評、3/1~3/4、ご投稿分。 島 秀生
毎度、お待たせをしております。
●akkoさん「季節は巡っていない」
しっかり書き込もうとするところはakkoさんのいいところですね。
この23行の詩の中にも、たくさんの事が書かれています。
ケヤキ。大きい木を植えられてるんですね。そして冬に落葉したあとも、しぶとく落ちないでいる一枚の葉に、亡き夫の姿を見ています。
そこに感情を移入して、
無理はない、無理もない
四月のあの日から
我が家の季節は巡っていないのだから
と、その理由を解釈されるところがいいし、セリフ調になっているところも、感情の昂ぶりが表現されているようで、ちょうど良い。
そして、そこから翻って我が身を考える5連、
生きているということ
今生きているということ
の詩行も、立ち止まって深い思考を巡らしている様子がわかる。(ただ、この問いに答えはありません)
この詩は4連以降もずっしり重くて、いいと思います。
いちおう言うとねー この詩についてだけを言えば、
初連まるごと削除
2連~3連初行にかけては、以下に変更
庭のケヤキの枝に一枚だけ残る葉は
裸木の小枝にとどまっている薄茶色の葉は
我が家での最期の入浴となった日の
ガウン姿の心細げなあなた
重く暗い冬をくぐり
で、キレイな詩になります。
というのは、今言ったように、2連~終連にかけても、いっぱい想いや思考が籠ってるから、これで充分、読み応えがあるのです。なので、この詩は2連以降だけで、成立できてしまいます。また、この詩に限っていえば、この方がすっきりとキレイになります。
初連をはずした理由にはもう一つあって、
初連と2連以降で文体が少し違うのです(自分で意識ないかもしれませんが)、そのため、キレイにムードが合わないところがあるので、はずしました。
ただ、初連は初連で見るべきものがあるので、これ、別の詩で使ったらどうかな?と思います。
ということで、私の案を一考して頂く条件で、秀作プラスとしましょう。(ちょっと甘いかな? でもちょっと変えるだけで、いい詩になるんだよな)
●埼玉のさっちゃんさん「世間と自分」
文体はキレイになりましたね。読んでると楽しいです。
だから、基本的には何を書いても様になるはずなので、何を書いてもいいんですが、この話は残念ながらオチがないです。次のステップとしては、「話の立て方」を考えるべしですね。
これ、オチがなかったのには理由があって、「世間と自分」という、大きなテーマを置いてしまったところが間違えているんです。
逆な言い方をすると、そもそも自分という存在は社会の中にあるので、自分の何を書いても「社会」はつきまとってくるものなので、むしろ「世間」でも「自分」でもない、第三者を向いて書く中で、それらは自然と表出していくものとして、書き表わした方がいいのです。「世間」は、面と向かうものでなく、自分につきまとうものとして付帯させて書くべきで、主となる話の方向としては、もっと全然違う方向向いた方がいいのです。
つまり、この詩は文体はキレイなんですが、話の向く方向が間違えています。
たとえば私だったら、
このあとに、
友人に電話しながら
そもそも背中を丸めてしまうのも
眉間にしわを寄せてしまうのも
北風にせいではないのかと思う
冬はまだ終わらないらしい
という感じで、話を北風に変えてしまいます。で、タイトルは「北風としわ」くらいにしておくかな。
そうやって主たる話を北風に向けても、詩の途中で、あなたの「ゆっくり行こうよ」の考え方も、平和主義も、心の充電の仕方も、書かれてあって、それらは全体として「北風」に包括されつつも、副次的に書き表せているわけです。
そういう感じで、置くべき主テーマとしてはもっと身近なものに置かれますように。主テーマを大きくしてしまうと、失敗しやすいのです。
うーーん、半歩前かなあー
●晶子さん「遥か彼方」
霞んで見えた未来には
私は行かなくてもいいのだと
途中から見送っていいのだと
寂しいけれどほっとしました
ここの詩行が、すごくステキですね。子が生まれた時から、育てる重責をずっと背負ってきた母親ならでは実感ですね。最後までずっと連れて行かなきゃいけないと、思い込んでたんですね。それも愛情ゆえのことですが。過度に背負い込んでたんでしょうね。
いま子育て真っ最中で、悩んでる親にも、この言葉、聞かせてあげたい気がしますね。一人で背負い込み過ぎてないかって、言ってあげたい気がします。
ここはすごく良かったです。
ラストの2行なんですが、打ちミスと思われるものもあるんですが、
自分の足ですっくと立って
振り向かないで歩いていけ
こうでしょうね。
いちおう4連の修正をしましたが、そもそもこの詩は子供の旅立ちを「送る言葉」が主眼のものであるので、ここ、4連だけでかたづけないで、4連、5連という規模で書いた方がいいと思いますよ。
言うと、1~3連というのは、ここに繋がるアプローチですからね。アプローチの連はしっかり書けてるんですが、本命の4連は物足りないですよね。言いたいことはわかるんですが、いきなりの大上段の言葉で、情感の伝達としては空回りぎみ(アクセルの空ぶかし状態というべきか)です。ちゃんとクレッシェンドをしませんか?
