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スレッドNo.3677

感想と評 3/5~7ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。3/5~7ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●鯖詰缶太郎さん「しらむ」
 鯖詰さん、こんにちは。今回の詩は短い作品ですが、とても味わい深く読ませていただきました。
 まず初連の「あさが かいだんから/おりてくる」の擬人法が良いですね。しかも前夜の「おれ」の苦悩については知らん顔、という、ちょっとよそよそしい雰囲気を持った朝のようです。
 夜の後には朝が来る、という自然現象は、苦しみの後に希望が訪れることのメタファーとして古来無数の詩の中で取り上げられてきたと思いますが、この詩はそれを一ひねりして、何事もなかったかのように新しい一日を始めようとする「あさ」に対して、過去の苦悩をひきずっている「おれ」を対置しているところに深みがあり、共感を覚えます。「おれ」の中では過去の苦しみは決して忘れ去ることのできないものであり、歳を重ねるごとに内面に蓄積していくものなのでしょう。
 一見静かで爽やかな夜明けの情景の中に哀しみを秘めた良い作品だと思います。「しらむ」というタイトル、全篇ひらがなで書かれ、文節をスペースで区切るシンプルな文体も効果的に用いられています。評価は佳作となります。

●理蝶さん「夜明けに立つ」
 理蝶さん、こんにちは。これは海辺で日の出を待っている詩ですね。私はこれまでの人生で日の出を見た体験は数えるほどしかないのですが、日の出の瞬間は何か胸踊らせるものがあります。曙光が差す少し前から、寒さに耐えながら太陽が昇ってくる瞬間を待ちわびる期待感が、硬質な文体を通してよく伝わってきます。水平線の彼方から昇ってくる太陽の「新しい炎」が、終連では「二人」の瞳の中に燃えているという終わり方も素敵ですね。
 この詩で分からなかったのが「俺達」二人の関係です。友人なのか、それとも夫婦/恋人なのか。私は後者で読みました。「生きてゆける/何故か そう思った」の連がおそらく語り手の感情のクライマックスになると思いますが、やや唐突感があり、なぜ二人が「生きてゆける」と思ったのか、そのヒントが前半に欲しいと思いました。その点だけご一考ください。評価は佳作半歩前となります。

●喜太郎さん「眼差し」
 喜太郎さん、こんにちは。これは微妙な心のすれ違いを描いた恋愛詩ですね。愛する「あなた」の眼差しの先に見えているのは自分ではないかもしれない、そんな「私」の疑心暗鬼で切ない心がよく描かれています。
 この詩では二人の過去について触れられています。文脈からして互いの過去の恋人について言われているのでしょう。常識としてはもちろん過去は変えられない。けれどもそれさえも上書きしたい、そんなないものねだりの矛盾した思いがかえって「私」の強い感情を感じさせます。
 一点ひっかかったのは、「あなたの未来は私と共にある」の部分です。これは「私」の未来予測として語られていると思うのですが、詩全体から伝わってくるのは、むしろ将来に対する不安感(これからも本当に一緒にいられるのか分からない)で、ちょっと噛み合わない気がします。なので、この前後をたとえば次のようにしてみるのはいかがでしょうか。

  あなたの過去は変えられない
  でも未来はずっとあなたと共にいたい
  それなのに今はどこにいるの?

 あくまで一案ですので、ご自分で考えてみてください。
 それから、全体を連分けなしに書かれていますが、連は分けたほうが読みやすいと思います。評価は佳作一歩前となります。

