抱きしめられたことがないから 荒木章太郎
触れたことがないから
触れ方がわからない
子犬を抱きしめてみたが
脈打つ肉の振動や熱が侵入してくる違和感で
気が触れてしまいガラス越しまで逃げてしまった
友達はカラスだ
濁音を取り去り世界に触れるため
まずは海や山に触れるよう言われた
海は埋め立てられ
山は切り崩され
超高層ビルの森の中
普段なら会うことない人達の情報に触れた
四角い世界の中で視覚優位で言葉を駆使して
普段なら触れることない世界中の書籍に触れた
やがて肉体は揺さぶられても平気になった
図書館に出かけるようになった
言葉を抱きしめられるようになった
何年も通い続けているうちに
カラスとは口がきけなくなる
向かいに座る女性と口をきくようになった
彼女が隣の席に座るようになった
二人で言葉を交わすようになり
ガラス越しで触れ合うようになった
二人で海へいった
二人で山へいった
春を知らせる清流の風が
僕の濁音を吹き飛ばしてくれた
夕暮れの海岸線で
彼女を抱きしめてみた
脈打つ肉の振動と熱と
波打つ潮の満ち引きは一体となり
僕らは世界を抱きしめていたし
世界に抱きしめられていた