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スレッドNo.3720

感想と評 3/22~3/25 ご投稿分 三浦志郎 3/28

お先に失礼致します。


1 freeBardさん 「つくしんぼう」 3/22

前半、気の毒なほど辛い状況が語られますが、大丈夫でしょうか?ちょっと可哀そうになるほどなんです。さすがに前半終わり近く、怒りが爆発しそうになっています。ただ、freeBardさんは、さすがにその怒りの収め方を心得ているようです。
「ひゅるりと風が訪れる」。この一行置きがその契機、と僕は見てます。そう考えると、この一行はこの詩に於いてますます重い。怒りを収めるおまじないとしての深呼吸にも等しい。そんな風に見ています。続く「嗤われるのは辛くとも~笑っていたい」も、それを受けての名文句と言えるでしょう。
一行置きを境に比喩としてのつくしの登場により、詩は別方面に出てちょっと驚きますが、今回、それはひとまず措きましょう。前半に対応して、生き方の隠喩としてのつくしでしょう。自分は質実、実直を選ぶ、そんな主旨を感じています。「土の筆」がしゃれてますね。佳作を甘めにして癒したいところです。


2 理蝶さん 「『し』の輪廻」 3/22

意味が違っても発音の同じもの、しかも(詩を書く人にとっては)使用頻度の高いもの、をそれぞれ特徴を捉え、上手く繋いで作品に結晶させました。これはアイデア賞ですなあ。まずは「詩」。いろいろな角度から捉え、粋な比喩が光ります。特に3連、5連の把握の仕方が好きですね。あ、発火するのもいいですね。詩の始まりと終わりを象徴する「志」と「死」。この詩にもある通り、
「志、詩、死」
このポジションもちゃんと流れを踏まえています。この三文字に導かれた連が、これまた名文です。
この本質の捉え方、詩を志す全ての人に読んで頂きたい。それを受けてのフィナーレ。それぞれに相応しい動詞を採用し対位法的に描かれます。まさに詩人の一生とまで言っていい。これは堂々の上席佳作に違いありません。

アフターアワーズ。
ある歴史小説にこんな言葉があります。「詩は志である」。この場合の「志」とは気宇・気概、心情、感性の高鳴りのことでしょう。私的余談ながら、僕の名にもこの漢字があります。この漢字を授けてくれた両親には終生感謝するものであります。


3 上田一眞さん 「二人の零戦操縦士」 3/23

最初から揚げ足を取るようなことを書いて恐縮ですが、冒頭2行です。これだと「K先生が教わった」風に取られかねないです。
「~を教えていた」か「私が高校で~~教わったK先生」のどちらかでしょうね。後者は「私」を入れたほうが安全です。
まずは「**」の手前まで。「なんと/右腕がなかった」―ここへ来て初めて腕が無いことに気づいた印象をわずかに与えるのです。そうではないでしょう。これは冒頭に持って来た方がいい。冒頭、読み手もガーンとなるでしょう。ただし、その場合、アフターケアは必要です。僕だったらこんな感じに書くでしょう。

(2行目より)

k先生―
なんと
右腕がなかった
何か深刻な理由があったに違いない
しかしそれは
絶対聞けないことだった
誰もそのことには触れなかった
当然なことだった

しかし それ以外は
ギリシャ人を思わせる~(以下同文)

「**」以降は時制的に過去に分け入っていく感覚が続きます。ここでやや煩雑なのは記述上のことで「K(先生)」「Y(先生)」といった書き方ですね。ゴリゴリする。もう少しスムーズに進めたい。この時期、まだ先生ではないので、「K、Y」でもいいようにも思うのですが、どうも釈然としないし、事はそう単純ではなさそうです。省略しても問題なさそうなところや「彼は」で代入できそうなところを探したほうがいいかも、です。あと、タイトルや文中ですが「操縦士」「飛行士」は現代感覚で読むと民間航空のイメージも混じり、ちょっと軟弱(?)そうなので、ここは「操縦員」とか、一番いいのは「搭乗員」ですかね。これだと当時の血と汗もイメージしそうです。逆に言えば指摘はこれだけで深いものではありません。あとは全く問題なく、興味深く読みました。「グラマン~12,7mm~防弾装甲のない~」など、とてもお詳しいですね。
K氏もY氏も本当に奇縁です。共に戦い抜いた二人は終生の友であり続けたことでしょう。エピソード編はもう悲惨のひと言ですね。赤トンボに250キロ、水上機に800キロはもはや狂気の沙汰です。最後は燃料なし、食料なしの敗戦。実話だけに説得力があります。これは叙事詩と言っていいでしょう。こういったことを語り継いで行くことは、歴史が我々世代に設けた課題であるでしょう。この詩はそれを担うに価値ある作品です。構成や表現も硬質にして堅牢。前半事項を考慮して頂くのを前提で佳作と致します。