4連の内容を助走もつけて2分割する、と考えてもらってもいいんですが、ともかくもう1連、書くべきです。
言葉だけは勝ってるんですけどね、実のところ、話の本命部分にバランスの重心が来てないです。一考してみて下さい。
秀作プラスを。
●秋さやか「みずぶえ」
この比喩はおもしろいねえー
笑い声が水笛のよう、というのは初めて聞く、新鮮な比喩ですね。きっと軽やかにどこかがコロコロと回ってる感じの笑い声。その笑い声聞いてるだけでおもしろくて、こちらも吊られて笑ってしまう感じなんでしょうね。鳴き声がキレイな鳥がどこかで鳴いてる感じかな?
4連、
ああ今日もよく
回ってる
回ってる
は、家事をしながら、こっそり子の笑い声を遠くから聞いてる情景が感じられて、ステキですね。
5連、
ふるふると滑らかに
あかるい水と触れ合うように
は、声という聴覚のものを、柔らかい触感や流体で表現されていて、この絶妙さはすばらしいですね。
この詩、1~7連までパーフェクトに良いのですが、そこから後ろがギクシャクするんですよね。
一案ですが、ラストの4連、
ときどき光の揺らぐ瞳から
その水が溢れて出してしまうのは
わたしの渇いた言葉のせい
このまま泉を涸れさせて
透きとおる玉を
壊してしまったらどうしよう
恐れるわたしをよそに
みずぶえの玉は
またすぐ 勢いよく回り出す
または
恐れるわたしをよそに
玉は またすぐ
勢いよく回り出す
こんな感じはどうですか?
泣いたカラスがもう笑う 状態の、明るい子にしてみました。
「回り出した」と過去形にすると、その瞬間の話になってしまうんですが、現在形にすると、習慣としていつもそんな感じの明るい子、ってことになります。習慣性を言う時には、現在形の方がいいです。
あるいは、「玉」にこだわるのをやめて、みずぶえの軽やかな音に、戻してもいいですけどね。せっかく「みずぶえ」だから。
というわけで、後ろだけ一考して下さい。一考して頂く条件の、名作としておきましょう。
●じじいじじいさん「ショコショコ ヒョコヒョコ」
啓蟄は3/5で、この詩は3/2の作なので、ほぼこれに因んでいる作に思い、読みました。
2連、若干肩すかし感があるんですが、まあ、蟻のことなので、何匹出てきても、みな同じような行動を取る。まぶしがる。というのも、アリはアリですね(アリだけに)。
うむ、今回は4連すべてで、話が展開していっているので、いいですね。じじいじじいさんは、後半でよく息切れするというか、同じアイテムが繰り返されて、話が停滞しがちになるんですが、今回は「花」というアイテムを、4連で新たに出してきたことで、そこから先の情景が展開されて、そこがとても良かったと思います。
秀作を。
ラストの3行については、
はるのはなにむかって
いちれつになってあるきだした
ショコショコ ヒョコヒョコ
ショコショコ ヒョコヒョコ
はるをよろこぶアリンコたち
こんな感じの方が良くないですかね??? 一考下さい。
「いちれつ」という言葉を出しました。後半においても、前半にない言葉を新たに入れることで、次の情景が生まれてきます。じじいじじいさんの場合、そうやって「ボキャブラリーを豊かに」を心がけることです。そうすることで、世界が広がりますから。
●荒木章太郎さん「孤高の轍」
若干、表現が邪魔してる部分がありますが、話は概ね通るようになりましたね。読むこちら側としても、ちゃんと話が追えるようになりました。だいぶ前進です。
冒頭の「父よただいま」は、おもしろいですね。この謎かけみたいな言葉が意味するところは、
2行目~12行目の「僕は父に取って代わった」までの詩行によって、解明されます。
歳を食っていくと、鏡の前に立つ度に、だんだん父親に似てきたなあーと思うのは、男にはままある感慨でありますが、作者は遺伝子レベルおいても何かを感じているようです。このあたりまではグッドですね。
で、問題は2連の初行なんですが、これ、いくつか引っ掛かる点があって、
まず、「反乱軍」として用いてる体言止めなんですが、体言止めは、「今~である」的な意味合いになるので、未来形には使いません。しかし2~3行目の、
母や妹は祖母の呪いに縛られていた
父を建てて陰にまわるよう躾けられていた
を見ると、母と妹は、まだ反乱軍になってないように見える。
2連初行段階においては、「反乱」は「僕ら」ではなく「僕一人」なんじゃないでしょうか? その後の詩行を読んでも、母と妹が、2~3行目から転じて反乱を起こしたというようなことは、書かれてないように感じますし、ここはロジックが合わないとこですね。
むしろ、母がまだ反乱軍じゃないからこそ、作者は市役所に連れて行こうとしてるんじゃないんですかね?
