品の世界に入ってしまいました。アルコール探知機となる優しい方が現れることを願うばかりです。

評価はかなり厳しめで「佳作一歩前」です。読者の心が抉られるようなインパクトのある表現が、最終連以外にもうひとつあると良かったかなと思いました(状況を説明する語りの中ではなかなか難しいですね)。





かなしみを知らない     Osadaさん     7/21


こちらの作品を拝読しまして、「かなしみ」とはちょっと違うのですが、初めて心の底から「さみしさ」を感じた頃を思い出しましたね。今まで居た人が急に側に居なくなる、そのような環境に置かれて初めて知る「かなしみ」や「さみしさ」というものを知るのだろう、なんて考えながら拝読しました。
こちらの作品「かなしみを知らない」とタイトルにある僕は、最終的にはかなしみを知ってしまう。色んな思考の模様が海の生き物などで語られるが、すべて僕という流れの構成も良いですね。たぶん読者によって読み方が変わってくる作品だとは思いますが、ひとり会話で僕がお話を作っているように感じながら私は、その描写を楽しむことが出来ました。
ひとつ、「じゃが」って何ですかね? ジャガイモですか?そうすると海、星、舟、ジャガイモ、ちょっとイメージがズレてしまう。

そう、みんな海になった。みんな僕になった。そしてかなしかった。なんか言葉に出来ませんが上手くまとまっているところが、凄いっ。

評価は「佳作」です。





アガパンサス     Lisztさん     7/21


疲れと駅から待つもののない部屋へとのさみしさから、ほっこりさせてくれた花。そんな心にふと花の美しさで癒され、想像する物語が目に浮かんできます。欲している物語りを詩句として書き留めていけばロマンチックな心持ちに現実から離れ、疲れをとり始め忘れていた感覚を蘇らせているようですね。自分へのご褒美のようなふと見つけた花、膨らむ夕焼けに包まれながらの優しい景色を読者は描いたことでしょう。静けさの中、語り部の声が素直に聴こえてくる流れが素敵でしたね。
締め、連わけ良いじゃないですか。
と、いうことで今回は散文型でないので、あえて説明っぽさはなるべく切り捨てていかれたら良いと思います。今までの散文型が連わけの詩になっただけだとインパクトというか、来たな、って感じがうすいかな、と。推敲はそれぞれの個性や感性が反映されると思います。最終形態へと自分なりに磨いてみてください。
評価は「佳作」です。


私の好みで推敲するとこんな感じですかね。


七月の夕方

うだるような暑さと外回りの仕事

疲れ果てすっかり汗だくなのに

気分は爽やかほっこり明るい


なぜって

いつもの駅からの帰り道

可憐な薄紫の花を見つけたから



生垣の向こう古風な家の

こぢんまりとした花壇から

わたしを見つめている
思わず振り向いた

何という名前の花だろうか?



軽やかで繊細
その姿は 
まるで貴婦人
小さなユリのような花が

たくさん集まり手のひらから 
こぼれるように咲いている


夜空を彩る流星雨が
待ちきれずに
現れたのだろうか?



不思議な予感を覚えながら

ひとり暮らしのアパートに帰れば

ドアは開いていて

玄関に見慣れない日傘とサンダル

開け放たれた窓
カーテンが
波うっている



夕日が
まぶしいくらい
差し込んでるのに

部屋の空気は涼しく

仄かな香りが漂っている



……誰か来たはずなのに

室内を小ぎれいに整えてくれた

そのひとの姿はもうない



わたしにできることは

久方ぶりに心のノートを開き

忘れていた詩句を見つけ出し

降り注ぐ透明な光の織物に

書きとめること


薄紫のパラソルをさし

星のちりばめたサンダルをはいた

まだ見ぬひとの面影を

一花の化身の絵姿を



訪れは

とつぜんやってくる

ほんのわずかな間だけ

儚いけれど
確かな反響を残して……


いゃ〜、一年間十二作品の連載、大変お疲れ様でした。そして、楽しませていただきありがとうございます。あとはちょっと校正して紙媒体で纏めてみたいですね。
Lisztさん、メールをください。新作紹介の私の名前をクイックするとメールが送れます。空メールでも良いので。よろしくお願いします。





ミュージシャンと詩人     喜太郎さん     7/21


初めまして喜太郎さん。わたくし齋藤と申します。何卒、宜しくお願いします。今回は感想を書かせていただきます。

友人のミュージシャンと詩人の僕は、今ではライバルって感じなのでしょうか。あの頃は、音楽をやっていた君がめちゃ輝いていて手の届かない存在に思えていたけれど、今は僕も君のように詩の世界で走っているという自負が「ただのミュージシャン」「ただの詩人」と言った「ただ」という表現になっているのだろうか。やっと同じ土俵に立って、お互いが切磋琢磨している感じが伝わってきますね。継続することは、努力よりもその活動していること自体が好きでなければ出来ない気がします。逆に言えば好きでなくなった時がやめ時なのでしょう。詩人の場合は詩を書いて生計を立てるというのはミュージシャンよりも皆無なので、なお詩が好きでないと詩を書き続けることは出来ないですね。そして、ライバルから「気」をもらい肥やしにして自分も頑張れる気がしてくる、と語られているのがとても良い関係で素敵だと思いながら拝読しました。「素敵なただのミュージシャン」「素敵なただの詩人」、音楽をやること詩を書くことが、「ただのこと」のように肩肘張らず自然体で熟せれば最高ですね!
少しではなく、息切れしてぶっ倒れるぐらい走ってください!
私も拝読していまして気合が入ってきました。またのご投稿を楽しみにお待ちしております。





からすの唄     シャーミィ未平さん     7/21


初めましてシャーミィ未平さん。わたくし齋藤と申します。何卒、よろしくお願いいたします。今回は感想を書かせていただきます。

カラスなぜなくのカラスは山にかわいい七つの子があるから。そんな童謡の雰囲気を持ちつつ、仲睦まじいおしどり夫婦感も表現されくわっー、くわっーとリズムが出ていていい感じですね。生きるために食物を求めるカラス。複雑な生活形態の人間からすると幸せなことに気付かずなくなってしまうことがありますね。こちらの作品はそのようなことを気付かせてくれていますね。身近な幸せに喜べるようにならなくちゃ、なんて思いながら楽しく拝読させていただきました。
またのシャーミィ未平さんのご投稿を楽しみにお待ちしております。





。。。。。つぶやく。。。。。

コロナ禍の中で詩を書く人が増えいるような気がします。今回も私にとって初めての投稿者が三名様いました。レギュラーになった水無川さんもコロナ禍の影響で詩を書き始めたと言ってましたね。今はネット環境があり詩で自分の世界を表現し、発信することが出来ますので、コロナ禍でも詩は無敵で進化を遂げられる芸術分野として期待大ですね。コロナ禍で、悪い事ばかりでもないというポジティブな気持ちも湧いてきたこの頃に、そこはいいね、のボタンを押しました。

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