3/12〜3/14までにご投稿分の評と感想です。 井嶋りゅう
3/12〜3/14までにご投稿分の評と感想です。
ご投稿された詩は、一生懸命書かれた詩ですので私も一生懸命読ませていただいておりますが、上手に意味を読み取れなかったり疑問を書いたり頓珍漢な感想になったりする場合もございます。申し訳ございませんがそのように感じた場合には深く心に留めず、そんな読み方もあるのだとスルーしていただけると助かります。どうぞ宜しくお願いいたします。
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「或る 夏の日の 人生」益山弘太郎さん
益山弘太郎さん初めまして。こんばんは。
雰囲気はとても良いと思いました。ある夏のバスに乗った一瞬の感慨が描かれていました。熊ん蜂の登場はリアルでしたね。その思い出から混み合ったバスに乗る。一番後ろの座席が空いていて、そこに腰掛ける。「よじ登った」と書かれていますが、「腰掛ける」くらいでよいかなと思いました。さて、この詩の重要部分は、「16時59分」ではないかと思いました。この時間ははたして何を意味しているのか、最後まで分かりかねました。確かに時間は連鎖しているものですが、どのように連鎖しているその時に感じたのか、最後のアゲハ蝶と関連しているのかもしれませんが、もう少しその思考の書き込みがあると良いかなと感じました。それから後半で1行空けが目立ちますが、くっつけても問題はないかと思います。冒頭にも書きましたが、雰囲気はとても良いと思いました。
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「ピノキオ」喜太郎さん
喜太郎さんこんばんは。お久しぶりです。
最後から3行目「考えるって寂しくなるよ」、この一文がとても胸に響きました。良かったです。ピノキオの優しさがとても伝わってきました。後半は切なさもあって、素敵なお話でした。
ただ、この詩は「ピノキオ」を知らないと意味がわからないかもしれません。ピノキオは有名ですけれど、読み手が100%知っているとは限りません。そこで提案です。ところどころに、ピノキオのストーリーを入れてみてはどうでしょうか。そうすれば、なるほどそういうストーリーを元に書かれているのだなと、ピノキオをちゃんと知らない人ももっと深くこの詩に入り込むことができるかも知れません。もったいないので、少し推敲してみてください。宜しくお願いいたします。
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「わたし」樺里ゆうさん
樺里ゆうさんこんばんは。
インナーチャイルドについて、ネットで調べてみました。以下はネットからの引用です。
インナーチャイルド(inner child)とは、自分の中にある「内なる子ども」のことです。 ふだん大人として生活している私たちは、どこか子どもの部分を覆い隠して「大人を演じている」ものです。 大人の部分が、ふとした拍子にはげおちると、そこからインナーチャイルドが出てきます。
このような説明を読むに、もしかしたら人はインナーチャイルドを抱えて生きているのかもしれない、と思いました。私はあるかたに、インナーチャイルドを喜ばせてあげることが大切だと言われたことがありました。インナーチャイルドって何だろう?と思いながらもよく分からなかった私がしたことは、詩を書くことでした。自分の本音を言えなかった私は(今でもですが)詩にして解放していたように思います。この詩はそういう人たちへ向けての応援詩になるように思います。「無数のわたし」というのがとても現実的に感じました。7連目の矛盾もとても共感できました。ぜひこれからも書き続けていってください。佳作一歩前といたします。
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「堀端」理蝶さん
理蝶さんこんばんは。
とても素敵な風景を堪能させていただきました。自分すら不要で、風景の一部になりたいような祈りのようなものも感じられ一見穏やかなんですが、3連目の生物の生きる力に少しドキッとしました。この詩はその緩やかな落差を、本音を言えばもう少し読みたい気持ちにかられました。昼食の描写はこのままで良いのですが、その光景を見ている「僕」の心情がもう少し書かれてあったらな、と思いました。そして、この詩は案外と比喩に凝っていますね。その部分が少し伝わりづらいようにも感じました。その比喩に集中してしまうからという意味です。そういう意味でもったいない作品だと思いますので、風景を際立たせるために、見たままの描写に心情をプラスの方向へのアドバイスとさせていただきます。少し注文が多いように感じさせてしまっていたらすみません。佳作一歩前といたします。
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「生きている」紫陽花さん
紫陽花さんこんばんは。
とっても良い詩でした。お父さんとお花。共に寡黙に存在し、水だけ飲んでいる。でもお父さんは水さえも最近飲み込めなくなってきていて、その横で花瓶の中の水は、お父さんの分まで頑張るかのように減っていく、あるいはお父さんが花瓶の中のお花であるかのように、飲んでいるのかも知れない。元気だった人が少しずつ弱っていく姿、その隣に置かれたお花がとても切なくて、エアコンの風に吹かれて時々揺れる様子に胸が打たれます。「生きている」、そう、生きています。この病室の静寂さ、お声がけの切なさが妙にマッチして、やっぱりお花は揺れるのでしょう。淡々とかかれているからこそ、胸詰まる想いが伝わってきました。とても良かったです。佳作といたします。
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「すみれ公園の桜」温泉郷さん
温泉郷さん初めまして。こんばんは。
淡々と語られている様子がとても良いですね。桜の木って健気なんですね。4連目にある、中がスカスカになっても水分は外側を通って花を咲かせるということが、だから儚げなのだろうかと考えたりしました。この詩を読んでいると、我が子に先立たれた親子のようにも感じられて、人間が見えてきます。満開なのに寂しげで、近所の女性の訴えがとても哀しく感じられました。それはそれで当然の訴えなのでしょうけれども。桜には桜の、人間には人間の、それぞれの営みが描かれていて切ない目線を感じました。最後から2連目の2行目「中はやはり空洞だ」の箇所ですが、この古木は伐られているわけではないので「中はやはり空洞なのだろう」のほうがしっくり来る気がしました。温泉郷さんは、だいぶ書き慣れたかたのようにお見受けいたしました。今後も楽しみなかたですね。とても良かったです。
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以上、6作品のご投稿でした。
どうもありがとうございました。