* 「**」~敵機の襲撃~墜落シーン~「**」まで、ちょっと僕なりに考えてみました。(参考例)

学徒出陣
「K(先生)は零式~」→「その男は零式~」 (以下、同文) ここのパートはわざと二人の操縦士に匿名性を与えて展開。呼び名の煩雑を避ける。最後に身分を明かして帳尻を合わせる。

「後年~Y先生だ*」→全削除。次の連の冒頭に「彼は」を入れる。すなわち「彼は広島の~」。
その連の4行目「Y(先生)」は削除。その連の9~11行目を以下のように変える。

彼は事態に気づいたが 
掩護に行くにはすでに遅い
上空から見守るしかなかった
着陸時に狙われ
火だるまになって横転する零戦を―!

「やられたのが同郷のK(先生)だと知り~見に行った」を
                ↓
「やられたのが同郷の戦友だと知り 彼は見舞いに行った」 に交換。

次の連、「~~一命を取り留めたその戦友/見舞った彼は戦友の頑強な身体と強運を嘉した」に交換。

最後に句の新設→その後に「この二人こそが私の恩師、K先生でありY先生*だったのだ」を置く。
1行独立連がいいかも。ここで身分明かして帳尻合わせる。 Y先生の注釈印*はこちらに持ってくる。注釈文中に「生物の先生」を追加する。

あるいは注釈部分を本文に取り込んで「**」~「**」内をY先生の懐旧談・目撃談として直接セリフで書く手法もあり。
「その日、私は~~でね。そしてKさんの乗った零戦が~~したんだよ」
― と Y先生は語った。みたいな書き方。

これで前半既述した「K・Y(先生)の煩雑」は解消されるかな?僕の趣味も入ってるので、あくまで参考と思ってください。
ちょっと込み入ってごめんなさい。

アフターアワーズ。
この詩は物語風なだけに、いろいろなアプローチができそうです。いろいろ試してみてください。
手を入れることによって、この詩はますます良くなると思います。詩を育てていく感覚ですね。
そんな過程で派生的に別の詩ができる可能性もありそうです。


4 あこさん 「物差し」 3/23  初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。
出だしはシンプルですが、リズムがあっていいです。詩の方向性を予感させます。
ウキウキ感が充分伝わってきて、思わず「なんでそんなに幸せなの?」と尋ねてみたいほどです。
比喩としての物差しもまずまず悪くないです。「幸せは」と「物差しは」を「は」で揃えたのは意図したことでしょう。「そんじょそこら」は詩になりにくい言葉ですが、特に違和感を感じなかったのは、この詩のトーンが背景にあるでしょう。着地の一句もユニーク。次の文をよく読んで、また書いてみてください。

アフターアワーズ。
分かりやすく、結論から書きます。本作のような盛大な行空け・連分けはやめましょう。初心者用掲示板でも同様です。ふたつの理由が考えられます。

① 対外的……ズバリ「節約と公共性」です。これは世間一般常識に近いです。これだけで、概ねお分かり頂けると思います。
掲示板冒頭ご案内に「詩行を1行おきに書くのはやめて下さい。原稿は正しく書いてください」という項があり下部に「各行2行ずつ以上空けて書いた場合も同じです」―ここを参照ください。この一文も節約と公共性に根ざしていると考えられます。

② 対内的……こういう言葉はあまり使われませんが、①との対比で意図して使ってます。ご理解を。すなわち、ご自分のために、
という観点です。もちろん先の案内文も同様の事も言っています。
およそ言葉、その集積としての文章―日常文、仕事文、論文、小説、詩etc―は、かたまりを作って、初めて体を成し意志伝達されたり文芸価値が出るものです。本作のような書き方だと空間的、意味的に拡散し意味、解釈の取り方、伝達・表出の度合い、味わい度合いが著しく低下します。文章価値も散ってしまいます。読み手はどう思うでしょうか?(よくわからない)そう言って詩から立ち去るケースが出るでしょう。相手にされないこともあるでしょう。読んでもらわねば何にもなりません。読まれても印象に残らないでは残念なことです。これはご自分にとって著しく不利であります。仮にこれを本にするとします。編集者はたちまちクレームするでしょう。コンクールに出したとすれば、たちまち落とされます。不利になることはあっても有利になることは全くありません。