●森山 遼さん「『ぼくはこんなに手を振ります』」
 森山さん、こんにちは。この作品は「別れ」を描いた詩ですね。それも特定の誰かというよりは、世間一般、大げさに言えば「世界」との別れを歌った詩と言えるのではないでしょうか。「私」は世間との断絶と孤独の中にいますが、それを伝える言葉を持ちません。「黙狂」という言葉は辞書にも載っていませんでしたが、調べると埴谷雄高の小説に出てくる表現のようですね。
 詩中の「私」は一見世間に対して何の悪感情も抱いていないように見えます。けれども私にはその裏に隠された思いがあるように思えてなりませんでした。つまり、「私」は世界から傷つけられ痛み苦しんでいる。けれどもそれについて語ることも泣くことも許されない。だから穏やかで丁寧な語り口と「よくしてくださいましたね」「ありがとう」の言葉がかえって胸に刺さります。
 ところで、この作品は中原中也の「別離」という詩を下敷きにしていると思われます。この詩はインターネットでも容易に参照できますので、ここで細かく引用して比較することはしませんが、「さようなら」の繰り返し、「ぼくはあんなに/こんなに手を振ります」の表現、「よくしてくださいました」と礼を言う部分、語る言葉を持たないという内容など、複数の類似点があるので、偶然の一致とは思えません。
 もちろん、まったくのコピーではなく、いろいろと表現は違っています。これは個人的な推測なので、違っていたらお許しいただきたいのですが、おそらく森山さんは中也への敬意を込めてその詩をアレンジし、ご自分の作品に組み込んだのではないかと思います。
 詩の中で先人の作品を参照する行為は、和歌の本歌取りをはじめ現代詩でもよく行われますが、現代詩では作中で示すなり注をつけるなりして引用であることを明示するのが通例のようです。オマージュと剽窃の境界線を引くのは難しいですが、疑われる可能性があると思ったら、出典を示しておくのが安全でしょう。
 また、他の作品の引用を行う時には、それをどのような意図で行っているかが問われます。つまり、単に他の作品のアイデアを借用するのではなく、元作品に作者なりの工夫や思想を加えて、それをどう「料理」したかが引用者の腕の見せ所になって来るのだと思います。言い換えれば引用元はあくまでも「従」であって、ご自身の作品の主題が「主」になっていなければなりません。今回の森山さんの作品の場合はタイトルからして中也の詩の表現をほとんどそのまま用いており、引用元に負う部分が大きいように見受けられます。
 他作品を参照するなと言っているのではありません。私は先人の作品との対話は詩の醍醐味の一つと思っています。ただし、あらぬ疑いをかけられることのないよう、気をつけながら引用することをおすすめいたします。評価は佳作一歩半前です。

●荒木章太郎さん「眠れない夜について語ること」
 荒木さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
 真夜中に目が覚めてしまい、寝付けないままにいろいろ思いを巡らせてしまうことはありますよね。この詩はそんな心の中に繰り広げられる情景を描いた作品と受け取りました。冒頭の状況設定からすると、語り手はおそらく自宅の寝床で目を覚まし、そのまま家から出ていないようです(後半の「体を起こしカタカタと背中まるめて検索を駆使する」という箇所からすると、寝床にずっと横たわっているわけでもなさそうですが)。けれども語り手の想像力は家から出て街のあちこちを彷徨する、という流れが面白いですね。
 扱われているテーマは国家や社会や戦争といった大きなものが多いですが、最後はすっかり目が覚めてしまって、「考えるだけではだめだ行動しろ」と自分を叱咤激励するところで終わります。そう考えてくると、「真夜中に目覚める」という行為そのものが、暗黒の社会の矛盾を認識するという暗喩的な意味を帯びてくる気がします。でもそのテーマを肩に力を入れて振りかざすわけでもなく、最後には「なにも始発電車に乗る必要はないが」という軽いユーモアを漂わせて終わるというところも心憎い演出ですね。
 とても読み応えのある作品でした。またの投稿をお待ちしています。

●紫陽花さん「北の庭には黒猫が歌う」
 紫陽花さん、こんにちは。この詩は孤独を描いた幻想的な作品ですね。
 「陽の射さぬ北の庭」とは、「孤独な私」の心を表す心象風景でしょうか。その庭に存在するクリスマスローズも黒猫も、評者には「私」の分身のように思えました。それらが月のない闇夜に現れて「私」に語りかけてくる、という幻想的な情景が儚く切ない印象を与えます。このイメージはとても好きでした。
 クリスマスローズについて調べてみましたが、寒さに強く日陰でも育つ花のようで、まさに北の庭にぴったりですね。花言葉はいくつかあるようですが、この詩の内容には「私の不安を和らげて」「慰め」といったものが適合するかと思います。
 白いクリスマスローズと黒い猫は対照的な存在として描かれているようですが、それらが果たしている役割の違いは評者にはよく分かりませんでした。白い花は心の安らぎを表し、その花をちぎる黒猫は安らぎを蝕む不安を表しているのでしょうか。それともこの二つのアイテムはむしろ同じような、「私」の孤独を癒やしてくれる存在として描かれているのでしょうか。私は前者と取りました。もし後者だとすると、同じような機能を果たす二つのアイテムが使われて、読者の焦点が絞りにくくなるからです。
 この詩のタイトルには黒猫は含まれますが、クリスマスローズは出てきません。けれども全篇を何度も読んでみて、評者にはむしろクリスマスローズの印象が強く残りました。黒猫は詩の後半にしか出てきませんが、クリスマスローズは最初から最後まで一貫して登場します。タイトルからすると、作者の意図としては黒猫を中心に表現したかったのではないかと思いますが、意に反してクリスマスローズの存在感が黒猫を圧倒してしまっているように思いました。したがって、クリスマスローズの比重を抑えてより黒猫を目立たせるような内容に書き換えるか、あるいはタイトルを「クリスマスローズと黒猫」のように変えてみるのも一案かもしれません。参考にしてみてください。評価は佳作一歩前となります。



以上、6篇でした。今回も魅力的な詩との出会いを感謝します。

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