2連のアタマを曖昧に書いてしまうと、そこからあとの文意にも、差し支えてしまいますよ。
また、2連初行、「祖父」がいきなり出た上に、これ1回かぎりで消えるんですが、出現回数から言っても説明不足ですね。おそらく今の家族の男尊女卑の封建的な考えや躾は、元凶に祖父があると言いたいのでしょうけど、この1行で伝えるのは無理がありすぎです。3行以上使って、祖父が元凶であることを語られた方がいいです。
あのー、基本的に、一語だけ置いて、事が済んだと思わないことです。それではまず伝わないです。
あるいは、この1行目をキメの1行にしたかったのであれば、その前にそこに至るアプローチとなる詩行、補助説明的な詩行を先に仕掛けておいてから、この詩行でキメをすれば、良かったですね。
現状は、「祖父」の登場がこれ1行で唐突すぎました。
しかしながら、これら2連のアタマの問題をちょっと棚上げにして、
2連6行目の「信号が青に変わると」から以降、終連の最後までを読むと、この部分て、悪くないのです。母の生き方を示し、それを思いやる作者の愛情を感じます。ここはよく書けてると思います。
後ろの方は後ろの方でいいんですよね、この詩。
うーーん、この詩は2連のアタマがすごくネックになりましたねえー
逆にいうと、そこだけやり直したら、いいセン行くと思うので、アドバイスを元に自分で検討してみて下さい。
秀作一歩前とします。
●上田一眞さん「うぐしの涙」
遠い過去のことは、記憶が曖昧になってることもあって、「昔は良かった」と美化しがちなんですが、はたして本当に良いことばっかりだったかというと、そんなことはなくて、戦後といっても、特に高度成長期以前の戦後は、昔からの因習がかなり色濃く残っていたように思います。一概に、無知から来るものとばかりは言えないんですが、科学的知識の乏しさが、余計に輪をかけて因習を信じ込むに至っていたというか、差別や偏見が、そのあたりの時代は、今よりもずっと強かったと記憶しています。
上田さんは、ここ最近、まさにそのあたりの時代の、差別や偏見のことを捉えて、自身の思い出に乗せて書いてくれていますね。
良いことと思います。その差別や偏見は、今も僕らの根っこに残っていて、きれいに払拭したとは言いがたいものなので、過去の時代のことであっても、今の時代にアピールするものである、と感じております。
また、今だって、インフルエンサーが誤った情報を発信しても、無条件にそれを信じる人たちがいて、悪しき因習が根付くこととなった昔の構造と、それはさして変わらないものであります。そちらの点においても警鐘となるような気がしております。
作品ですが、おそらく断片的な記憶を繋いで、(脚色も加えて)ストーリー化してくれてるのかなと思いますが、子供の時に感じた疑問や不思議がベースになっていて、それは作品の随所でも実感として生きています。また自身の子供の頃と一人の唖者との繋がりということで「人間対人間」の物語になっているのが、「人間を描くべき」詩の使命とも合っていると感じます。
また、情景も入っていて、映像として見えるのがいい。文体もキレイに書けていて、読みやすいです。レベル上がったんじゃないかな。
うむ、良いと思う。名作&代表作を。
ごく小さいとこ、1箇所だけ。
この詩は「現代文+会話部分には方言も取り入れる」形で書かれています。逆な言い方すると、方言部分以外は全て現代文で書いているので、「友がき」は間違いじゃないけど、やめたほうがいいと思います。「友がき」は、歌「ふるさと」を歌う時くらいしか今言わないというか、時代的には、旧かなを使っていた時代によく使われていた言葉で、今は使わないので、間違いじゃないけど、ここだけ不自然になるから、やめた方がいいですね。フツウに「友だち」で、いいところだと思います。
●理蝶さん「壊れかけのUFO」