ここの掲示板は1行間が比較的広く―。

かたまり
1行空け  で充分連分けできます。

かたまり
3行空け  くらいで、ちょっとした章構成を演出できます。

以上、今後充分考慮していただきたい。              三浦志郎



5 大杉 司さん 「暗い春」 3/23

内容、全く同感です。遠因は正月の能登半島地震で出鼻を挫かれたこと。あの惨事がいまだに人心に尾を曳いている、とは言えると思います。加えて寒の戻り、曇天、天候不順、群発する小地震なども挙げられるでしょう。会話にも「なかなか春らしくなりませんねえ」といったことをよく聞きました。
ここで話題を変えます。僕の場合、およそ詩とは対象を全否定するには向かない媒体だという認識があるのですが、この詩は“見事に否定”している。これは皮肉でも何でもなく―変則的ではありますが―賛辞です。そのようにお心得ください。その事がこの詩の個性であり存在意義となります。具体的に感じさせるのは自然、天候が人の心に及ぼす影響が核になっているでしょう。それと、大杉さんは比較的、正直にストレートに書かれる傾向にありますが、本作がそんな作風の、これまた核になるでしょう。表現や修辞も、これはグレードアップしています。佳作となります。


6 秋乃 夕陽さん 「共に越える」 3/24  初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。あくまで、この詩のみの印象で言うと、伝統を重んじ、端正な印象を受けます。真面目で少し年配のかたかもしれません。あの災害に対しての皆の思いを取りこぼしなく、代弁して書かれたような趣があります。殊に注目されるのは「私のもう一つの故郷はこうして破壊された」でしょう。ちなみにここは「一つの」よりも「ひとつの」の方がいいでしょう。その悲嘆は並大抵ではないでしょう。それを受けての4連目。ここは他と比べて、よりパーソナルな思いが綴られ、しかもより感情も深まるかのようです。「地底からの因果」「心を傾ける」に注目しました。特に後者を含む終わり2行は結論とも取れる趣きがあります。「心を傾け」そしてタイトル「共に越える」の境地に至ったのでしょう。 また、書いてみてください。


7 司 龍之介さん 「蟻んこ」 3/24

これは面白いし、可愛いです。まず、この蟻のキャラクターです。普通、蟻は働き者とされていますが、この詩の蟻はハズレ者、ここが面白い。こういうのが1匹くらいいてもいい。個人差ならぬ、“蟻ン差”ですね(笑)。みんなと混じって真面目に働いていればいいものを、1匹でフラフラ遊んでいるからはぐれもする。この設定も自然です。次に、この詩を味わうのに人間世界とアリとの絶望的なほどの寸法の違いを充分把握する必要があります。そうでないとこの詩は味わえません。その点で「高さ十メートルのたんぽぽ」は言い得て妙です。靴の裏の隙間にはまってどんどん進むさまはアイデア賞的な設定。 どの設定~流れも上手いです。靴裏でどんどん歩いているから、よほど遠くまで行ったのだと読み手は思いがち。(でも、そんな遠くで、なんで仲間~家族に会うんだ?)と疑問は湧くんです。そこで関係するのが既述した蟻と人間の寸法違い。なんのことはない。この蟻は人間の一家庭の庭をウロウロしていただけ……。そんな想像も成り立って、ちょっとトリック的で面白いです。最後、この蟻は旅をすることになるけれど、やっぱり庭の範囲内でしょうね。「お前、まだいたのか!?」仲間からまた文句を言われそう。でも裏を返せば、この蟻さん、身は安全という事で……面白く楽しめました。甘め佳作を。


8 じじいじじいさん 「制服」 3/25

上席佳作! ついにじじいじじいさんがここまでおどり出た!発想、ストーリー、感動の度合い、
全て申し分ありません。全てです。子どもから大人まで全てを包む。ただ読んで、味わって、感じて。
ミウラがウダウダ多くを書く要なし。担当した僕も大変嬉しく思っています。現時点で最高峰。
こういったものをまた是非読みたいです。こうなると、案外、次が難しいというもの。肩の力を抜いて
自然体が案外いいかもしれないです。



評のおわりに。

失礼して、全て引用文で終わりたいと思います。

「過ぎ去る時は容赦ない。事が起きてからざっと七十五年経過すると、体験者は世の中から退場する。
(中略) 生の体験の世界から伝聞の歴史へ移行しようとしている」
(読売新聞 3/24付 書評欄より)      では、また。

編集・削除(編集済: 2024年03月28日 18:25)

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