紅色のすみれ 上田一眞
柔らかな陽光が零(こぼ)れる
麗らかな春
山あいに咲く
紅色のすみれに会いたくて
滑(なめら)峡*まで足を運んだ
峡谷周りの照葉樹林を
逍遥すると
シイやコナラの若葉が
しゃらしゃら
しゃらしゃら と
擦れ囁き 春風が心地よい
小一時間 樹林下を彷徨う
蔦に足を捕られ 藪漕ぎに苦闘して
汗を拭っていると
出会いは突然訪れた
森に佇む
一朶(いちだ)の紅色のすみれ
細い杣道に沿って
ぽつぽつ と
ひらく 花くれないの群れ
綻びる蕾
葉先まで紅紫に染まり
可憐に咲く小花が愛おしい
そっとすみれの花弁に触れた
すると私の内部にぞくりと戦慄が奔った
散りどきを悟って咲く花
滅びの美
僅か五日の命なのだ
放散される香りにいざなわれて
一匹のハナバチがやって来た
ぶんぶん
ぶんぶん と
孤独な羽音をたてる
魅入られたように飛び廻り
花の虜となった
はぐれ蜂
私も対の蜂となって
花の精の虜となる
紅一点を見つめていると
くれないのすみれは
そより と
一瞬の風に応えた
日陰を好む紅色のすみれ
春の懈怠を捨て去り
緩やかな時の流れに逆らって咲き急ぐ
野の花だ
*滑峡(なめらきょう)山口県中央部に位置
し 国有林で名高い