物語としては完全にできていて、おもしろいと思います。
特に宇宙人が
触手も翼も何もない
僕たち人間と瓜二つ
で、しかも夫婦だという、とても庶民的なところがいいです。
で、人間と全く一緒ではなくて、違いは、ガラスの涙を流すところというのも、絵本に描かれそうなシンプルな絵柄のキャラが想像されて、ステキです。キャラ設定としては申し分ないような気がしています。
ただ、詩としては、いずれかに踏み込みたいところですね。
踏み込めるチャンスはいくつかあって、
まず「一人息子を残してきた」というところは、ウクライナから避難してきた夫婦のようであり、息子は兵役で残っているようでもあります。そういうウクライナ戦争の暗示があっても良かったですし、
民間に親切な人がいる一方で、難民申請を全く通そうとしない、日本政府の冷たい姿勢を描いてみても良かったんです。
また、時代の寵児となった異星人が、忘れ去られていくところも、現代社会の有り様を皮肉っているようで、ここをもっと踏み込んでも良かったのです。マスコミの豹変ぶりとか、一転して今の生活の質素さ、とかをもっと書けば、社会風刺にもなったと思う。
近いことは書いてくれてるんですが、おとなしくその生活に入っちゃってるというか、社会側の残酷なまでの変化、みたいなものにもう少し踏み込まないと、風刺にまで至れてない感じです。
たとえば、円盤の調査研究についても、当初は、円盤を直してあげようとする者たちもいて、スポンサー企業が資金提供していたが、そうした人もしだいに減り、とうとう夫婦でなんとかするしかなくなって、自力で修理に修理を重ね、山さえ越えられない現状に至ってるという、話を追加するのでも、世間の変化がわかっていいと思いますね。要は「世間」を登場させないと、風刺に至れないと言いますか。
また、一旦は内戦から避難するために逃げてきて、地球に来てるわけだから、息子のことを思ってるにしても、どこで心変わりして、やはり元の星に戻ろうとしてるのか。「愛情」で描くのだとしても、息子の話は最初の設定だけで、あいだで、なんにも書いてないから、愛情物語としても、不足してるんですよね。
あるいは、私、最初初連のみを読んだ時、ボロボロになっても飛ぼうとする、人生の比喩かど、フツウに思いました。
一見、異星人ですが、それ自体が、人間の生き様の比喩であってもいいと思いました。
というわけで、
ショートショート的な物語としては、これでも充分おもしろいし、楽しめるんですが、詩的寓話ということになると、もう少し、どっちか方面に踏み込んで欲しかったというのが感想です。この作品て、実はどっちにでも踏み込める入口を持っていた作品なんですよね。
という、もう一段上の希望を添えて、でも名作にしておきます。現時点でも一定以上ラインにはあるので。
細かいところなんですが、
まず初連。(これはあとでリフレインもしますが、)3~4行目のところ、
どこかが壊れどこかで庇い
庇った所が壊れ他の所でまた庇う
こうでしょうね。3行目の中を「が」で揃えるんじゃなくて、3行目、4行目とも、後ろを「で」で揃えるべし、ですね。
それから8連の2行目は「墜落を繰り返した」でいいと思うんですが、どうしても「墜落し」にしたい場合は、1文字空けましょうか。
飛ばそうとしては墜落し を繰り返した
こんな感じ。
それから終連5行目ですが、
辞書ソフト的には、「が」が2つ続くと注意が出ると思うんですが、それ単純なワンセンテンス内のダブりではなく、「夜の気配がし始めた」で→「空」に係る修飾節ですからね。そこは別途に考えていい部分なので、「気配が」でいいと思いますよ。
まあ、「の」でも格助詞の「の」なら間違いではないんですが、「の」の後ろって、あんまり動詞来ないので(古文はともかく現代語では)、もし使うなら、そこも1文字空けたほうがいいと思います。